第22話 平和元年冬 新潟県 十八年目の驚愕
その日、大元帥は、自室のベランダで、左前足ではなくて、左手の爪を切っていた。爪が長いと、文庫のページがめくれないからだ。
「さて、次は何を読もう」
大元帥が積読本をパラパラとめくっていると、
「総大将、お知らせがございます」
と襖の向こうから声がした。
「ネロか。入れ」
腹心のネロが入ってくる。
「どうした? 浮かぬ顔だな」
大元帥が気遣う。
「はい、ヨーロッパ支局経由で入ってきた情報なのですが、北陸宮を産んで、すぐに亡くなられたとされていた小篠淳子女史が現在も生きていて、新潟県の精神病院に十八年間、隔離されているという未確認情報をキャッチしました」
「えっ、そりゃあびっくりだ」
「しかも、ヨーロッパで最近頻繁に暴れているテロ集団『ブラック・シャドー』が、いち早く気が付いてすでに行動を始めているそうです。我々はかなり出遅れました。やつらは小篠淳子を拉致するべく、すでに来日して、新潟に向かっている模様です。情報収集が遅れ、誠に申し訳ございません」
ネロは陳謝した。
「それは仕方がないだろう。まずは『飛鳥』のリーダー、スズメを呼んで話を聞こう。舞子、スズメを連れて来なさい」
「はい、かしこまりました」
茶を立てながら聞き耳も立てていた舞子がすぐさま、部屋を出て行った。
「スズメよ。小篠淳子が生きていることをなぜ隠していた? 場合によっては『飛鳥』集団にはこの世から消えてもらうよ」
大元帥の表情はわからないが、癇癪玉が爆発寸前のようだ。空気がピリつく。
「大元帥さま。信じていただけないでしょうが、我々も小篠淳子が生きているとは知らなかったのです。彼女は産婦人科から突然姿を消してしまい、我々も必死に行方を探したのですが、生死不明となったため、上皇陛下には、『亡くなった』と申し上げました。その後も捜査しましたが、いまのいままで、彼女の生存を知りませんでした。申し訳ございません」
スズメが震えながら答える。
「それならそうと初めから言えばよかったのに。しかし、北陸宮を産みながらなぜ、小篠淳子は消えてしまったんだ? 普通なら我が子ができて、とりあえず嬉しかろうに……」
大元帥は訝しがる。
「申し上げます。北陸宮を産んだのは小篠淳子ではございません。彼女が産んだのは女児でした」
スズメが本当のことを告げた。
「ふうん。では北陸宮は誰が産んだ……ああ、『飛鳥』の集団の誰かか……そうすると野生の勘を働かせれば、スズメ、きみが北陸宮の本当の母親か?」
「!」
スズメは少し動揺すると、
「は、はい。わたしが北陸宮の実の母でございます。『飛鳥』では男児を産むと即、間引きする掟がございます。わたしは自分のお腹の中にいる子が男児と知っていましたが、産婦人科医しかそれを知らず、金で口止めをしていました。同時に小篠淳子のお腹の子が女児と知り、産婦人科医と謀って、生まれた赤ちゃんを取り替えました。そして、口封じに産婦人科医を殺し、男子を小篠淳子の子と上皇陛下にお伝えしました。一方、小篠淳子には『赤ちゃんは死んだ』と伝え、本当は生きている女児の赤ちゃんをわたしの子として『飛鳥』の集団に入れてしまいました。いまはクジャクという名で任務に励んでおります……」
スズメは涙ながらに話した。非情な殺し屋にも子どもを思う心はあるのだろう。
「ということは、スズメよ。北陸宮は上皇陛下のお胤には違いないんだな?」
大元帥が聞いた。
「はい、上皇陛下とわたしの子です」
スズメははっきりと言った。
「じゃあ、いいじゃん。母は違えど、父は上皇だ。それより、このままでは小篠淳子さんが哀れだ。『ブラック・シャドー』に拉致されて、身代金を請求され、その上、殺されでもしたら救いようもない。今回ばかりはこの腰の重い怪物も新潟に出陣するからな!」
大元帥が張り切って宣言すると、
「えっ? 大元帥さまが、女性一人のために動かれるというのですか?」
スズメが驚いた顔をする。
「そうだ、ヨーロッパの小悪党が小篠さんの生存に気がついて、小篠さんを拉致し、我々や皇室から身代金をせしめようとしている。故に我らは、小篠淳子さんの生命を守り、救い出す。『飛鳥』の集団も手を貸しなさい。そしてクジャクとやらと小篠淳子さんに親子の対面をさせてあげなさい。ただし『ブラック・シャドー』はかなりの難敵とみえる。故に、日頃は動かないこの怪物が先陣を切るのだ」
大元帥は張り切っている。
「しかし、総大将。実戦はいつ以来ですか? 身体が鈍って動けないのであれば、我らの迷惑。足手まといですぞ!」
ネロがイタズラっぽく尋ねる。
「うーん、あれはネロ、お前と悪童が大喧嘩を始めて、十二神将が真っ二つに割れた時に、腹の中の癇癪玉が割れて、皆を半殺しにした時だから、八年前くらいか?」
「それ以来ずっと、お布団に潜り込まれていたのですね」
「まあね。でも、きみらのようなただの超人と違って、こちらは怪物だからさ。衰えなんかないよー」
「江川も松坂も衰えましたけどね。冗談はともかく、新潟へ急ぎましょう。我らは小篠女子がいる病院も知りません。情報を集めなくては」
「よし、今回は久々に十二神将及び大将格は全員出陣だ。兵士は我が軍の北陸・甲信越地方から、いち早く出陣し、小篠さんを探しだせ!」
「はっ」
「『飛鳥』の集団も出陣だ!」
「はい。大元帥さま」
スズメは消えた。
「おーい、近習ども、悪いが甲冑を着せてくれ!」
「はい」
十人ほどの若衆が甲冑櫃を持ってくる。大元帥の甲冑は仲木戸科学技術庁長官特製の新素材、超低重量強化プラスチックでできており、目方が重い大元帥でも軽々装着できる。本当は自分一人で装着できるのだが、面倒くさいので若い者に着させている。この非常時であってもものぐさはものぐさらしい。しかし、兜の前立てに不動明王立像を自らつけると顔色が多分変わったのだろうが、表面上はわからない。だって怪物だから。
「さて、軍議は不要だ。支度ができたものから、どんどん新潟へ行け。誰か愛馬の青兎馬を寺の境内へ出してきてくれ」
大軍師が命令する。大軍師らのアジトの上に建立されている天熊寺の境内にとてつもなく大きな馬らしきものが十人がかりで引き出されてくる。これぞ、大元帥の愛馬、ペガサスとユニコーンのハーフ、青兎馬である。輓馬の十倍はある。怪物である大元帥が騎乗できるのはやはり、怪物なのである。
一方、ブラック・シャドーこと黒影錠司は意表をついて、南コリアから、高速フェリーで日本海を渡って新潟の海岸に少数の配下とともにたどり着いた。他の幹部は飛行機を乗り継いで、先に新潟に到着しており、小篠淳子の捜索にあたっているはずだ。黒影が飛行機を嫌ったのは防犯カメラに自分の姿形を撮影されなかったからだ。黒影はとにかく、自分の素顔を晒すことを嫌う。いまも、なぜかバカボンのパパのお面をつけている。逆目立ちするだろうが、素顔を晒すよりはいいらしい。以前優勝を北陸宮と分け合った『ジュゴン・スーパーボーイ・コンテスト』の際も実は特殊メークで微妙に素顔を隠していたことが、組織の科学技術庁の検査によってわかっている。なんらかの大きな傷やアザがあるのか? それとも、顔面コンプレックスがあるのか? いまは全くの謎である。
大元帥率いる組織は『ブラック・シャドー』から一足遅れた形となったが、ことが自国内のことであったので、驚異的なスピードで、追い上げて早くも新潟県内の精神病院や総合病院など、閉鎖病棟を持っている場所をピックアップし、調査を始めている。だが、北陸、甲信越地方の隊員たちは内陸部ばかりを調査していた。そのことを知った大元帥は、
「指揮官はバカか? 内陸ではなくて海沿いを集中的に探索させろよ。内陸は冬に雪で埋まっちまうだろ。その点、海沿いは日本海からの風が強すぎて、雪が積もらないんだ。積雪で動けない場所に閉鎖病棟のあるような大病院があるか? 危険な状態になった時、動きが取れないだろうが」
と軽くご立腹をして、北陸方面と甲信越方面の司令官はどっと冷や汗をかきながら、部隊を海沿いに移動させた。
大元帥の北陸・甲信越部隊が大至急移動している頃、早くも青兎馬に騎乗した大元帥率いる組織の十二神将のうち、飛行能力に優れたものが、新潟県上越市柿崎区に到着した。陸地に降りると、市民を恐怖に陥れることになるので、静かに砂浜に飛び降りたのだ。空を飛べない十二神将、アキレタス、猛鯨大象、鮫迅万鈴、甲冑鉄銃は組織の関越道を降ってくるので、三時間遅れぐらいで到着すると思われる。
「総大将。船籍不明の高速フェリーが管制塔の制止も聞かず、強引に新津港に接岸し、乗員と海上保管庁の職員と地元の警察が銃撃戦を行い、海上保安庁と警察側が全滅したそうです」
「何と無駄な殺生を……新津港に上陸したとなれば、柏崎、柿崎あたりの病院か? 徹底的に追及せよ」
海岸に特製床几を置いて(大元帥はディレクターズ・チェアと言い張っているが)、采配を振るう大元帥の周りを、若手隊員たちが、透明強化プラスティック製のシールドで囲む。風除けのつもりらしい。しかし、大元帥は、
「気持ちはありがたいんだけど、なんか今川義元になったみたいで縁起が悪いよ。それだったら大型テントを張ってくれ」
と苦笑いしながら命令した。ちなみに今川義元は短足で馬に乗れなかった。その点、大元帥は馬に乗れる。青兎馬オンリーではあるが。
「大将軍、めぼしい病院を見つけました。柏崎総合病院と柿崎病院です。柿崎病院は精神科の専門病院です」
「よし、二手に分かれて捜索だ。柏崎へは萬寿観音の部隊。柿崎には普賢羅刹の部隊が向かえ。間違いはないと思うが、一般人に傷はつけるなよ」
「はっ!」
二名の部隊が病院に急行した。十二神将の二人は飛行できるが、一般隊員は人間だからもちろん飛べない。二人の十二神将が飛んでいって先に着いてしまって、万が一、敵の大軍に出会ってしまったら、ひょっとしたらやられてしまうかもしれない。なので、ジリジリしながらも、二人は装甲車に隊員と同乗して出発した。
柏崎総合病院に一人で入った萬寿観音は受付の女性の目をしっかりと見て、穏やかに尋ねた。
「この病院の閉鎖病棟に女性はいませんか?」
すると受付の女性はなぜか背中をぴーんと垂直にして立ち上がり、
「は、はい。いまは男性しかおりません」
と、ど緊張しながら答えた。
「ありがとう」
萬寿観音が出ていくと、受付の女性はどっと疲れたように椅子に腰掛けた。
「どうしたの? あんな穏やかそうな人に怯えちゃって」
同僚が言うと、
「ううん。あの人の瞳の中には恐ろしい鬼がいたの」
呆然と女性は答えた。
萬寿観音からの連絡を受けた大元帥らは、一斉に柿崎病院に向かった。可能性はそこしかない。間に合うか? 間に合わないか?
いち早く、柿崎病院に到着した普賢羅刹はすぐに病院の異変に気がついた。医師や看護師たちが外に出て呆然としている。すぐに普賢羅刹は警察官に変身して、先頭の院長らしき男性に話を訊く。
「どうしたんですか?」
「はい、突然覆面をした集団が当院に侵入してきて、長年、希死念慮がひどく、閉鎖病棟に入っていた女性の部屋の鍵を破壊して、拉致していってしまいました。男性看護師らが止めに入りましたが、マシンガンを乱射されて……何人かが重傷で……」
院長の目から大粒の涙が溢れる。
「わかりました。犯人の車種と逃走方向を教えてください」
「は、はい。車はバンですが改造されていてものすごいエンジン音でした。方向は……内陸の五泉市方向へ向かった感じです」
「わかりました。申し訳ありませんが救急車などの手配はそちらでお願いします。我々は犯人を追跡します」
警察官に化けた普賢羅刹はそう言うと、装甲車に乗り込んだ。
「あれ、警察って装甲車に乗るんですかねえ?」
なんかボケッとした感じの医師がつぶやいた。
「大門軍団なんじゃないの?」
中年の看護師が続いた。小篠淳子はなぜ、こんなとボケた病院に閉じ込められていたのだろうか?
「こうなったら俯瞰的に白いバンを探そう。五泉市方面を爆走する改造バンだ。みな、羽ばたけ!」
大元帥の命令で、飛翔できる十二神将が、風荒ぶ空へと進撃する。残念ながら飛行能力を持たない十二神将たちはまだ到着していない。彼らは重量がありすぎるのだ。危なくて攻撃ヘリコプターにも乗せられない。しかし、たまたま活躍のチャンスが少ないだけで、適所においては凄まじい力を出せる。サンダーバード4号よりも絶対に役に立つだろう。
空中ではおとな気のない大元帥と悪童天子が先頭を競い合っている。それを見たネロは半ば呆れて、
「お二人さんダービーやってるんじゃないですよ。改造バンを探しているんですよ!」
と声を張り上げた。
「ああ、そうだぞ。落ち着け、悪童!」
自分のことを棚に上げる大元帥。
「大将が煽るからいけないんすよ!」
言い返す悪童。その間に冷静な萬寿観音が目的のものを見つけた。
「大元帥、あちらに!」
萬寿観音が指さした先には明らかに改造バン。
「よし、たまには主君に手柄を取らせろよ!」
そう言うと大元帥は青兎馬をバンの運転席を思いっきり蹴り付けさせた。
「グチャ」
ガラスの割れる音とともに何かが二つ、潰れるように感じたが、作者はそちらを見ないし、描写もしないでおこう。とにかくいまの攻撃でバンはあっけなく止まった。
「ドアを開けろ!」
大元帥が命令し、日輪光輪が右後部座席、聖寅試金牙が左後部座席、バックを猛禽飛王が開けた。すると中には、
「アホなみなさん、こんにちは」
とせせら笑う黒影錠司が一人、座席に寝そべっていた。
「おい、小篠さんをどこへやった?」
大元帥の怒りが炸裂しそうになると、
「教えたら殺されるから教えない。俺だっていま、タイトロープの上にいるんだからな。ははは」
と不敵に笑った。
「頭に来た! 十二神将よ、こいつを八つ裂きにしろ!」
大元帥が言うが、それでは小篠淳子は見つからない。十二神将は動くことができない。
「俺、死にたくないから行くわ、チャオ」
そう言った黒影は背中に背負っていたハンディジェットを点火させて、あっという間に消えていく。大元帥が、
「させるか!」
と左前足ではなくて左手で黒影の顔面を引っ掻いたが、爪を切ったばかりで致命傷を与えられない。しかし、バカボンのパパのお面が爪に引っかかって取れた。黒影の素顔が見える。
「えええっ?」
地上のみんなが驚いて、一瞬あとを追うのを忘れてしまった。なんと、黒影錠司の素顔は北陸宮と瓜二つだったのだ。
「あっ、ボケッとしていてはいかん。追いかけろ」
大元帥が叫んだが、後の祭りであった。
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