第10話 人間と悪魔

「ねえ、そこで何してるの?」

 アリスは裏の世界に居て、そこには人間はいないはずだった。


「……あなたこそ何をしているのよ」

 そう言ったアリスの身体はぼろぼろで、幼いころのリリィには見るのも耐えがたいような様子だっただろうに、彼女はアリスに近寄り、包帯をグルグルと巻き始める。何が起こっているのか分からないアリスに、リリィは笑って言う。


「あなたが傷つけられるいわれはないんだから、堂々と手当てを受けてよ」


「……私は、出来損ないだから仕方ないのよ。悪魔なのに、人間みたいに他人を傷つけることが心に響いてしまうの……」

 それを聞いてリリィが言った言葉は、アリスの宝物だった。


「それっていいことじゃない」

 今までの全部を肯定されたような気持になり、アリスはその時初めて涙を流した。



 次の日も、その次の日も、リリィはアリスに会いに行った。

「あなた、人間が来るような場所じゃないのよここは」

 アリスが言うと、彼女は笑って言う。


「じゃあ、あなたがいる場所でもないんじゃないの?」


「いいえ、私がいる場所よ」


 どうして? と透明感のある瞳で聞いてくるリリィに、思わず言葉が滑る。


「私の両親は、人間に殺されたのよ。とっても優しい人たちだったわ。

 人間界に出て人間と仲良くしようと試行錯誤してきたのに、人間はそれを無視して、両親を殺したわ。

 私は殺される直前に裏の世界へと両親に送ってもらって、事なきを得たの」


 だから自分は裏の世界で生きていくしかない、と、もう人間も何もかも信じられない、と言って泣くアリスに、リリィは言った。


「ねえ、私と戦わない?」

 突然の言葉に驚くというより呆れたアリスは、言葉を返す。


「そんなの、私が勝つに決まってるでしょ。悪魔なんだから」


「やってみないと分からないじゃない。それで、私が勝ったら、あなたを使い魔として表世界に連れて行くわ」

 それを聞いて、アリスはお腹が痛くなるほど笑い転げた。


「じゃあやってみなさい、人間。絶対負かしてやるんだから。私が勝ったら、もう付きまとわないって約束しなさい」

 それに軽く、それでいいよ、と言って、リリィは少し遠くに離れ、構える。


「これって悪魔との契約なんだけど、こんな軽く決めちゃっていいの?」

 アリスが思わず聞くと、リリィは大丈夫大丈夫、と軽くいなした。


「私はあなたを守るためならすごい力が出せそうな気がするの。だから、大丈夫。それに、これは契約じゃなくて、約束って言うのよ」

 そんなの何も大丈夫じゃない、と心の中で思っていても、希望を捨てることは出来なかった。


「それじゃあ、いくわよ」

 その瞬間、アリスの魔法がその周り一面に咲き誇った。闇魔法と光魔法を融合させた、アリス独自の魔法。

 花が咲くように闇が広がり、そのあとに花びらが散るように光が舞い踊る。その断片にでも触れれば体が吹き飛ぶような、そんな大技を彼女はかなり手加減して繰り出した。


 リリィがすうっと息を吸い込むのが目に入り、アリスは構える。すると、リリィは凛とした声で、精霊の歌を歌い始めた。


「何この声……」

 その歌は全てを食い尽くし、アリスの特大の魔法すらもただの芸術品へと変えてみせた。


「攻撃を無力化する魔法……?」

 アリスが呆然としていると、空間魔法で剣を取り出したリリィがアリスに剣を突きつけた。


「はい、私の勝ち」

 微笑んだ彼女は、世界の誰よりも美しく、誰よりも強い瞳を帯びていた。



 次に向かっているのは美食の町ということだった。

「いっぱい食べましょうね!」

 張り切ってお腹をさするアリスに、ミシェルが非情に声を掛ける。


「沢山食べるほどの食費があれば良かったんだがな」


「えっ?」

 笑顔のまま振り向いたアリスはミシェルが財布を裏返すのが見えると、絶望に顔を歪ませた。ミシェルは空の財布を振ってみせる。


「馬は貸してもらうということになったが、魔法の種は沢山買わなくちゃ危ないからな。この先は保存食で何とかするしかない」

 保存食をたんまりとウルにもらってきておいてよかった、と言って顔を緩ませるミシェルと対比して、三匹の顔が悲痛に歪む。


「これからずっと保存食だなんて冗談じゃないわ!」

 悲鳴のようにもらすアリスに、他の二匹が同意する。


「だからといってお金が湧いてくるわけじゃないだろ」


「それなら働けばいいのよね⁉」

 アリスが必死に言い寄ると、ミシェルは引き気味に頷く。


「そんなに食に煩かったっけ?」

 アリスに言うと、彼女は涙を目にためながら言う。


「だって! 美食の国に行くなんて機会、中々ないじゃない! あそこのご飯は美味しいって何度他の子たちに自慢された事か!」


「……まあ、保存食もいつまでもつかわからんし、とっておくに越したことは無いか」

 ミシェルが言うと、彼女らの表情がパッと明るくなった。


「わーい! 美味しいご飯! 美味しいご飯!」

 はしゃぎまわるアリス達を見て、ミシェルはやれやれ、と笑っていた。

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