ファイル8令嬢ハンカチ窃盗事件—前編—

 茶会を抜けたエドガーは、クラウスを連れて王宮内を歩いていた。

 彼は挨拶の途中で倒れてしまったアイリーンを、見舞いに行くために抜け出してきたのだ。

 アイリーンのいる客室は、ガーデンから回廊を通って対角の位置にある。


 彼らが中庭に面した回廊に差し掛かった時、客室を護衛していた騎士が声をかけてきた。

「アイリーン嬢が目覚めて、客室を出られました。ガーデンへ戻るとのことです」

「わかった。殿下、どうしますか?」

 クラウスが主へ伺いを立てる。


「丁度いいね。迎えに行くよ。彼女は今どこ?」

「はっ。中庭にいらっしゃるのですが、その……」

 騎士の言いよどむ様子に、エドガーとクラウスが顔を見合わせる。


「何かあったね?」

「はい。実は……ご令嬢たちが揉めている様でして、アイリーン嬢が仲裁に入った様子でした」

「へぇ」

「殿下……」

 じっとりと睨むクラウスの目をものともせず、エドガーは楽しそうな笑みを浮かべる。


「クラウス、行こうか」

「……仲裁に、ですよね?」

「もちろんだよ……危なくなったらね」

 にこりと笑みをたたえたままで歩き始めた。


 エドガーは思う。アイリーンの人間性を知るチャンスであると。

(見せてもらうよ。アイリーン嬢)


 彼らは回廊を進み、中庭に数人の令嬢を見つけた。声の聞こえるところから、そっと様子を窺う。




「ベリンダ様が私のハンカチを盗んだのです!」

 言い募る令嬢A、B、Cと手にハンカチを持ったベリンダ。

「それは、事実なのですか? ベリンダ様」

 アイリーンは真っ青な顔をしているベリンダを見る。


「ちっ違います!! わたしは、お手洗いに行こうとして、拾ったのです。前を歩くご令嬢が落としたので、お届けしようと」

「うそよ! 盗んだのでしょう! 顔だけ女!!」

 令嬢Aがベリンダへ詰め寄るので、アイリーンは慌てて間に入る。


「ちょっと落ち着きましょう? そういった暴言は言わないほうがよろしいと思いますわ。分かりました。中立な立場である私、名探偵アイリーン・ポーターがこの事件を解決して見せますわ!」

 ドレス姿で胸を張り、任せてと言わんばかりのキラキラした目でアイリーンは宣言した。


「えっ、あの、べつにそこまでは……」

 アイリーンの発言に令嬢Cが、焦った様子で口を開く。


「あら? 窃盗は罪ですわ。もしも本当にベリンダ様がなさったのならば、大変なことです。フォスター家の名誉にもかかわりますわ。ですが、これでベリンダ様が犯人でないならば、貴女方は失礼な発言に謝るべきだと思います」

「なっ」


「よろしいですね? ご令嬢方?」

「いいですわ! 事実だもの」

「わたしも調べていただいて大丈夫です。わたしは、やってません」

 令嬢Aとベリンダが首を縦に振る中、不安そうなB、Cも釣られる様に頷いた。


「え、ええ。ジュリアナ様がそうおっしゃるなら……」

「わ、わたくしも……」

 四人の了承を得たアイリーンは捜査を開始した。


(まずは現場の状況を捜査しなくては!)

 アイリーンは周囲を見回す。

 アイリーンの向かって右には令嬢A、B、Cが立っており、左側にはベリンダがいる。


 令嬢たちは一つの汚れも見られない、美しい煌びやかなドレスをまとっており、ベリンダの方はやや土埃のついた年季の入った流行おくれのドレスだが、形や色合いは大人っぽいベリンダによく似合うものだった。


(ベリンダ様のドレスは右側にだけ、土埃が付いているわ。靴も右だけ汚れている)

 ベリンダの周囲の芝生は、半径五〇㎝ほどの区間で集中的にこそげて、土が見えていた。


(状況を見る限り、暴力をふるったのは、令嬢A、B、Cの方ね。ベリンダ様は右を下にして地面に倒れた)

 アイリーンは、痕跡を見ながら思考を巡らせる。


(先ほど聞こえた話はどう見ても多対一でベリンダ様を蔑んでいたけれど、彼女の手にハンカチがある以上、これを盗んでいないと証明するのは難しいわ)

 アイリーンは、ちらりと令嬢たちの様子を覗う。

 怒っている者、冷静に成り行きを見ている者がいるなかで、青白い顔で、不安そうに時折ベリンダの手元を見ている者がいる。


(それに、罪の話を持ち出した時、一人だけ顔色が違う人がいた。まだ確証はないけれど、犯人は彼女……後は決定的な証拠が必要ね)


 現場検証を終えたアイリーンは、当事者たちの話を個別に聞くことにした。

「一人ずつお話を聞かせていただきますわ。まず、ハンカチの持ち主からお聞きしたいです。よろしいですか?」

「ええ。構わないわ」


 ハンカチの持ち主である令嬢Aが頷く。それを聞いたベリンダが「えっ?」と声を上げたので、アイリーンは不思議に思った。

「ベリンダ様、どうかしたのですか?」

「い、いえ。なんでもないです……」


 ベリンダはそれ以上言葉を発することはなかったので、アイリーンは一先ず令嬢Aの聴取に気持ちを切り替える。華やかな赤のドレスに身を包んだ縦巻きロールの伯爵令嬢は、気の強そうな目で真っ直ぐにアイリーンに対峙している。


「まずは、令嬢A……じゃなかった。ジュリアナ・デンゼル伯爵令嬢ですわね。確認ですが、ハンカチの持ち主ですか?」

「ええ。そうよ。このハンカチはお兄様にいただいたプレゼントだもの! ほら、ここに私の名前が刺繍されているもの。間違えるわけがないわ」


 そう言ってジュリアナは、ハンカチを広げてみせる。

 ハンカチの隅には、確かに金糸で彼女の名前が縫われていた。

「お兄様からのプレゼントなのですね。素敵なお兄様ですわね」

「そうなのよ! お兄様は殿下には及ばないけれど、とても素敵でお優しくて、私の友達がうちに来た時も親切にしてくださるの! とにかく素敵なのよ!!」


 ジュリアナは自分の大好きなものを自慢する子供のように、キラキラと目を輝かせながら、嬉々として語る姿は先ほどまでとは全然違う。

(お兄様が大好きなのね。本当は悪い子ではないのかもしれないわ)

 アイリーンは彼女の様子を見て、そう思った。


「ハンカチは、いつからなかったか覚えていますか?」

 ジュリアナはぼんやりと上を見つめて、思い出すように頭をひねる。

「確かお手洗いに行ったときに使ったから、その後だと思うわ」


「お手洗いに行ってからの行動を教えてください」

 ジュリアナの行動を聞くと、基本的には他の令嬢たちとの交流や歓談が主であるようだった。はっきりと言うならばエドガー殿下の取り巻きである。

 彼女は少し休憩のために、他の令嬢二人と一緒に抜け出して、王宮を散策することになり、中庭に面した回廊を歩いていた。

 そこへハンカチを持ったベリンダが声をかけてきて、先ほどの流れになったようだ。


「なるほど。ありがとうございました。次は、ベリンダ様に話を聞きますわ」

 アイリーンは顎に手を当てて、ジュリアナの話を思い返し、鼠の回す滑車のように急速に頭を働かせながら、次はベリンダを呼び出した。

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