第26話 兄と弟
北陸宮を乗せた黒塗りの高級車は東京に向かった。やがて文京区目白通り沿いにある広大な敷地の建物に入る。『椿山荘』だ。『椿山荘』は元々、山縣有朋の住居庭園であった。現在はホテルを併設している。
作者は山縣有朋がキライだ。だが、そのことはこの小説とは関係ないので、黙っていよう。
北陸宮はホテルではなく、本来の『椿山荘』にあるVIPルームへ案内された。
「忠仁でございます」
北陸宮は名乗った。
「来ましたか。遠慮なくお入りなさい」
男性の声がする。
「はい」
北陸宮は襖を開き、中に入ると平伏した。
「堅苦しい行儀はいりません。座布団をお使いなさい」
上座にはなんと、天皇陛下がいらっしゃった。すでにお酒をお召し上がりのようだ。
「陛下、わたくし如き一般庶民に、いまさらなんのご用でございますか?」
北陸宮が平伏したまま尋ねると、
「気楽になさい。ここにはSPも誰もいない。陛下などと呼ばず、兄と呼んでくれて良い」
「はい」
天皇陛下の過分なお言葉を受けて、ようやく北陸宮は下座の座布団を脇に退けて、天皇陛下のそばに近づいた。
「ふふふ、慎み深いものであるのう。ささ、一献差し上げよう」
天皇陛下が、瓶子を傾けようとした。北陸宮は慌てて、
「兄上、わたくしまだ未成年でございます」
と遠慮をした。
「ああ、そうでした、そうでした。では、茶でも頼みましょう。少しお待ちなさい」
天皇陛下はそういうと、両手を叩き、女中を呼んで茶と菓子を頼む。すると間髪入れず、京生菓子とやや大ぶりな抹茶茶碗が運ばれてきた。これは天皇陛下からのお話が長くなるという暗喩であろう。
「さて、弟よ。そなたは現在のこの国の状況をどう考えておりますか? 国民は幸福を感じていると思われますか?」
天皇陛下はいきなり、ストレートな質問をされた。北陸宮はそれに対し、
「兄上、ありていに申し上げます。この国は一見豊かなように感じられますが、その内実は格差社会、少子高齢化、男女差別、財政問題、環境破壊、原発問題など、さまざまな問題と申しますか、もはや危険区域に逼迫しております」
と答えた。
「うぬ。ではそれを解決するにはどうしたらよいでしょう?」
「はい。一番簡単なのは現在の政治経済を司っているものどもを、根本から代えることです。現在、立法府は国民のためのより正しいしい法律を作るという本来の職務を忘れ、与党と野党が醜聞で足を引っ張りあうのが仕事だと勘違いしています。行政の長、内閣総理大臣に至っては前任者は金の問題を何度も指摘されながら、検察に味方を多く持っていたので、逃げ切ろうとしています。そしてその後継者たる現在の内閣総理大臣には、全く国民の上に立つ器がないと考えます。諸問題に対する処理のスピードが遅く、異常なほどに頑迷であり、国民の信望を早くも失っています。国会議員たちはほぼ、議事堂に遊びに行ってお金を貰っているように見えます。まるで幼稚園の如きです。真っ当な人間でない異常者が何人も国会内に存在しています。彼らが本来いるべき場所は精神病院か刑務所です。彼らに選挙で票を入れた国民は、おそらく『適任者はいないがとりあえず誰かに入れないと一票がもったいない』という気持ちであったと思います。司法も裁判所、検察ともに行政の介入を拒否できず、もはや三権分立の精神を忘れているように見えます。これらのものを根こそぎ入れ替えて、国民のために働くもの、特に強力なリーダー・シップを持つものが必要かと思います」
北陸宮は考えられる限りの意見を述べた。
「で、リーダーに相応しいものはいますか?」
天皇陛下がお尋ねになった。
「……兄上の他にいないと思われますが」
北陸宮はとんでもないお名前を挙げた。
「弟よ。それはいまの平和憲法上ムリなのです。そなたの後ろ盾の大元帥ではダメなのですか?」
天皇陛下が、ぺこりをご存知とは! 恐れ多いことである。
「はい。ぺこりさまは、リーダーにたいへん相応しい方ですが、残念ながら、人間ではなく、ご本人は怪物と自虐されていますが、実は聖獣でございます。なので、戸籍もありませんし、恐るべき風貌ですので、国民は慣れるまでたいへん恐怖に感じるでしょう。しかし、本当はとても慈悲深い神仏のような存在でございます」
北陸宮、ぺこりを褒めすぎ!
「神仏か……一度会ってみたいものです。しかし、人間でなかったとはねえ。とても驚きであり、かつ残念です」
天皇陛下がつぶやかれた。
「兄上は、もしかされて、ぺこりさまを内閣総理大臣にされるおつもりだったのですか?」
北陸宮が驚く。
「ええ、上皇陛下の考えで、白痴同然に育ったそなたをこんな短期間で、わたしに的確な具申ができるような人材に育て上げた手腕があれば、いま、まさに沈みかけているこの国を浮上させられるのではないかと考えました。しかし、それはムリなのですね」
「兄上、こういう考えもできます。ぺこりさまの他に誰か人を立てて傀儡政権を作るのです」
「そうか、誰か実直な人間を内閣総理大臣に祭り上げ、実権はぺこりどのとそのブレーンに与えて仕事をさせるのか。そのためにはまず、いまの政権を潰さなくてはなりません……」
そういうと天皇陛下は袋に入れられた一振りの日本刀をテーブルに置いた。
「これを、そなたにさしあげようと思います」
「なにか、謂れのある刀でしょうか?」
「大いにあります。いまは開かず、家に帰って開けてみなさい。そういえば、ぺこりどのの配下には『人斬り抜刀』などという二つ名の剣客がいたような、いなかったような。もし、いられるのなら彼に検分させてみなさい」
「兄上が銘抜刀先生をご存知で?」
「この情報化時代、わたしもイヤイヤではありましたが、影の者を多少雇ってみましてね、色々と調べています。あの時はそなたや『飛鳥』の集団に悪いことをしたと大いに反省しています」
「恐れ多いことでございます」
「ところで、多くの情報を持つ、そなたなら知っていようかと思って尋ねるのだが、わたしが父上と同じような過ちをして生まれた、赤子と母親の安否を存じていますか?」
天皇陛下はなにも知らないようである。北陸宮は平然と、
「母子ともにすでに亡くなりました。惜しくも赤子は男子でした」
と言いのけた。天皇陛下の隠し子、黒影錠司を殺害したのは北陸宮本人である。
「そうですか。残念です」
天皇陛下は悲しげにつぶやいた。
「さて、弟よ。わたしがその刀を託した理由はわかりますね?」
気を取り直した天皇陛下が尋ねる。
「はい、この国の国民が幸福に暮らすためには、多少の血も……」
天皇陛下は北陸宮の言葉を止め、
「わかってくれて、安心しました。のちのことは心配しなくて大丈夫です。ただ、ぺこりというものが人間でなかったのが、唯一の誤算でしたね。ああ、もう赤坂に戻らねばなりません。わたしは先に出ます。そなたはゆっくり、料理などを楽しんでからお帰りなさい。宮内庁の車が、行きと同じように待っています。では、さようなら」
平伏する北陸宮の肩を叩いて天皇陛下は退出された。
天皇陛下に渡された日本刀は、要するにクーデターを起こし、現在の自自・公正党による連立与党を倒せという意味である。簡単に考えれば、つい先だって新首相となった簾義偉氏の首級を刎ねればいい気もするが、それだけでは次の新しい首にすげ替えられるだけで、全く革命とは言えない。ただの暗殺だ。物事がとても大掛かりなものに発展しそうで、ちょっと自分には難しすぎるので、こういうことは頼り甲斐のある人に相談することにして、『椿山荘』を後にした。
北陸宮が相談しようと思ったのはぺこりか銘抜刀かのどちらかであったが、おそらく、ぺこりは革命決行に大反対するだろう。それでは天皇陛下の意に添えない。さて、抜刀先生はどう答えてくれるだろうか? もし、抜刀先生にも反対されたら、北陸宮は天皇陛下にいただいた刀で切腹しようと思った。この国のための大事を果たせないなら死してお詫びをせねばならない。
さて、日本刀は人間を斬ると、その者の血液や脂肪で滑ってしまい、せいぜい五人くらいしか斬れない。ぺこりの武器庫に行けばそこそこの日本刀があるだろうが、何本も抱えて、人斬りはできない。せいぜい三本。ということは十五人しか斬れない。内閣の閣僚を抹殺できるくらいだ。とても足りない……銘抜刀先生と目白弘樹先生のご助力があれば、この国を不幸にしている悪党どもを全て倒せるのだが、果たして、二人を巻き込んでいいものかどうか? 抜刀先生は一人ものだが、弘樹先生には奥さまも子どももおられる。ことを起こして逮捕されれば、間違いなく死刑であろう。天皇陛下はあとの心配は不要とおっしゃられたが、天皇陛下には憲法上、なんの力もない。それを変えるには国会で国民投票法を改定し、憲法改定の国民投票を行なって天皇親政を認めさせなければならない。しかし、憲法改定の議論となると憲法九条の問題もついてくる。天皇陛下は少し先走っていられるのかもしれない。本来なら北陸宮は、天皇陛下をお止めしなくてはならなかったのかもしれない。しかし、天皇親政を打ち出したのは自分である。やはり、待ったなしなのだ。
北陸宮は宮内庁の運転手に天熊寺山門ではなく、天熊総合学園の正門に車を止めて貰い、そのまま学園の運動部部室の方へ歩いて行った。時刻は午後七時をすぎており、部活動は午後六時までと決められている学園には生徒・学生の姿はない。北陸宮は運動部の特別顧問室へ向かった。この時間なら、銘抜刀は目白弘樹と晩酌をしているはずだ。二人は酒に強いから、まだ全然酔ってはいないだろう。
「抜刀先生、忠仁です」
北陸宮は特別顧問室のドアをノックした。
「おお、宮さまかあ。珍しいのう。いま、弘樹と一献やっているところじゃ。よかったらお入りなさいよ」
抜刀の陽気な声が聞こえてくる。すでにかなり呑んでいるようだ。自分の相談にちゃんと答えてくれるか、北陸宮は少し不安になった。
「『どらねこランド』建設やボランティアにゴミ拾いとお忙しいのに、よく来てくれましたな。ジジイは嬉しいですぞ」
銘抜刀はニンマリ笑う。この老人が百人以上の人間を斬り殺してきたとは信じ難い。隣の目白弘樹は超無口で有名で、作者の知る限りはいまの奥さんに求婚した時と、とんでもない剣客と勝負するかとぺこりに尋ねられ、「わたくしも命が惜しいです」と断った時のみである。
「先生、ご相談がございます」
北陸宮が頭を下げる。
「うぬ、言ってご覧なさい」
抜刀の目が鋭くなる。
「まずは、この刀をご覧ください」
北陸宮は天皇陛下にいただいた刀を抜刀に渡した。抜刀は袋から刀を取り出した。その瞬間、
「おっ」
と少し、驚いたような表情をした。そして刀を抜き、
「やはりな」
というと、刀を一振りした。刀からは何故か水が飛び出てきた。抜刀は刀を鞘に収めると、
「紛れもなく『村雨』じゃな」
とポツリ、つぶやいた。
「えっ、かの妖刀『村雨』でございますか?」
北陸宮が尋ねる。
「見たであろう。一振りした時の水のはね方。あれで斬り殺した相手の血を流し落とす。故に、大人数を斬り殺せる」
抜刀は淡々と語ったが、これは恐ろしい剣である。だが、今回の北陸宮の革命にはもってこいだ。
「抜刀先生、弘樹先生。この『村雨』は天皇陛下から頂戴しました。この意味をお分かりになりましょうか?」
「革命だな。いまの乱れた政治を倒すこと。それを天皇陛下は憲法上できないから宮さまに託された。だから刃こぼれもせず、人を斬っても水が洗い落とす『村雨』を暗喩とした」
「はい、その通りだと思います」
北陸宮は頭を下げて肯首した。
「ふむふむ。それを聞いてしまったわしと弘樹は助太刀しないわけにはいかんのう」
抜刀が弘樹の方を向くと縦にうなずいていた。
「よろしいので」
北陸宮が聞くと、
「我らが助太刀するとわかって、その話をしたのであろう。ぺこりどのにこの話をしたら、大反対するに決まっているでのう」
と抜刀が笑った。
「申し訳ございません」
「なに、我ら二人、暇で仕方なかったからな。それはいい。ただ、警察などに逮捕されるのは嫌だから、覆面をして、着物を脱いで、ジャージを着よう。覆面はスキー部から顔が全部隠れるマスクを借りてこよう。スキー部の荻原は口が硬いから問題ない。ジャージは、我が剣道部の黒いやつを着よう。胸に小さく天熊総合学園の校章がついてるから、これはマジックで消す。足元は、スニーカーやスパイクでは動きにくい。草履を履こう。だが、防犯カメラの解析で草履を履いていると知れたら、我らに嫌疑が及ぶかも知れぬ。如何しよう?」
抜刀が悩むと、弘樹が珍しく口を開き、
「草履ではなく、安全靴を土木庁から借りてきたらいかがでしょう。わたしは大将格の人間ですから、文句は言われないと思います」
と言った。
「おお、良策だ。安全靴なら親指と他の足が割れているから草履とフィット感が似ているし、不慮の事故も起きにくい。とにかく、現代は至る所に防犯カメラやドライブレコーダー、スマホの動画があり、そこから身元が割れやすい。十分気をつけることだ。では、わしはスキー部に、弘樹は土木庁に行こう。宮さまは陛下に謁見してお疲れであろう。早く休まれて明日に備えなされ。そうだ、宮さまは未成年じゃが、一杯ぐらい眠り薬だと思って酒を召されよ。心が落ち着く」
「はい」
抜刀が茶碗一杯の酒をそそぎ、北陸宮に渡した。
「頂戴します」
北陸宮は一気にそれを飲み干した。さすが、皇族は酒に強いというが、豪快な飲みっぷりに抜刀と弘樹はびっくりした。
「では、明日。朝六時にここに集合じゃ」
抜刀がニコニコとして宣言した。
この国の政治家たちにとって悪夢の一日が明日に迫っている。
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