ファイル9令嬢ハンカチ窃盗事件―後編―
ハンカチ窃盗の犯人を捜し、ベリンダの無実を証明しようしているアイリーン。
一人目の聴取が終わり、彼女は次にベリンダ・フォスター男爵令嬢を呼び出した。
ベリンダは美しい顔に、一種の緊張のようなものをにじませた硬い表情をしている。
(本当に美人ね。流石王太子殿下の婚約者候補筆頭といわれる美貌だわ)
アイリーンは、思わず彼女に見惚れていたことに気付いて、慌てて質問を始める。
「ベリンダ様。貴方はこのハンカチを盗んでいない。落ちていたということで合っていますか?」
「はい。ただ落ちていたのではなく、落とすところを見たのです。それで声を掛けたら……」
「先ほどのようになったという訳ですね」
物憂げな顔でこくりと首を縦に振る彼女は、妖艶ですらある。
(同い年とは思えないわ)
ついそう思ってしまった彼女は、目の前の事件に集中するため、頭を振ると、ベリンダについて最も気になっていたことを聞いてみた。
「先ほど、ハンカチの持ち主を聞いて驚いていらしゃったようですが、何故ですか?」
「あ、ああ。いえその、わたしはこの回廊でハンカチを拾ったのですが、確か黄色のドレスを着た方がハンカチを落とした、と思ったのです。だから、持ち主が違ってびっくりしてしまって」
ベリンダの発言にアイリーンは目を丸くして驚いた。彼女の話が正しければ、アイリーンの考えていた人物が犯人であることが確定する。
しかし、動機も分からない今は、決めつけは禁物だと思いなおし、アイリーンは令嬢Bの聴取を行うことにした。
青のドレスをまとった令嬢Bがアイリーンの目の前に立つ。
「次は、オリーブ・ウッド子爵令嬢ですわね。貴方はジュリアナ様とずっと一緒にいらっしゃったのですか? ジュリアナ様のハンカチを最後に見たのはいつでしょうか?」
「ジュリアナ様が来られてからはずっと一緒でしたわ。ハンカチは……お手洗いに行かれた時に見ましたけれど、そこからは見ていません」
オリーブは気の弱そうな令嬢で、ソバカスが特徴的だった。緑がかったブラウンの髪が首元で揃えられており、物静かそうな印象を受ける。
しかし、発言は見かけによらずはっきりとしている、アイリーンはそう思った。
「そうですか。ちなみに、ジュリアナ様のハンカチは贈り物だそうですが、どなたからかはご存じですか?」
「ええ。お兄様からと聞いています。ジュリアナ様はとても喜んで、私たちに教えてくださいましたもの」
「そうなのですか。お兄様とはよくお会いになるんですか? どんな方ですか?」
アイリーンがそう尋ねると、彼女はきょとんと目を丸くして小首をかしげながらも答えてくれた。「何故そんなことを聞くのだろう?」と彼女の顔は物語っていたが。
「いえ。時々茶会に窺うと、ご挨拶に来られたりする程度ですわ。とても、お優しい方です」
「そうですか。分かりました」
アイリーンはそう言って、しばし頭を整理する。
(分かったわ。この事件の真相が。それと、恐らく動機も……どうするのが良いのかしら?)
川の砂利から、淡く光を放つ原石を濾して掬い上げるような心地で、それぞれの証言を精査する。
彼女は最後に令嬢C、ヘレン・リース子爵令嬢を呼び出した。
随分と思い詰めているのか、血色の悪い青白い顔で、不安げな様子のヘレン。黄色のドレスに似合う、本来の明朗な表情はすっかりなりを潜めていた。
「何か私に言いたいことはありませんか?」
アイリーンの冷静な声が凛と響く。ヘレンはびくりと体を震わせ、泣きそうな顔をして彼女を見る。
「い、いいたいことですか?」
「はい。私はこの事件の真相がわかったのです。ですから、是非貴方に自分の口で彼女たちに伝えてほしい。友人、なのでしょう?」
彼女がそう言って、少し表情を緩めて微笑む。
怯えたように震えていたヘレンだったが、次第に覚悟を決めたようだった。しっかりとアイリーンを見据える。
「……はい」
「皆さん。ヘレン様からお話があるようです」
アイリーンはヘレンを連れて令嬢たちの前に立つ。
「ジュリアナ様、ベリンダ様、ごめんなさい! 私が、ジュリアナ様のハンカチを」
「ヘレンが盗んだの? どうして!? 親友だと思ってましたのに!! あのハンカチが私にとって大切なものだと知っていたはずでしょう!?」
ジュリアナの怒気をはらんだ声が、中庭に響く。
「あ、その……」
責められて辛くなったのか、言葉が出てこないようで、ぱくぱくと金魚のように口を動かすヘレン。そこへアイリーンが助け船を出す。
「そもそも、前提が間違っていたのです。このハンカチは、最初にジュリアナ様がトイレで落とし、ヘレン様が拾った。最初から窃盗事件なんかではなかったのです」
「ではなぜすぐに返さなかったのですか? 私の名前が刺繍されていることは知っていたはずですし、見たこともあるはずなのに」
「そうですわ。それに、何故今、ベリンダ様がハンカチを持っていたのですか?」
ジュリアナとオリーブは驚いた顔で疑問を口にする。
「それは……ヘレン様、いいですね?」
「はい。ジュリアナ様、ごめんなさい。私、お兄様のことが好きなのです! いつもお優しく声をかけてくださるうちに、好きになってしまって……」
「えっ」
「あのハンカチを自慢されてから、ずっと羨ましくて……どんなお顔でこれを渡したのかしらとか、お声を想像してると、胸がきゅんとしてしまって……そんなことを考えていたら返すのが遅くなってしまって」
恥ずかしそうにもじもじと頬を染めて話すヘレンは、見るからに恋する乙女でいじらしい。
「まあ!」
「そうでしたの! その後、うっかりハンカチを落としてしまって、わたしが拾ったのですね!」
ベリンダとオリーブが、思わぬ恋バナに頬を染めている。
「そうなのです。本当にごめんなさい。まさかあんなにジュリアナ様がベリンダ様に怒るとは思わなくて。ベリンダ様もひどいことを言ってごめんなさい」
ヘレンが頭を下げる。今まで黙っていたジュリアナが、小さく震える様に声を上げる。
「ヘレン……どうしてもっと早くいってくださらなかったの! お兄様は貴方に会いに私のお茶会に顔を出していらっしゃったのよ! でも、全くそんなそぶりがなかったから、お兄様にもう来ないでいただこうと。そろそろ、お兄様の縁談も探していただく予定で……」
「えっ!」
「あらあら」
「まあまあ」
推理していたアイリーンも令嬢たちと一緒に驚く。流石の彼女もジュリアナの兄の気持ちまでは分からなかったのだ。
当のヘレンも驚愕の事実に赤面し、両手で顔を覆う。
「そんなことって……」
「……今度、お茶会をしますわ。お兄様も参加していただきます。——ヘレン、もちろん来ますわよね?」
「! ええ! ぜひ!!」
「もちろん。オリーブも来るわよね?」
「はい!」
三人の令嬢は、互いの手を握りながら微笑み合った。
そして、三人はベリンダに向き直って頭を下げる。
「ベリンダ様、勘違いでひどいことを言ってごめんなさい。アイリーン様もありがとうございます」
「いいえ。分かっていただけたならよかったです」
「でも、殿下のことは諦めないから! 今度は正々堂々と勝負よ!!」
きっ、と睨むように、宣戦布告するジュリアナ。
そして、彼女たちは帰って行った。
アイリーンとベリンダは顔を見合わせて笑う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます