第17話 北陸宮、国民の前に現る

 水沢舞子のパトロンが、北陸宮と『飛鳥』集団を救い、庇護することを決め、北陸宮を我が物にせんとしていた、新興宗教『幸せの化学』と『造花学会』、それに政府の特別部隊を圧倒的な武力差で完膚なきまでに叩き潰し、しかも戦闘そのものを隠蔽してしまったという黒い噂が裏世界に広がり、それに恐れをなしたこの国に数多ある反社会的勢力や、一部新興宗教団体等は凄まじい恐怖に慄き、水沢舞子のマネージャーを通じて、舞子のパトロンの麾下に馳せ参じたいと申し込んだが、パトロンの代理人、物干団弁護士から「この世に悪なす者どもと、ともに天を戴かずとのお言葉でございます。もし、諸兄らが心を入れ替え、我が棟梁の信仰する不動明王をご本尊とする華麗宗に改宗し、厳しい荒行に耐えられたのならば、仲間に加えるかも知れぬとも仰せであります」と宣言して全ての組織の加入をやんわり(?)断った。いくら懐が深くても傍迷惑な悪党や宗教を笠に来た、金の亡者まで引き受けるものではない。組織が汚れる。パトロンは正義感の強いものなのである。


 さて、北陸宮の学習は進捗スピードが異常なまでに速かった。北陸宮は、いままでなにも知らずに生きていた自分を恥じるとともに、強烈な知識欲求の高さであっという間に、最初の科目であった国語の学力が大学受験レベルにまで達してしまった。教授役の羽鳥真実も、

「ほとんど、お教えすることがありませんでした」と上に報告している。

 続いては算数・数学だ。実はこの組織には理系の天才世界一と世界二位が在籍している。その中でパトロンは世界二位の天才を教授役に選んだ。世界一の方は頭脳レベルが人智を超えていて、その思考法も常軌を逸する傾向があり、一から算数・数学を学習する北陸宮に変な理論(全宇宙的には正解ではあるのだが)を教えて、北陸宮の柔らかい脳を混乱させる危険性がある。それに比べてNo.2の男、仲木戸東は実直な科学者であり、人当たりもよいのでパトロンが熟慮の末に選択したのである。


 算数の勉強はまず、数字の概念から始まった。0123456789、我々が何気なく使っているアラビア数字。1はなぜ1なのか? そんなことも北陸宮にはわからない。ちなみにこの命題を読者の皆さんは解けるだろうか? こういった簡単そうで難しい、算数・数学の世界を仲木戸は懇切丁寧に教えた。そのために、仲木戸は初めに、積み木やレゴなどの玩具を用いた。やがて使用道具は定規・三角定規・分度器らに代わり、ついで天秤や重量計に移り、最終的には仲木戸手作りの円錐、三角錐、四角錐、円柱、三角柱、四角柱と立体的になっていった。仲木戸は「数学を知れば、宇宙や世界がわかります。物理や化学も同様です。生物に関しては……わたし、動物や昆虫が苦手なのでね。これで授業は終わりです」

 北陸宮は数学をマスターした。ついでに初見では、触ると爆発すると恐れていた、パソコンの授業も受け、アビバに行かなくても、ブラインドタッチ、マイクロソフト社の各アプリケーション、Illustratorやらなにやら、作者にはわからない、難しいアプリケーションも興味を持って覚えてしまった。

「読み書きそろばん」はいまや「読み書きパソコン」なのである。これで、義務教育終了だ。


 日本史は行儀作法と一緒に幽閉中の儀礼一式の一環として簡単に習ったようなので、当然、無知の領域である世界史の勉強が必要になるが、パトロンはあえて、高校の教科書的な世界史を学ばせず、現代の世界情勢を教えさせた。特に国家間の対立、人種差別、貧困、東西対決、南北問題を教え込み、これを解決するにはどうすべきかを考えさせた。北陸宮は必死に考え、自分なりの答えを出したが、教授役の女性、諸葛純沙はあえて答えを教えなかった。そして、「ほんの小さな出来事から、世界は誰一人として考え付かなかった方向に劇的に変化します。その中において、データーを細かく調べ、なにが起きるかを大局的に見て正確な判断をするのが大事です」と言って講義を締めた。


 座学は一応修了となり、北陸宮はあっという間にある程度の知識人にまで成長した。あの白痴状態だった男がである。よほど、素材がよいとしか思えない。

 

 次は体力及び武術の稽古に移る。

 北陸宮の基礎体力はひょろっとした見かけと違って案外高い。十八年間も幽閉されていたのに不思議なことであると、稽古をつける役目を承った武将たちは口を揃えて訝しがった。おそらくは『飛鳥』の誰かが、こっそり体力をつけていたのであろう。まあ、それはおそらくズズメだ。


 まずは体力と筋力をつけるため、組織随一の怪力と称される、土佐鋼太郎と相撲の稽古をすることにした。北陸宮は回しをつけるのを恥ずかしがるだろうと誰もが思ったが、全く意に介さず下着の褌をつけ、回しを鋼太郎の部下たちにつけて貰った。これだけで、見物していた武将たちが驚く。実は、本当に高貴な身分の人は、自分の裸体を他人に見られることを恥ずかしいとは思わないのだ。なぜなら、全ての着替えや入浴を家来や女中(北陸宮の場合はウグイス)にやらせるので、裸体を他人に見せるのは日常茶飯事のことなのである。その点でいえば、武将連もまだまだだということである。

「では、四股を百回踏みましょう」

 いきなり、鋼太郎は無茶を言った。まあ、二十回できれば上出来だ。ところが、北陸宮は長い右足を綺麗に顔の側まで持ち上げ、足の裏を土俵にねじ込むと、今度は左足を同様にし、腰を限界までおろした。そして、汗ひとつかかずに百回の四股を踏み終えてしまった。

「恐れ入った」

「おかしくなる前の貴乃花みたいだ」

「いやあ、大鵬のように美しい」

 武将たちは感嘆の声を上げた。そして、鋼太郎は土俵を見て凍りついた。北陸宮が足を下ろす際に捻り込んだ部分が凹んでいる。

「北陸宮は只者ではない」

 そう感じた鋼太郎はぶつかり稽古を中止にした。他の武将が、

「どうした? 鋼太郎、怖気付いたか」

 と声を上げると、

「ああ、怖気付いた。俺は任務外で大怪我をしたくない。この身体は大元帥のものだからな」

 鋼太郎は正直にそう言って、他の武芸の稽古の見学に回った。


 次は剣術。竹刀ではなく、あえて木刀を使う。この組織には銘抜刀という老剣客と目白弘樹という超無口な壮年の剣客がいる。

 銘抜刀が口を開く。

「北陸宮さま。わしが拝見したところ、腰の構え、腕の長さと筋肉、すでに剣術の体ができているように感じます。故に、まずは弘樹と真剣勝負。弘樹が敗れれば、この爺がお相手仕りまする」

 それに対して、北陸宮は、

「先生はそう仰りますが、わたくしは木刀というものを今日初めて見ました。ただ、幼少時より、隠れ家の裏の森に落ちていた太い枝を適当に振り回してはおりました。これはいわばストレス発散にすぎず、剣術と申せるものではありません」

 と答えた。

「そうか……しかし、その体の動き、わしの剣の師匠、宮本巌二郎先生にそっくりなんじゃが。まあ、よい。二人とも、構えてはじめ!」

 北陸宮と弘樹は正眼に構えた。そのまま動かない。いつまで立っても動かない。見物の武将が、

「どうした。動け! 擊ちあえ!」

 と怒鳴ると、銘抜刀が、

「黙れ、小わっぱ!」

 と鋭く睨みつけたので、その武将は顔を真っ赤にして謝罪した。この武将たちの中で、一番強く、一番人を斬り殺しているのは、老剣客、銘抜刀である。かつては『人斬り抜刀』と呼ばれ、出会ったら切られると敵に恐れられていた。ここにいる武将たちより組織にはもっと最上位の大将もいるが、それぞれ超多忙であり、少し格下の武将たちが北陸宮の指導をしているのだが、その中で、銘抜刀はかなり格上で、本来ならば大将格でもおかしくないが、「もう、年老いてまで殺生をしたくない」と数年前に申し出て、それ以降は部下たちに剣術を教えている。水沢舞子の学園でも、剣道部の特別顧問をしているが、その時は好々爺にしか見えず、学生たちは銘抜刀の本当の恐ろしさを知らない。知らないほうがいい。


 北陸宮と目白弘樹は一時間、まんじりとも動かず、銘抜刀が、

「やめっ。両者引き分け!」

 と言ってようやく木刀を下げた。二人とも汗だくだ。弘樹は極度の無口だから感想こそ言わないが、呼吸を必死に整える姿で、緊迫の度がわかるというものである。

 一方の北陸宮は、

「初めて、『死』の恐怖を感じました。もう疲労困憊で、名抜刀先生の手解きは受けかねます」

 と息を切らしながら言った。それを聞いて銘抜刀は、

「北陸宮さまにこれ以上、剣術の稽古は必要ないようじゃ。この方は大将の大将になる器である。剣術も、剣法も部下がやる務めじゃ。そのように上に申し上げよう」

 一斉に、武将たちから拍手が起きる。そこに水沢舞子が現れて、

「北陸宮さま、名抜刀先生以下のご教授の武将どのたち、お疲れ様でした。北陸宮さまには用事がございます。武将の皆さまは貴重な任務の時間を北陸宮様のために割いていただいてありがとうございます」

 武将たちは咲き誇る一輪の花にも似た舞子に見惚れて頭を下げるばかりであった。

 舞子は北陸宮を自分の茶室に連れて行った。


「北陸宮さま、茶道の心得は?」

 舞子が問うた。

「拙いものでございますが、形ばかりは」

「そう。では一服差し上げましょうね」

 舞子の趣味はお茶全般であり、特に好きなのは抹茶を立てることである。ただし、自己流で、道具も自分の感性で好きなものを選ぶ。値段には頓着しない。しかし『九十九髪茄子』なんていう戦国時代に松永久秀が織田信長に献上した逸品を持っていたりする。


「美味しゅうございました」

 北陸宮が飲み干すと、舞子は茶器を丁寧に片付けながら、

「一週間後に、学園の講堂で、マスコミ関係者をお呼びして、あなたの記者会見をおこないます。この会見の成否であなたの今後が決まる重要な記者会見となります。一応、あなたには当学園の理事長代行という肩書きをつけますが、それだけではこの世に埋没してしまいますので、ちょっと変わった趣向も用意してあります。ただ、あなたは皇族の血を引く、礼儀正しくて、清々しく、どことなく頼りがいのある若者になりきってください。実際、あなたはそういう能力がありますから心配はいりません。当日はあたしが見立てた着物を身につけてくださいね。当日は、あたしと物干さんが同席します。万が一困ったことが起きたら、焦らず、目だけで物干さんに伝えてください。なんとかしてくれます。では、それまで心静かにお暮らしなさいね。『飛鳥』の皆さんにも、きちんといままでのお礼を忘れずにね」

 と北陸宮に記者会見の通知と心得を告げた。


 国民はまだ、北陸宮の姿を誰も見ていない。そして、少し忘れかけている。そのタイミングでの記者会見は効果があると舞子のパトロンやその上層部は考えている。しかし、舞子の言った「変わった趣向」とはなんであろう?


 そして、一週間が早くもすぎた……

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