第2話 その後ろ姿を眺めながら
その後ろ姿を眺めながら、俺は、一条院と絡んだ過去を思い出していた。
幼い頃から周りの空気を読まない自分勝手な子どもという評価によって、周りから避けられるように生きてきた俺。
その実は、俺は、体質としか言いようがないが、幼い頃から人一倍、場の空気を敏感に感じることができるために、色々ちぐはぐな行動を採って来てしまったことが原因なのだ。
それにしても、なぜ、あの時、あんな行動を採ったのか、いまだ理解できないでいるのだが……。
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それは、まだ俺が、鬼都学園高等部の一年になったばかりの頃、町をブラブラ歩いていた時、とてもかわいらしい女子中学生が、三人の不良に絡まれている所に出くわした。
どうやら、絡まれているのは、着ている制服から、鬼都学園中等部の子みたいだった。
「ねえねえ、俺たちともっといいところに遊びにいこうよ」
「お断りします」
「またまた、そんなこと言って、だって、ひとりでこんな所で立ってるなんて、俺たちに声を掛けてもらうのを待っていたみたいじゃん」
「違います。わたし、友達と待ち合わせしていて」
絡まれている女の子は、不安そうに遠巻きに見ている女の子の方を見た。しかし、その女の子は、小さく首を振って、その場所からスッといなくなってしまった。
「その子も一緒でも構わないよ。どこに、待ち合わせたお友達がいるんだよ? もう、いいからさっさと俺たちに付いて来ればいいんだよ!」
その場の空気は、関わり合いにならないようにという空気一色に染められている。
その空気を感じ取った俺は、あえて、空気を読まずに、その不良たちと少女の間に割って入ってやった。
「おい、止めてやれよ! 彼女、怖がっているじゃないか」
「ああ、なんだ。こいつは?」
「出た、出た。正義の味方を気取るヒーローが」
「粋がって、飛び出してきやがって、怪我する前にさっさと消えろよ!」
三人の不良が、俺を威嚇する。もっとも、俺も三人相手に何とかなるとは思っていない。
周りの空気も、俺が三人に袋叩きにされることを予想している。
(ちっ、周りも、俺が袋叩きにされるのを期待してやがるのか。ここは、勇気を振り絞って出て来た正義の味方を応援するところだろうが!)
俺の心の声も届かず、俺は周りの期待通りに三人に袋叩きに遭い始めた。
顔面を殴られ、口の中を切り、転がった所に、嵐のような蹴りを入れられる。せめて、女の子がこの間に逃げてくれれば……。しかし、そんな願いも、女の子は不良のひとりに腕を握られ、恐怖に固まったまま、身動きもできないでいる。
俺だって、溝打ちを蹴り込まれ、食道に熱い物が逆流してきているんだ。
(ちぇ、結局、俺はなんの役にも立たないか)
そう思った時、周りの空気が突然変わる。
「最後には、必ず正義が勝つ!!」
なんだ、この空気は?
俺は、空気が変わった起点を鋭く睨む。そこには、信号待ちで黒塗りの高級車が止まっている。真っ黒なウインドゥシールドが張られた後部座席の窓が少し空いていて、学校で何度か見たことがある女の子がこちらを見ている。
その女の子こそ、一条院一覇であったのだ。
(まったく、鬼都学園の制服を着た生徒が、喧嘩をしていると思ったら、ボコボコにやられているのかしら? あれじゃあ、多勢に無勢じゃない。女の子を逃げられないようにしている所を見ると、きっとボコボコにしている三人組が悪者ね。許せないわ、悪が勝つなんて)
たまたま町に出て、九鬼が喧嘩をしている場面に居合わせた一条院は、車の中で自分の口癖を呟(つぶや)いていた。
「最後には、必ず、正義が勝つのよ」
その瞬間に、俺は今までの日和見的な空気が、ガラッと変わったのを感じた。
そして、不良たちの一方的な蹂躙に晒されていた俺は、蹴りの止まった隙を見て、体に力を込めて、フラフラとしながら立ちあがった。
体の内から、どういう訳か、力が漲ってくる。
口元から流れる胃液が混じった血を拭いながら、俺は、「まだ、やれる」となぜか確信でき、思わず口元が緩み口角を上げた。
そして自分でも意図しない出まかせが、口から飛び出す。
「ヒーローっていうのは、どんなピンチに立ったって、最後には立ち上がるもんなんだ」
そう言って、三人の不良を睨みつけてやった。
でも、三人の不良は、もうその時点では、完全に周りの空気に気圧され、戦意を喪失している。まさに自分たちを取り巻く不利な空気に対抗できず、白旗を上げているのだ。
「はん、ヒーロー気取りの坊ちゃんが! 今日の所は許してやる。次にのこのこ出てきやがったら、殺すからな……」
最後の方は、もう言葉にならない。どっちがやられたのかも分からないぐらい焦心していて、まるで捨て台詞を吐くという、敗者のノルマをこなして、ほうほうの体で逃げていく。
「はん? 訳わかんね」
俺も、言われたセリフは心外だとバカらしくなったのだが、それでも自分の身体を確認してみる。何とか漲っている力のおかげで体が動くし、傷もすっかり癒えているようだ。
その間に、一条院が乗った車が動き出した。
その途端に、再び場の空気は、事なかれ主義の無関心であろうと形創っていた。
(おいおい、悪者は去ったんだぞ。この子、誰かが声を掛けてやらないと、このまま、固まったまんまだぞ)
俺は、流れる空気に飽きれながら、怯えて震える女の子の方を見た。
割って入った時は、そこまで見ていなかったが、大きな瞳に涙を溜め、小動物のように怯える女の子は、可憐な美少女で、飛び抜けた容姿を持っている。
(なるほど、不良が目を付けるわけだ)
俺がそんなことを考えながら、少女を見ていると、顔を上げた少女とお互い目が合ってしまった。目と目が合った瞬間、慌てて瞳を伏せる少女。
(あれ、なんか傷つくんだけど)
俺の考えが顔に出ていたのか、その女の子にいきなり謝られてしまった。
「ご、ごめんなさい」
「構わないよ。俺、目つきが悪いから」
「でも、助けてくれた人に、こんな失礼なことをしてしまって」
「大丈夫だって。それよりどこも怪我してないか? 痛い所は?」
「あっ、はい。大丈夫です」
「そうか。それはよかった。じゃあ気を付けて帰れよ」
再び、歩きだそうとした俺を、彼女は呼び止めてきた。
「待って、血が出てる……」
ハンカチを取り出し、俺の顔に近づいてくる。こんなに近づかれると、こっちの方が気恥ずかしい。
「いいって。ハンカチが汚れるって。こんなのツバを付けとけば治るんだから、気にすることはないよ」
「……でも……」
俺は、なにか言おうとする少女を振り切って歩き出す。内心は名前を告げず、その場を離れるなんて少しヒーローほいと自画自賛してしまった。でも世俗的なことも同時に考えてしまうのだ。
「ああっ、名前ぐらいは聞いておくんだったかな? まあ二度と会うこともないか」
俺は、あえて空気を読まないで採った自分の行動と、突然、自分を取り巻く空気が変わったことについて考えていた。
「別にヒーローを気取ったわけじゃないしな。あの場の空気にちょっと逆らいたくなっただけなんだ」
そう呟くと、擦り切れて血が滲んでいるほほを掻きながら、歩いて行く。
その後、そのふがいなさに心機一転、俺は筋トレと格闘技の練習を独学で始めたわけだ。
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