ファイル11恋心窃盗事件の考察①

 アイリーンが茶会から帰宅したときには、すっかり夜も更けてしまっていた。

 エドガーと契約を交わした後、茶会の会場に二人で戻ったのだが、それが大層注目を浴びることになってしまった。

「はぁ~。つ、疲れた……もう一歩も動けない」

 ばたっと大きな音を立てて、アイリーンはベッドに倒れ込む。


「お嬢様、今日は殿下とお話しできたんですか?」

「お話……どころじゃないわよ。何故か、私の探偵としての仕事を支援してくださるらしいわ。しかも二週に一度、探偵としての活動内容を報告しに王宮へ行くことになって」


「ええっ! 何故そんなことに!?」

「それが……」

 アイリーンは、驚くマギーに今日起こった全てのことを語り始めた。


 聞き終わったマギーは、眉間をぐりぐりと抑える。

「えー、要約すると、殿下にご挨拶されて意識を失い、目覚めたら令嬢同士のけんかに巻き込まれ推理を披露。それを見た殿下に気に入られて、協力を申し出られた……はぁ、ほんとに何やってるんですか、お嬢様。でも、お怪我がなくてよかったです」


「ありがと。わ、私も好きでこんなことになった訳じゃないのよ? で、でも思ったの! 私の捜査もしやすくなるじゃない? 殿下の正体を暴くのが目的なのだから、チャンスが増えるわ!」


「ね!」と人差し指を立てて小首をかしげてみせるアイリーンだが、マギーの目は氷柱の様に冷ややかかつ鋭い。

「何がチャンスですか! 殿下の前で怪盗プリンスの話でもして、不敬罪に訴えられたらどうするのですか!」

「う、ごめんなさい。気を付けるわ」


「はあー。ですが、まあ、お嬢様のお気持ちが一番ですから。王太子妃になりたいと思っておられるのなら、マギーはどこまでもお仕えいたしますよ」

 そう言って、マギーが最上級の礼をする。

 これにはアイリーンの方が目を丸くした。


「ちょ、ちょっと待って頂戴! マギーが仕えてくれるのは、とても嬉しいけれど。その前に、お、王太子妃って何の話?」

「え……」

 二人の間に沈黙が落ちる。


「アイリーン様」

「な、なあに? マギー」

「本気で言ってます?」

 マギーは、怪訝な目でアイリーンを見る。知らない人が見たら、主従関係であるとは思えないような視線だ。


「え、ほんとに何の話?」

 主の鈍さに、マギーはたまらず叫ぶ。

「し、信じられない!! あんなに殿下が好きだと言っていたじゃないですか!? 捕まえるって!!」

「ええ、そうよ? 素敵だな~と思っているわ。必ず捕まえて正体を暴くの」


「じゃ、じゃあ、王太子妃になりたいってことですよね? 殿下の恋人になりたいってことですよね?」

(むしろ、そうだと言って!)

 マギーは祈るような気持ちで主を見た。が、彼女の主は赤面して、両頬を手で包むと、挙動不審に室内を歩き回る。


「え、え、え。やだ、そんな、恐れ多いわ。あり得ない! わ、私、そんな殿下とこ、ここ」

「恋人ですね」

「そ、そんなの無理よ。心臓が働きすぎて、長期休暇にでてしまうわ」

「何を言ってるんですか?」

(心臓が長期休暇……それって死んでるんじゃ? いや帰ってくるから死んでないか)


「と、とにかく私にとって殿下は、憧れというか、何というか……結婚とか付き合いたいって気持ちではないのよ。殿下には幸せになっていただきたいの。そのためにも何としてでもプリンスの本当のお姿を暴かなくては!」


 そう言って彼女は両手を組み、幸せそうな表情で、エドガーの結婚式を祝うパレードに参列している自分を思い浮かべている。

 白くて豪華な馬車に、ベリンダのような美人とエドガー殿下が座っている。


 殿下に肩を抱かれる女性は、美しい笑みを浮かべて、アイリーンや民衆に手を振るのだ。殿下も幸せそうに微笑みながら、姫を見つめ、民衆に手を振った。

(うふふ。いい、いいわ)

 ニマニマと笑いながら自分の世界に入っているアイリーンを見て、マギーは主の本心を悟った。

 そして、ふと思う。


(あれ? 殿下と二人で茶会に戻って? 会場の人たちは経緯を知らないから、二人で抜け出してたと思われてもしかたないんじゃ……え、まさか)

「あの、お嬢様。ちなみに、茶会に戻られたときに殿下は何か言っておられましたか?」

「ん~?……あ、王妃様に報告していらしたわ」


 ぼんやりと夢見心地のアイリーンがそう言ったので、マギーは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

「な、何をです?」

「私が二週に一度、殿下に会いに王宮へ行くことよ? 何かおかしいかしら?」

「ひっ! い、いえ! なんでもありません」

「そう? ならいいわ」


 それより、とアイリーンの話が変わり、何事かを楽しそうに話しているが、マギーは全く聞いていなかった。

(え、その言い方が本当なら大事では? 私の気のせい? 考えすぎ?)


 アイリーンは失念していた。

 彼女の行った茶会が、どういう目的で催されたものだったかを。

 そして、女性の影がなかった王太子が、定期的に女性と会うことを、主催者である王妃に報告することの重要性を——


 ****************


 同時刻。

 王城はすでに、昼間の喧騒などなかったかのように静まり返っていた。

 昼間に進まなかった書類を片付けているエドガーは、機嫌よさげに笑みを浮かべている。


「なんだよ。エド、今日変だぞ」

 アーサーが妹によく似たエメラルド色の瞳を怪訝そうに細めて言った。

「ふふ。今日は楽しかったんだよ」

「はぁ? クラウス、どうしたんだコイツ」

「アーサー口が悪い。まあ、エドの機嫌がいいのは、君の妹のお陰だ」


「げっ。なんで? アイリーン、何したんだ?」

「面白いものを見せてくれたよ」

 そう言って、エドガーはアイリーンが解決した、令嬢ハンカチ窃盗事件のことを語る。


「え、何やってんだよ。アイリーン……」

「飽きない面白さだよね。新鮮だ。彼女が、とても素敵な探偵だったから、ついね。協力を申し出てみたんだ」

「えっ。待って俺、すっげぇ嫌な予感する!!」


「彼女の探偵業を全面的に支援する条件に、二週に一度王宮に上がらせるよ。もう母上にも話は通してるから」

「は!? うっそだろ!! なんでおま、今までっ」

「うん。別に恋愛感情はないよ。会ったのも二度目だし。面白い子だから興味があって」

「おい」

 笑って言うエドガーに、途端にアーサーの顔が険しくなる。


「ごめん。本当に素敵な子だと思ったんだよ。立場上、恋愛は望めない。それなら少しぐらい興味の持てる子を選びたいんだ」

「お前……」


 妹を大切に思う兄として、恋愛感情もなく、妹を面白がり、ちょっかいを掛けようとしているエドガーに怒ったはずが、彼の声に滲む諦めに語気を弱める。

 書類をこなすエドガーの表情は見えない。

 カチカチカチ――

 静かな執務室に、柱時計が時を刻む音だけが響いた。

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