第12話 新しい年号は『平和』

 平成三十一年四月一日。なんでエイプリールフールに発表するのだという大勢の国民のツッコミを無視して、簾義偉(すだれ・よしひで)内閣官房長官(当時)が、

「新しい年号は『平和』であります」

 と言いながら『平和』と書かれた額を掲げた。


 なんと平凡な、しかしこれほど人類が望むものはないと多くの国民が好意的に受け止めた。


 この発表を待って、全ての企業や団体が年号を『冷成』から『平和』へと変更する手続きに入った。この作業を一ヶ月で終わらせるのは案外と困難なものである。コンピューターサーバーといった誰でも考えそうなものから、各種の伝票類、これらを全ての事業者がコンピューターで処理しているわけではない。冷成と書かれた領収書や請求書は五月一日からはもう使えない。

「半年ぐらい前に発表してくれれば!」

 と政府の対応の遅さに怒る中小企業経営者の歯が抜けた顔がテレビに映る。それを観た視聴者の一人が「お前も歯の治療が遅すぎる」とSNSに投稿し、社長は世間の笑い者になったが、一方で業績が著しく上がったので歯なしの口を大きく開けて喜んでいるらしい。誹謗中傷のはずが敵に塩を送るとなった微笑ましい(?)エピソードである。


 そして、冷成最後の日となる前日の一日前の四月二十九日。天皇陛下はご自分の直系のご家族だけをお呼びになって、晩餐をともにされた。天皇陛下は頼りになされている皇太子殿下とのお話が進み、一方の皇后陛下は皇太子妃真火子さまよりも春風宮妃衣子さまとのお話の方が多い。皇后陛下と皇太子妃殿下の関係が微妙であることが感じさせられ、心配である。皇太子殿下の一人娘亜衣子内親王さまは歳の離れた春風宮家の夜子さま、沙子さま、武仁さまと屈託なくお話を楽しんでいらっしゃる。こちらの仲は良好のようである。


 晩餐会も終盤に差し掛かり、天皇陛下が、

「亮仁よ、引き継ぎのことで、少しお話ししておきたいことがあります。わたくしの書斎においでなさい」

 と皇太子殿下をいざなった。皇太子殿下は、ちょっと不思議そうなお顔をされたが、素直に天皇陛下についていかれた。


「亮仁、多くのことは宮内庁や侍従長らが、話をしているでしょうから、あなたの準備も整っていることでしょう」

「はい、陛下」

「しかしですな、亮仁よ。わたくしは明日の退位の記者会見で、宮内庁の用意したスピーチ原稿とは違うことをお話しなくてはなりません」

「どういうことですか? わたしには全くわかりかねますが?」

「そうであろうね。わたくしとて、できれば陵まで持っていきたいものです。しかし、わたくしはある人とお約束をいたしました。そのお約束の期限は明日なのです。明日の記者会見で、この話をすることによって、もしかしたら、皇室の権威は地に堕ちるかもしれません。しかし、わたくしはそうなってもこのことを国民に告げ、ある人との約束を守とともに、皇后に深く謝らなくてはなりません」

「陛下、それはまさか……」

「流石に、あなたは頭の切れる人です。その通り、わたくしには男子の隠し子がおります。これは皇后も知らないはずです。ただ、皇后は勘の鋭い人ですから、薄々は気がついているかもしれませんが。このことを知っているのは、私が即位以来わたくしを守護している秘密の集団だけです。そのものたちが、その男子を育てています。わたくしの一存で、その男子には一切教育を施さず、皇室の儀礼一般と和装の着付け、ひらがな、カタカナのみを教えています。つまり、知識は幼稚園児以下です。そして、その男子を育てている集団は天皇の位にいる者のみを守護する者。五月一日からの『平和』の世となれば、わたくしではなく、あなたのためだけに働く集団となります。負担をかけて申し訳ありませんが、わたくしはその男子の存在自体は国民に広くお知らせしますが、その後のこと、つまり、男子を皇族に加えるか、一般国民とするかなどの判断はあなたと政府で決めてください。『皇室典範』に隠し子のことなど書かれておりません。とてつもない難題を与えてしまい本当に申し訳ありませんが、よろしくお頼みいたします」

 天皇陛下は全てを皇太子殿下に打ち明けられた。

 皇太子殿下はしばらく硬直されていたようだったが、すぐにご理解し、今後の方策をある程度思いつかれたようで、

「陛下、その男子のことを公にする必要はあるのでしょうか? 言わぬが花と申しますが、一言もそのことに触れられなければ、問題も混乱も起きないとわたしは考えますが?」

 と申し上げた。それに対して天皇陛下は、

「亮仁、わたくしとて、そうして難題から逃げることも多いに考えました。しかし天皇とて、いまの日本国憲法の元では一人間。人間である以上、約束を違えることをしてはいけないのです。どうぞ、そのあたりを汲み取っていただきたいのです」

「陛下、よく理解をいたしました。ご公表ののちのことはわたしにお任せください」

 と皇太子殿下は胸を張った。

「さすが、亮仁よ」

 天皇陛下は少しホッとされたようだが、明日、このことを御発表になられたあと、皇后陛下がどのように思われるかをお考えになり、身体が少しふるえられた。


 翌、四月三十日。すなわち、冷成時代最後の日。


 天皇皇后両陛下は数百年ぶりに行われる、御退位の儀に臨まれた。これでお代替わりに関する冷成の天皇皇后両陛下の神道的な公式行事は全て終わった。しかし、何百年も前に行われて以降、全く忘れ去られていたような行事を行うことができるとは皇室、もしくは宮内庁の史料、資料の保存はどうなっているのだろうか? 興味が尽きない。できれば書庫を覗いてみたいものであるなどと言って字数を稼いでいる間に、冷成の天皇皇后両陛下の共同記者会見が行われる。とは言っても、天皇皇后両陛下のお言葉は宮内庁によって事前に準備されており、各報道機関には前もって配布されている。なので、冷成の天皇皇后両陛下の前ではあるが、報道陣は歴史的瞬間に立ち会えるという感動は多いにあれど、なにか突発的なアクシデントがあるなど考えもせず、粛々と天皇陛下のお言葉を収録し、国民に伝えればいいと考えていて、誰一人として、天皇陛下が平素にないご緊張をされていることに気がつかなかった。特に、各テレビ局の特別報道番組で、皇室ジャーナリストなどと名乗っているものたちが一人も天皇陛下の異変に気がつかなかったことは、いかに彼らがいい加減な存在であると、のちに国民は気がつくのである。関係ないことだが、ジャーナリストなどと名乗っているもののうち、いったい何人が、その職業名に相応しい仕事をしているのか? 作者は考えることしばしばである。余談、失礼。


「退位にあたり、国民の皆さんにお話をさせていただきます……」

 冷成の天皇陛下のお言葉が始まった。


「今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。


 即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。


 明日から始まる新しい平和の時代が、実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」


 誰もが、お言葉はここまでだと思った。ところが、冷成の天皇陛下はポケットからペーパーを出した。


「あと一つ、国民及び皇后に伝えなくてはならないことがあります……」


 冷成の天皇が突然、予定にないお言葉を口にされたので、その場にいた阿呆内閣総理大臣、簾内閣官房長官に宮内庁長官や侍従長、そして報道関係者が慌て出した。最後だからと言って、万が一、政治的な発言などをしたら、その瞬間に阿保内閣は総辞職である。阿呆内閣総理大臣は目で、宮内庁長官に「お止めしろ!」と命じたが、なぜか宮内庁長官も、侍従長も微動だにしなかった。


「伝えなければならないことは、約十八年前、あの北陸大震災により、多くの犠牲者や生活困窮者が出た年に、わたくしはとある女性と不義をいたしました。それにより、男子が生まれました。男子を産んだあとある女性は亡くなったと聞いております。本来であれば、男子が生まれた時点で広く国民にお知らせし、我が第三皇男子とするべきところでしたが、わたくしはこの男子の誕生を皇后に知らせることがどうしてもできませんでした。艱難辛苦を数多乗り越え、わたくしを一身に支えてくれた皇后にこの齢になって、また苦しみを与えることはわたくしにはできませんでした。故に、男子は信頼のおける者に託しておりました。なので、皇統譜にも載せておりません。しかし、男子もまもなく十八歳、いまの法律では成人となります。男性皇族の少ない現在、この男子は貴重な存在であります。それに男子を産んでくれた女性の御霊にも悲しい思いをさせてきたと心残りに感じます。故に、ここに男子の存在を公にいたします。宮名などはわたくしが一人で考えました。宮名は北陸宮、名は忠仁。お印は花菖蒲であります。この北陸宮の今後の処遇については、平和の天皇である亮仁がよきように諮ってくださると申してくださっているので、お任せをいたします。わたくしは明日より我が国と世界の安寧、それと皇后から上皇后になる真紀子への贖罪に勤めてまいります。みなさん、長い間ありがとう」


 令和の天皇皇后陛下は席を立たれた。皇后陛下はしっかりと天皇陛下の左腕に寄り添っていらっしゃった。おそらくはすでに北陸宮のことをご存知で、天皇陛下のご不義をお許しになっているのであろう。


 大慌てなのは宮内庁と報道陣だ。

 宮内庁長官は全くこの話を知らなかった。なので、報道陣の激しい質問に、

「申し訳ありません。詳しく調査ののちお答えします」

 と釈明するしかなかった。


 なにかと騒々しかった冷成の時代。最後に天皇陛下が爆弾を投下されてしまったが、明示維新以降、初めて外国との戦争のない時代であったことは特記しておきたい。

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