第28話 居候

「初めまして。和樹さんの家に居候させてもらっています、アンナ・フルレアと申します」


 淡い青色の少女は道場の床に膝をつけると、三つ指を立ててお辞儀する。


 そ、そんな畏まられるとこっちが恐縮するんだが……。


「アンナっち、紹介するッス。こちらが俺がお世話になってる先輩で、隼垣涼一郎さん。そんでこちらが、隼垣さんの妹さんでユリア・アメリアーナさんッス」


「よろしく、フルレアさん」


「ど、どうも……」


「こちらこそ宜しくお願いします。涼一郎さん、ユリアさん」


 フルレアさんの表情は相変わらず感情を読み取れないが、歓迎してくれているのは何となく伝わってくる。


「和樹さん、涼一郎さんとユリアさんの分のお茶も入れてきます」


「あ、俺も一緒に」


「いいえ、大丈夫です。和樹さんは待っててください」


 フルレアさんはぺこりと会釈して道場から母屋の方へ向かっていった。


「いい子だな、フルレアさん。あの子、居候してるのか?」


「あ、はいッス。実は一週間ほど前に、家の前で倒れているのを偶然見つけて。怪我をしてたんで保護したんスけど、どうやら記憶喪失らしいんスよ」


「記憶喪失、ですか……?」


「フルレアっていう名前以外ほとんど覚えてなかったんス。テレビを見れば箱の中に人が閉じ込められてるって言いだしたり、車やバイクに驚いたりして」


「それは記憶喪失だな……」


 つーか、俺がひそかにユリアに期待していた反応だった。


「彼女、身元がわかる物を何も持っていなかったし、お医者さんに診せても記憶喪失の原因がわからなくて。だから、記憶が戻るまでうちで預かることになったんスよ」


「なるほどな」


 こういうこと、実際にあるんだな。フィクションの中だけの話だと思っていた。


 ……いや、それを言ったら異世界転移の方がよりあり得ねぇ話だけども。


 しばらく和樹と話していると、母屋の方から急須と四人分の茶碗をお盆に乗せてフルレアさんがこっちに歩いてきた。


「アンナっち! 俺も手伝うッス!」


 すかさず和樹がフルレアさんに駆け寄っていく。フルレアさんは「大丈夫です」と手伝おうとする和樹に言っているようだが、「まあまあ」と和樹はフルレアさんの持つ盆から急須を持つ。


 無表情なフルレアさんだけど、「まったくもぅ……」と少しだけ微笑んだように見えた。


「仲良いな、あの二人」


 俺の言葉にユリアはこくりと頷く。


 けれど、その表情はどこか戸惑っているような険しいものだった。


「ユリア? どうしたんだ……?」


「あ、いえ、その……フルレアさんなんですけど」


「フルレアさんがどうかしたのか?」


「…………いえ、何でもありません」


 ユリアは首を横に振って微笑むと、それきり黙りこくってしまった。


 どうしたんだ?


 気になったが、和樹とフルレアさんがお茶を持ってきてくれたから聞くタイミングを逃してしまった。まあ、ユリアが何でもないって言うなら何でもないんだろう。


 それからフルレアさんも交えて四人でお茶を飲んだ後、和樹との稽古を再開した。


 フルレアさんもユリアと共に見学する中、俺と和樹の稽古には段々と熱が入っていった。


 お互い、良いところを見せたい相手が見学していたからな。


 終盤は手合わせ中心になっていって、なかなか熱い試合もできた。


 まあ、十戦して十敗だったわけだが。


「くっそ、一つも取れないとか情けねぇー」


 せめて一勝くらいしてユリアの前でかっこいい姿を見せたかったのに、和樹の奴フルレアさんの前だからって本気になりやがって。


 何となく稽古のおかげで防御から攻撃への切り替えのコツを掴めたような気もするが、このていたらくじゃ身に付いたかわかんねぇよ。


「お疲れ様です、おにいちゃん。すごくかっこよかったですよ」


「ありがとう、ユリア。気を使ってくれてサンキューな」


「ふぇ? わたしは気を使っているわけでは……」


「くっそー! 次は勝つからな、和樹!」


 太陽も傾き始め帰ることにした俺たちを、門の前まで見送りに来てくれた和樹に宣言する。次はいつになるかわかんねぇけど、必ずリベンジしてやる……!


「了解ッス。あ、次って明日とかッスか?」


「いいや、ちょっといつかわからん。またすぐ向こうに戻らなくちゃなんねぇし、明日はユリアにこっちを案内する約束してるんだ」


「そうなんスか⁉ 実は俺も明日、アンナっちに街を案内する約束してるんスよ」

「そうなのか? それは奇遇だな」


「もしよかったら一緒にどうッスか?」


 和樹に誘われ、俺は「そうだなぁ」と考える。


 ユリアを見ると、彼女は俺を見上げて小さく頷いた。


 まあ、ユリアがいいなら別に構わないか。


「わかった。それじゃ、明日駅前に集合な」


「はいッス!」


 こうして俺たちは、明日の約束を和樹たちと交わして帰路に就いた。


 夕暮れの見慣れた近所の道をユリアと一緒に歩く。出会った頃には想像もしなかったようなシチュエーションだ。


「……もし、わたしとお母さんがこっちの世界に住んでいたら。こうやっておにいちゃんと一緒に帰ったりしてたんでしょうか」


「そうだなぁ。きっとそうなってたと思うぞ」


 学校からしばらくは皆月や杏璃も一緒かもしれないが、この辺りまで来ると俺とユリアの二人っきりになるだろう。


 学校での他愛のない出来事や勉強の話なんかをして、今日の夕飯は何かなぁと腹を空かせながら歩いていたかもしれない。


 家に帰れば、親父とソフィアさんが夕食の準備をしてくれているだろうか。


 なんつーか、すごく家族っぽいな。〈エンテゲニア〉でも一緒に食事したりはしてたけど、こっちの方が俺のイメージする家族って感じだ。


「ただいま!」


 俺は期待に胸を膨らませながらユリアと共に帰宅した。


 ……のだが、


「あ、お帰り涼一郎。遅かったわね」


「りょー君、ユリアちゃん、お帰りー」


 なぜかリビングには皆月と杏璃が居た。


 キッチンで夕食が作られている様子はなく、親父とソフィアさんの姿はどこにも見当たらない。


「なあ、親父とソフィアさんどこ行ったんだ?」


「温泉旅行よ」


「……は?」


「えっとね、総一郎さんの会社が温泉のペア宿泊券を3枚用意してくれてたみたいで」


「うちの両親と杏璃の両親を連れて行っちゃったのよ。けっこういいところの旅館らしくて、パパもママも大喜びでついて行っちゃったわ」


「マジかよ……」


 日本での家族団らん、ちょっと楽しみだったんだけどな……。

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