第1話 廃病院の昼
廃病院は閑散としている。割れた窓から吹き込む風は、春になったというのにまだ冷たい。元々待合だった、お世辞にも広々とは言えない田舎の病院の一角は、各々好きな時間を過ごす七人で埋まっている。
「今日のお昼、誰が作る?」
異様に美しい眼をした女性、『大井紅花』がソファに身を横たえたまま、気怠げに問う。声音は小さいが、この余計な音もしない静かな廃墟で意思疎通をするには十分だった。
「あたし、お肉がいいです!いっぱい!」
濃い紫の髪色をした痩せ型の、その病的な見た目に似合わない幼い声をあげたのは『市川由衣』。下唇の左側にはピアスがついており、それに窓の外から刺す光がキラキラと反射している。
「お前はまた食うだけ食って吐くだろ。もったいねぇよ。つうか、自分で作る気はねぇのか」
窓際、手持ち無沙汰なのか割れたガラスを両手で持て余している口の悪い男が、『跡部暁人』。目つきもすこぶる悪く、時代遅れの不良を思わせる。実際、彼の実情はそれとなんら変わるところがない。
「暁人さん、あたし料理できないの知ってるでしょ!前カレー作った時散々言ったじゃないですか!」
「あれは…たしかにちょっと食べるのに苦労したわねぇ。由衣ちゃん頑張ってたけれど…」
姿勢良く本を読んでいた女性が顔を上げ、ゆるやかな声音と共に由衣に苦笑を向ける。『雁夜響』は女性陣の中で最年長のせいもあってか、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。スラっとしたスタイルは、どこかファッションモデルを思わせるが、それにはあまりにも雰囲気が柔らかすぎるかもしれない。
「ボクが作りましょうか?ボクならフレンチでもなんでも、一級品をテーブルに並べて差し上げますよ」
甘ったるく、妙に芝居がかった声を発した美男子は、ホストのようなスーツ姿に身を包んだ『一条龍』。サラサラとした髪の隙間から見える両耳は、派手なピアスで埋め尽くされている。過剰なボディランゲージも印象的だ。
「…俺は嫌だからな。もう酔ってるし、めんどくせぇ」
「あんたはいつも酔ってるでしょ、おっさん」
紅花におっさんと呼ばれたのは、『塩谷元晴』。他のメンバーからすれば父親のような年齢だ。乱雑に放置された無精髭を撫でながら、彼はアルコールに侵された眠そうな目のまま虚空を見つめている。
「…僕も料理できませんからね」
「黒羽には期待してないから安心して。ていうか、もう響作ってよ。なんでもいいからさー」
そしていつも通りの紅花の提案に落ち着く。黒羽はこの問答も何度目かと思いを巡らすが、徒労だった。結局、料理が一番うまいのは間違いなく響だ。…要望を断らないのも、と後付けが必要かもしれない。
「いいけれど…私の料理ばかりで飽きないかしら?」
「あたしは賛成!響さんが一番上手だもん」
手を上げながら身を乗り出した由衣に、響があらあら、と口に手を当てながら微笑む。他のメンバーも特に異論を発するものはいない。皆、元より、そうなるだろうとわかっていたのだから。
「それじゃ、響おねがーい。なんか適当にあるもので作っちゃってー」
「わかったわー。ちょっと待っててね」
響が待合を出ていく。寝ぐらになっている廃病院は、生活を維持する上でそれなりの支度は十分だ。全て盗品なことは眼を瞑ろう。今の世の中、まともに手に入るものなど、数えるだけ無駄だ。黒羽は音もなく歩く響の背中をぼうっと見つめながら、思う。
暮らしが変化して、どれくらいが経ったろう。もはや曜日感覚や日付感覚など、とうに意味をなさなくなった世界で、我々は日々を生きている。奪い、殺しながら。
「黒羽さん、響さんが歩いてるの見るの好きですよね」
「ん?ああ、歩き方が静かで綺麗だから、なんか魅入っちゃうんだよ」
「響はスタイルいいからなー。尻でも見てるんでしょ、どうせ」
「品がありませんよ、紅花さん。その美しい瞳が悲しみます」
「うるせぇナルシスト」
食事へのワクワクを隠しきれないまま、嬉しそうな声を隠すこともない由衣と、対照的にどこまでも気怠い紅花の声が重なる。見た目にも対照的な二人は、内面に至っても対照的だ。お互いの持つ外見と内面のギャップさえ、見事なまでに。人格が入れ替わったら、どれほど違和感がないだろうと、黒羽は何度も思ったことがある。
「響ねぇはエロいよな。大人の色気って言うのか?ああいうの。…まぁそんなことよりゃ、飯の後の話しようぜ。今日はなんかやんのか?」
カラン。暁人が放り投げたガラスの破片が、透明な音を立てる。暇潰しに利用されたそれには、少量の血がついている。そんなことを、気にする人間はここにはいない。
「あー……特に不足してるものもないよねー。食べ物あるし、弾薬もあるし。もう近場に商売敵もいないし。避難所とかから依頼も来てないしー。暁人、平和を謳歌するってのはどう?」
紅花はいくらかからかうように暁人へ返答する。
「げっ。マジかよ。平和なんざクソ食らえだぜ。暇すぎて死んじまう。ねーさん、なんかねぇのかよ。どっか襲撃しようぜ」
「あんたは喧嘩したいだけでしょー。それならそこらへんのチンピラにでも殴りかかってきたら?私はわざわざ怪我したくないから、得るものが無いなら襲撃もする気はないの」
不服そうに口を尖らせる暁人に、紅花と由衣が苦笑する。暁人は視線を巡らせると、半ば眠りそうに半目になっていた黒羽へ言葉を向ける。
「黒羽ぁ。お前だって暇だろー?寝ちまいそうじゃねぇか。なぁなぁ、ねーさん説得してくれよー」
「僕が何言ったって紅花さんは動かないですよ。というか、紅花さんが人からお願いされて動くことなんてあります?」
「ふふっ、ボクは見たことがありませんねぇ。まぁボクがお願いすれば…」
「誰のお願いも聞かないわよ。私は私の好きなことをするし、したくないことはしなーいの。あとナルシスト、お前のは絶対聞かないから」
龍はあしらわれながら、仕方ないですねぇとでも言いたげに爽やかに笑っている。何も気にしていないだろう。彼にとって、彼は何より優れている。多少の粗雑な扱いなど、それを傷つけるには到らない。
「……んあ?なんだぁ、ウイスキーねぇぞ…おい紅花ぁ」
一人黙々とウイスキーを傾けていた元晴が、ロックアイスをカラカラと鳴らしながら紅花へと声をかける。呂律が回っていない。回っている時の方が珍しいが、それにしても今日は昼から深酒しているようだ。
「まだストックあるでしょ?おっさんしか飲まないんだから、自分で管理くらいしてよ」
「めんどくせぇなぁ…」
不満げにカラカラとまたグラスを鳴らして、元晴はそのまま寝ることにしたようだ。数秒も経たないうちに鼾が聞こえ始める。
「そろそろお昼できるわよー。食堂へおいでー」
待合の外、廊下の向こうから響の声が反響する。同時、由衣が椅子から飛び上がるように跳ね、満面の笑みで走っていった。他の面々も各々立ち上がり、伸びをするなり欠伸をするなり、昼食をとるべく食堂へ向かう。
「あ、紅花さん。元晴さんどうしますか?」
黒羽の前を歩き、待合を出かかった紅花は、横目に振り返りながら答える。
「おっさん、どうせ起きないでしょー。ほっといていいよ」
「…ですよね」
「さ、ご飯ご飯。今日は何かなー」
「響さん料理上手ですから、助かりますね。あー…由衣ちゃんあんなによそってる…」
黒羽の視界の先、食堂の扉の奥では、幸せそうに響から野菜炒めをよそってもらっている由衣が見える。人間のあれほど幸せな表情はなかなか見られないだろう。
「ほんと食費が嵩むわ…由衣…」
「おっ、襲撃の理由ができそうじゃねぇか!なぁ黒羽!」
後から歩いてきた暁人が、黒羽の肩に腕を回しながら、楽しそうに声をかける。
「まぁ…後で響に食材の残量確認して…足りなかったら午後は狩りかなー。とりあえず食べましょ」
廃病院の昼は、思いの外騒々しい。日々は過ぎていく。
日常と非日常の境目すら失ったまま、日付も、倫理も、何もかもが狂った世界の片隅で。
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