第17話 俺を信じろ

 水瀬皆月との出会いは、小学校四年の時だった。


「アメリカからキマシタ。ミナツキ・水瀬デス。よろしく、おねがいしマス」


 真っ黒な髪に焦げ茶色の瞳。どこからどう見ても日本人な少女は、その頃まだ日本語があまり得意ではなかった。


 水瀬皆月は帰国子女だ。両親は日本人だがアメリカで出会い現地で結婚。そのまま皆月が十歳の頃までアメリカに住み続け、仕事の都合で俺の家の近所に引っ越してきた。


 皆月は良い意味でも悪い意味でも目立った。日本人の見た目で片言の日本語。運動神経は小学校当時男子を抜いて学年トップ、勉強も努力家な面があり日本語に触れてこなかったというハンデを持ちながら常に学年一位を独走した。


 それをよく思わない奴は少なからず居た。俺が容姿や片親のことで虐められたように、皆月は片言の日本語を馬鹿にされた。


 俺はじっと我慢するタイプだったが、皆月は真っ向からバカにしてくる連中に立ち向かった。クラスの違う俺と杏璃が後から聞いた話では、男子数名を相手にかなりの大立ち回りを演じたらしい。そして馬鹿にしてきた全員を泣かせて勝ったという。


 水瀬皆月とはそういう女の子だ。相手が誰であろうと歯向かってきたら立ち向かう。立ちはだかったら捩じ伏せる。教師だろうと親だろうと関係ない。自分の正義を貫き通す。


 そんな彼女の涙を、俺は見たことがなかった。


「あたしを殺して、涼一郎」


 震える声。色を失った双眸からはとめどなく涙が溢れ、頬を伝って顎から滴り落ちる。


 なんだよ、これ……。


 皆月の持つ日本刀から滴り落ちる血液。


 血の海に沈む杏璃。


 かろうじて息があるのか胸がかすかに上下しているが、それももはや時間の問題だろう。


 状況は明らかだ。疑う余地もない。


 皆月が、杏璃を斬った。


 ……なわけ、ねぇだろうが。


 皆月と杏璃を誰よりも近くで見てきたのは俺だ。


 俺たちが幼馴染になったきっかけは家の方角が一緒だったことだ。俺と杏璃と皆月の三人で登下校をするようになって、気付けば互いの家を行き来し常に一緒に居るほどの仲になっていた。


 先に皆月と仲良くなったのは杏璃だった。日本に不慣れな皆月を、杏璃は色々な所へ引っ張り回した。ノリと勢いで生きる杏璃の手綱をシッカリ者の皆月が握る。そんな関係がいつしか出来上がっていて、いつしか二人は大親友になっていたんだ。


 それを間近で見てきたから、わかるんだよ……っ!


「誰のせいだ。誰がお前にそんなことをさせたんだ、皆月!」


「…………もう、いや。もうあたしに生きる意味なんてない……」


「しっかりしろ、皆月‼」


 皆月はぎこちない足取りでふらふらとこっちへ近づいてくる。


「い、いや! やめてっ! これ以上あたしに斬らせないで‼ お願い、お願いよっ! お願いだからっ……!」


 言葉とは裏腹に皆月は血が滴る刀を構える。


 言動があまりにも合致していない。


 何者かに操られている。そうとしか考えられない。


「居るんだろう、ここに‼ 皆月を操っている奴が! 出てきやがれ‼」


『くふふっ。おやおやまあまあ、これはこれは。異世界人がこれで三人。それもどうやら、あの憎き勇者の知り合いのようですねぇ』


 どこからともなく声が響いた。自称神の声とは違い、頭ではなく耳に響く。だが、姿は見当たらない。おそらくスキルか何かで隠れているんだろう。


「テメェか。俺の幼馴染を傷つけやがったのは……‼」


『私の名はアドラス。デーモン31柱の内の1柱を務めております。どうぞお見知りおきを。くっふふふふ』


 デーモン31柱。親父が言っていた魔人族か!


「お前が皆月に杏璃を傷つけさせたのか‼」


『傷つけさせる? なんのことだかさっぱりですねぇ。くふふっ。そこにくたばっているお嬢さんを切り刻んだのはそちらのお嬢さんですよ? くっふふふ』


「ちがう……、あんたがあたしの体を――」


 シュンっと風を切る音が鳴った。


 刀が振り下ろされ、皆月のふくらはぎをざっくりと切り裂く。


「つぁっぁああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼」


「皆月‼」


 皆月は自分自身の足を切り裂いた。血がとめどなく溢れ、目からは涙が、口からは唾液が流れ出る。激痛のはずなのに、皆月は歩みを止めない。止めることができない。


「クソが……‼」


 強く噛み締めた歯がガリッと嫌な音を立てる。握りしめた手からは爪が皮膚に突き刺さって血が流れた。ふざけやがって……‼


『くふふふふっ‼ ちょうどいい、グランドフィナーレといきましょう。その男もまた、貴女にとっては特別な人間のようだ。その男を切り刻み、殺せば貴女の心は完全に壊れてしまうことでしょう。待ちきれませんねぇ! くふふっ、くふふふふふふっ‼』


「あたしを、殺して。逃げて、涼一郎……」


「……逃げるわけ、ねぇだろ」


 杏璃はかろうじて生きている。皆月はアドラスに体の自由を奪われたままだ。


 そんな状況で背中を向けて逃げろ? できるわけねぇだろ‼


 ……見捨てられるわけねーだろうが。お前らは大事な幼馴染なんだよ。


 命を賭けたっていいと思えるくらい、大切な存在なんだ。


 だから、


「絶対に死なせねぇ。死なせてたまるかよ。――俺を信じろ、皆月‼」


「涼一郎……」


「必ず助ける。お前も、杏璃も!」


 親父からもらった剣を鞘から抜く。なんの変哲もない鉄の剣だ。


 その剣で、皆月が振るう刀を受け止める。金属同士がぶつかる音が響きあい、剣を握った手が痺れた。


 もともと運動神経抜群な皆月が、体の限界を無視した力の強さで刀を振るってくる。受け止めるだけでも衝撃に身が竦みそうになる。


 それでも……‼


『くふふっ。どうやって助けるつもりですか? そうやって剣で受け止めているだけではどうにもできないでしょう? くふふふふっ』


「うるせぇ、黙れ……! てめぇにかまってる余裕はねぇんだよっ‼」


『くふふっ。どうやらもう限界みたいですねぇ。では、こういうのはどうです?』


 おもむろに、皆月が左足を後ろへ引いた。半身の体勢になり、刀を水平に構える。


 ――突き。


 刀の先端が俺の胸へ向かって突き出される。


 ……それを待っていたんだ。


 突き出された刀は俺の右胸を貫く。


 肉が裂かれ、内臓が貫かれる異物感。初めに感じたのは熱さだった。続いて追ってくるように痛みと、気管から血が込み上げ口から溢れ出す。


「涼一郎……‼」


「まだ、だ……!」


 俺は刀を握る皆月の手を掴んだ。


 熱い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイ‼


 激痛が全身を駆け巡る。


 それでも……‼ 皆月と杏璃の痛みに比べたら‼


「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ‼‼‼」


 一歩を前へ踏み出す。皆月の手を掴んで引き寄せる。


 刀は背中を突き破って深々と俺の胸に刺さった。


 構うもんかよ……ッ‼


 手放してしまいそうな意識を必死につなぎ止め、さらに前へ。


 最後の力を振り絞って、皆月の頭を引き寄せる。


「りょういちろぉ……!」


「よく頑張ったな、皆月。あとは、俺に任せろ」


 彼女の唇に唇を重ねる。


 ――スキル〈異性とキスしたら3分間だけ無敵になる〉を発動。


 アドラス。


 皆月と杏璃を傷つけたお前は、殺す。

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