第3話 傲慢
銃撃、爆音がホールを支配している。背を丸めた男は、額に脂汗を浮かべながら、旅行鞄を抱えて必死に這いずっていた。
「くそっ…くそぉ…なんであんな優男一人に……」
仲間を構う暇はなかった。男に、その気もなかった。金を失うわけにはいかない。法の支配を失ったといえど、未だ金の力は絶大だ。いや、失ったからこそ、文字通り『なんでも手に入る』。
「これだけあれば再起できる…兵は金で雇えば…飯だって…」
「んふ、無様ですねぇ」
男は這いずりながら、背後の足音に気付いた。銃声は止んでいた。革靴の、コツコツとした音が、ゆっくりと近づいてくる。
「お仲間は皆死にましたよ。貴方のことを探していたようですが、何かお持ちで?」
「チッ…この化け物がぁぁ!」
男は立ち上がり、走り出した。裏口の扉はすぐそこだ。辿り着いて外に出ることで、男は救われるような気がしていた。それがなぜかは、男にもわからなかった。
「あ、走れるんですね」
二歩も走らぬうちに、銃声が一つ響いた。男は、右足の太ももにただならぬ熱を感じて、次の瞬間にはバランスを崩し、床へ倒れ込む。
「くそッ…クソクソクソ…」
「口が汚いですよ?お母様にお上品になさるよう、教わりませんでしたか?」
動かなくなった右足を引き摺りながら、男は仰向けになり、初めて声の主を見据える。薄明かりの中、過剰に散りばめられたピアスだけが不気味に光っている。線の細い、スーツを着た若い男は、視界の中ゆらりとこちらへ向かって歩いている。
「おやおや、大層大切にバックを抱えておられますね。何が入っているのでしょう?ボクに教えて頂けませんか?」
声の主は、男になんの恐れも抱かないというのように、ゆっくりと近づく。
「近寄るんじゃねぇ!」
近づいた顔に、咄嗟に唾を吐きかけた。それは男にとって、今できる最大の反撃だったのかも知れなかった。それが悪手だと、男が知ることはない。
ピアスだらけの優男は、ピクリと動きを止めた。拳銃を握る左手の甲で、これが何かわからないと言ったように、呆然と唾のかかった頬を拭う。
「……………………………」
ぼんやりとそれを見つめる優男に、男は罵詈雑言を浴びせる。自分でも何が言いたいのかわからず、ただただ今の現実を否定するかのように、捲し立てる。
「チクショウ。化け物が!なんだ!俺らが何したって言うんだ!てめぇと何も変わらねぇ!正義面してんのかどうかはしらねぇが、俺たちもお前も盗んで殺して生きてんだろ!ど畜生が!」
「………………ぁぁ」
返答がないことに、男は薄ら寒さを覚えた。同時に、右足の熱が痛みへと変わり始める。優男は、ゆったりと、幽鬼のように体を起こすと、今度は男の左足へ向けて銃を放った。
「…………」
「クソ…殺せ、殺せよ!楽しんでんのか?このサイコパス野郎が!くそッ」
「オレの…」
声音が違う。男は文字通り凍りついた。憎悪などと言うものではなかった。それは、男の経験したことのない、異様な圧力を持った感情だった。
「オレの、美しい顔を、汚したな」
口調の変化を認識したと同時、男の顔面に革靴がめり込んだ。両足を撃ち抜かれた男に、逃げる術はない。
「貴様のような豚が、このオレの顔を汚した?はははははははははははは。おい、巫山戯るなよ。せっかくこのまま殺してやろうと思ったのに、これじゃ許せないじゃないか」
男の顔に、ただひたすら蹴りが打ち込まれる。意識は既に朦朧としていた。蹴りは、止まない。血を吐いた気がした。歯が抜けたのかもしれない。痛みは、わからない。
「おい、豚。貴様の唾でオレのこの顔を、このオレの顔を汚した豚。楽に死ねると思うなよ。朝まで遊んでやるから、楽しもうぜ」
「ぁ…ぐあ…ひ…」
声が出たのかわからなかった。蹴りは止まない。ただ、無秩序に、幾度となく、それは降り注いだ。…
「あー…龍。もう他のフロアも終わってるって。さっさとそこのバック持って帰るよー」
「この、豚が…死ね…死ね…」
「あちゃぁ…めんどくさいなこれ。龍!もう死んでるし。そもそも顔の形も残ってないでしょ。あんたもう何時間蹴ってるのよ。朝だよー」
ピクリ。龍は動きを止めた。
「……ぁあ、ボクとしたことが。帰りましょうか。ほら、ここにバックはありますよ」
………
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