第3話 その特訓の機会は割と早く訪れた
その特訓の機会は割と早く訪れた。その二か月ぐらい後、次に俺がその少女にあったのは通学電車の中だった。
鬼都市の中心にある鬼都学園の通学電車は、いつも殺人的に混んでいて、俺はいつも閉口している。
もっとも、鬼都学園に通う生徒の家柄は、この市の支配者階級であり、大抵、車で通学していて、鬼都学園の制服姿は電車の中でもまばらなんだが。
その少女は、今まさに恐怖と不安を感じていた。
彼女は、お尻に手が当たる感覚に、心臓が縮こまっていた。
「まさか、これだけ混んでいるんだから偶然よね……」
少女は自分に言い聞かせているが、その手がどんどん大胆に動くようになり、すでに、お尻を撫で回している状態であった。
「これは、絶対に痴漢だわ。声を上げなくちゃ」
しかし、気持ちに反して声が出ない。近くにいる何人かの友達の方を見るが、友達も下を向いて気が付かないふりをしている。
何人かが同じような態度をとってしまえば、気が付かないふりをするという空気がその場に流れ出す。その空気を感じ取ってしまうのが、少しその場から離れた俺であった。
俺は、その空気の起点を探る。
「うん? 何に気が付かないふりをしているんだ。そうか友達が痴漢に遭っていることにか」
俺は、慌ててその空気が漂っている場所に行こうとするが、満員電車のため、まったく身動きが取れない。それでも、何とか行こうと体を人と人の間にねじり込ませ、周りから疎ましそうに見られだしているが……。
「はん、疎ましがられる空気に晒されるのは慣れているぜ。この程度の空気はあえて読まない」
さらに抵抗を増した人の壁に、俺は強引に体をねじり込んでいく。
一方、少女は、焦っていた。スカートを捲りあげられ、下着の上から、太ももと言わず、お尻と言わず、痴漢は、下半身を撫で回しはじめたのだ。
「もし、私がここで声を出せば、こんな恥ずかしい恰好が、周りに気づかれてしまう……」
少女は、震える手に持っていたスマホでメールを送る。
「助けて、痴漢に遭っています」
そのメールアドレス先は、鬼都学園の生徒会宛である。
高等部一年で、すでに副会長に座っていた一条院が、電子目安箱と称して、困ったこと、訴えたいことがあれば、遠慮無く送ってくるように、と鳴り物入りの事業として始めていたのだ。
最初の内こそ、一条院への愛の告白メールが多かったらしいが、一条院一覇の一言で、それらは一気に収束して、それ以後はほとんどメールが来なくなって、いつの間にか忘れ去られた開店休業の状態が続いている電子目安箱だった。
そんな、どうでもいいメールアドレレスを緊急用のアドレスに登録していた少女だったのだか……。
そのメールを受け取ったのは、通学途中の高級車に乗る一条院であった。
彼女はそのメールを受け取ると、苦虫を噛み潰したような顔をして、運転手に告げる。
「今、走っている北東鬼都線の通学電車が次に就く駅に車を回しなさい」
「お嬢様、北東鬼都線は、現在、路線上に二本走っていますが、どちらの電車の最寄りの駅にいたしましょうか?」
「ちょっと待ってね。そうね。後の方が快速で、止まる駅が少ない。鬼都学園前に就くのは、快速の方が早いわけね。それに電車のドアが開かないという事は痴漢もしやすい。
山田、鬼都緑地公園駅に行ってちょうだい」
「かしこまりました」
彼女は、運転手の山田の返事に大きく肯き、メールで返信する。
「鬼都緑地公園駅で降りなさい。それに、最後は必ず正義が勝つのよ」
絶望的な状態の少女の手に希望が届いた。すぐに、スマホを開けて、そこに書かれている文字を読みだす。
そして、メールを開いた瞬間、満員電車の中の空気が変わる。正義は最後に勝つ。なら、悪はどこに居るんだ?
俺は、車内の空気の変化を微妙に感じ取った。
ヒーローを臨むこの空気の起点となる場所へと道が開けていく。目の前の人の壁の抵抗が無くなり、急に開けたことに感謝する。そして、躊躇なくその隙間を通り抜け、少女の背後に張り付く五〇代位の男の腕を取り、背後にねじり上げてやる。
「おっさん、どこに手を突っ込んでんだよ! この痴漢野郎が!」
男は、必死に抵抗を試みるが、俺が、がっちり固めた腕は、びくとも動かない。
「関節技も練習しておいてよかったぜ。おっさん、次の鬼都緑地公園駅で降りてもらうぜ」
「やかましい。お前ら金持ちが俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ。だから、その復讐でその女の人生をむちゃくちゃにしてやるんだ」
俺は、なおも抵抗する男の右腕をねじり上げ、左腕と首を極めて締めにかかる。
「言いたいことが在るなら、警察に言ってくれ。おっさんの人生なんて俺には興味がない話だ」
それでも、男はまだ抵抗を諦めない。唸り声を上げてわめき散らし始めやがった。
「そこの女の親父の会社で、リストラされたんだ! 三〇年間、粉骨砕身、この身を会社に捧げて来た俺に、こんな仕打ちをする人でなしどもが!」
やれやれ、この叫びはこの男の切り札だったのだろう。哀愁漂うサラリーマンの末路の姿。しかし、それでも同情するような空気は流れない。すでに電車の空気はこの男を悪と断罪しているのだ。
「はあ、そう言うのは、逆恨みって言うんだろうが!」
「待って」俺の制服の裾を引っ張り躊躇している女の子。
「私の前のお父さんも、会社を首になってこの鬼都市を憎んでいたの。それで警察官を襲って拳銃を奪ったまま、蒸発してしまったの。すごく私には優しかったのに……。だから、この人もそんなに悪い人じゃないと思うの……」
「でも、今ここで許しても周りがなあ……。罪に対する罰は必要なんじゃないか?」
「でも……」
こそこそと話す二人の会話の最中にも、周りの人たちは。目の前の悪を断罪する。みんな自分の正義に酔っているみたいだ。
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