第5話 暴食
「…ウエ…ゲホッ…ううん…」
臭い。胃液は嫌な匂いがする。何度も嗅いでも、慣れることはない。戻したものに、また吐き気は増幅されて、止まることを知らない。
「……ングッ…アッ…」
右手の中指を、喉の奥に突っ込む。反射的に迫り上がる胃の内容物を吐き出して、また指を。ただそれを繰り返す。食道まで詰まりきった食べ物を、トイレの中へ吐き戻していく。
「………ふぁ…終わった…」
やがて、胃液しか出なくなったら、終わる。荒くなった息を整えて、水を流し、洗面所で顔を洗う。下唇のピアスも忘れずに。念入りに。
「由衣ちゃん、大丈夫?」
女子トイレの入り口から、心配そうに顔を出す響さんと目が合う。整った眉は、不安気に八の字に下がっていた。
「えへ、ごめんなさい。大丈夫です!」
「ならいいけど…」
「まだ、ご飯ありますか?」
空腹。物理的に、強制的に作り出された空腹が、胃の中で乾いている。
「あるわよ。おいで」
「わーい!すぐいきます!」…
もう一度顔と手を洗って、鏡を見る。痩せぎす、という言葉が頭に浮かぶ。紅花さんくらいのスタイルになれたらいいのに、と無い胸のあたりに手を当てながら思う。
息はなかなか整わない。心配はかけたくない。美味しいご飯を作ってくれる響さんには、特に。トイレを出るには、まず落ち着かなければならない。由依は考える。鏡の中の、理想とかけ離れた自分の分身を見つめながら。
どうしてこんなことになってしまったのか、そんなことはとうの昔にわからなくなった。気づいたら食べて、吐いて、また食べて。食べることだけが楽しみだった。吐くのは、いつだって辛い。こんなに美味しいものを、食べられているのに。でも、足りない。だから、吐く。…
「戻りましたー!おかわり!します!」
…………食べることだけは、楽しい。
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