第11話 天皇陛下ご退位のご発表
冷成二十八年八月八日、天皇陛下はビデオメッセージという形で、冷成三十一年四月三十日をもって天皇の位を退位し、皇太子、亮仁(あきひと)殿下に皇位を継承するとのお言葉を述べられた。
政府はこれを前例にして、以後の天皇が恒常的に生前退位をすることをよしとせず、今回のご退位は特措法によるものであるという屁理屈を立てた。おかしな話である。天皇陛下とて一人の人間である。自らの老いを感じ、次世代のものにあとを委ねる。これが自然の原理であり、人間天皇に与えられた権利ではないだろうか? それを生前退位は一代限り、として特措法をわざわざ作って、いかにも今回は特別だよという体裁を取っているが、実際には以降の天皇陛下は生前退位を希望されるであろう。その度に専門家委員を作り、特措法を作ってやっとご退位という面倒な手続きを取り続ける。それが旧長州藩の政治なのである。簡単に『皇室典範』を改正し、生前退位の承認と、ついでと言っては失礼だが、女性天皇の容認を決めてしまえばいいのだ。今回、春風宮家に岳仁親王が誕生したので、一気に女性天皇論は消滅してしまったが、皇太子殿下に天皇の位が譲渡されれば、男子皇族は上総宮殿下と春風宮家のお二人になる。上総宮殿下は昇華天皇の弟君で、ご高齢であることに加え、お体の調子も優れておらず、天皇の職務を果たすことはたいへんに失礼ながら不可能である。春風宮森仁殿下は皇太子殿下の二つ違いの弟宮であり、皇太子殿下が天皇の位につけば、皇位継承者第一位として後嗣の位につかれるのであるが、考えて欲しい、皇太子殿下と春風宮森仁殿下の年齢差はわずか二つである。天皇本家の寿命は案外とお長い。明示維新以降では太平天皇が早逝されたが、明示、昇華、今上天皇陛下のご寿命はお長い。現皇太子殿下もこの血統を継がれていられるから、御長寿の可能性は極めて高い。その二歳下の春風宮森仁殿下が即位するときはすでにご高齢ということも十分考えられる。殿下自身も国営放送のインタビューで、「わたくしが帝の位につくことはないのではないかと思われます」とおっしゃっている。すると、俄然注目を浴びるのはまだ幼い春風宮家の寿宮武仁(としのみや・たけひと)親王である。現時点で皇室に男系の子孫を継続させられる可能性のある唯一の男性皇族である。しかし、まだ小学五年生。何が起こるか誰にもわからない。それでも、時の阿呆内閣総理大臣は動かない。ただただ、憲法第九条に自衛隊を明記したいがために国民投票法の設立を訴えつつ、消費税を上げ、安保法案を改悪し、秘密情報条例を作り、国民の知る権利まで奪っている。もしかしたら戦後最悪の右翼系内閣かもしれない。だが、そのことはこの小説とはなんの関係もない……訳でもないが、覚えておくべき内容ではないであろう。長々と失礼した。
武仁親王がご誕生になったことで、幽閉されている天皇陛下の隠し子、北陸宮忠仁さまの存在意義はかなり小さくなってしまった。スズメら飛鳥の集団が天皇陛下に秘密指令を受けることも、この頃ではほとんど無くなってしまった。正直、ヒマを持て余している。御代替わりを前にして、飛鳥の集団はお見限りなのだろうか?
スズメはメジロにあとを任せて長期休暇を取ることにした。スズメの唯一の楽しみは映画を観ることである。それも、CGを多用したものではなく、しっかりとした人間ドラマが好きだった。
ロードショー中心のシネマコンプレックスよりも、いわゆる名画座を巡る方がスズメの好みであった。そういう古い映画でも内容が素晴らしいものを放映するとある映画館でのことである。その日、その映画館はなぜか混み合っていた。名画座と言えば閑散としているのが普通なのに。スズメは多少、不機嫌になった。しかし、右隣の席は空いている。だれも来なければいいと思ったが、そういう時は必ず誰かが来る。スズメには飛鳥の集団に伝わる予知能力が、悪い方の時だけ当たるようにできているようだ。
「こちら、よろしいですか?」
比較的若い女性が尋ねて来た。
「どうぞ」
本当は嫌だけどと思いつつ、相手の横顔をチラリと見る。まあ、若いにしてもスッピンだ。でも、どことなく高貴な顔をされている。思わず、女性皇族かとも思ったが、失礼ながらこんなに美しいお顔の女性皇族はいらっしゃらない。第一、こんな市井の名画座に女性皇族はお一人で来られない。しかも、どこかでこのお顔は見たことがある。いや、しょっちゅうCMやドラマで観ているお顔だ。まさか!
「あの、失礼ですが。水沢舞子さんですか?」
スズメは小さい声で尋ねた。
「ええ、そうですよ。あなたはあたしのことご存知なの? 嬉しいわ」
「日本人なら誰でも知っています!」
「ふふふ、大袈裟ね。赤ちゃんやテレビや映画を一切、ご覧にならない方はきっと知らないわよ」
なんだか、スクリーンやテレビで観る水沢舞子さんとは違って、とても気さくな人だ。
「今日は、お仕事お休みなの? あなたはこんなところに来るだけあって、古い映画が好きなのね?」
水沢舞子は周りを気にせず、スズメに話しかけてくる。
「はい、少し長めの休暇を取って名画座をハシゴしております」
二十四歳にして日本を代表する大女優だ。つい敬語になってしまう。
「あら、そんな堅苦しい言葉を使わないでね。なんだろう? あたし、あなたにはシンパシーを感じる。失礼ですけど、お仕事はなにをされているの?」
まさか、天皇陛下のお見守り役で、暗殺もしていますとは言えない。
「ボ、ボランティアです」
言ってから、バカなことを言ったと思った。ボランティアは職業ではない。しかし、
「まあ、素晴らしい。あたしもねえ、ボランティアをしているのよ。あとは学園の実質的経営。ギャランティーはみんなそちらに飛んでいって、あたしの私服は古着の安物。化粧品もろくに買えないの。でも、変に着飾ったり、派手に化粧を塗りたくるのは大嫌いだからちょうどいいの。あなた、ボランティアだけでは生活がたいへんでしょう。よかったら、あたしの学園でアルバイトをしてみたら。社員登用もあるわ」
いまの気持ちがクサクサしている状態に、この話は降って沸いたような幸運だ。しかし、飛鳥の集団を抜けるのは難しい。激しいリンチに耐え抜かねばならない。
「あの、考える時間をいただけますか?」
「ええ、もちろん。これ、あたしの名刺よ。メルカリで転売したら怒るよ!」
ニコニコと舞子が言った。
映画が始まったが、全く内容が頭に入らなかった。
映画が終わると、水沢舞子はスズメを連れて喫茶店に入った。なんでも、舞子の周りには年長者や子役ばかりで同年代の女性がいなくて、少しさみしいのだと言う。
「わたしでよければ」
大女優に誘われてスズメは珍しく興奮してしまった。そして、聞き上手の舞子に本来絶対に口にしてはいけないことを話してしまった。
「実は、先ほど仕事はボランティアなどととぼけた答えをしてしまいましたが、わたしは、さるやんごとなきお方の下で働いております」
「天皇さまね。あたしも春秋の園遊会で五回ほど、お話しさせてもらっているわ。ほら、スマホに写真が入ってるでしょ。気さくで優しいお方ね」
「そ、そうですね」
「じゃあ、あなたは宮内庁にお勤めなの? 公務員はアルバイト禁止ですよ。残念だわ」
「あ、あの。確かに宮内庁に籍はあるのですが、本当の仕事は……影の者なんです」
「影の者……ようは忍者ね。あたしもいっぱい知り合いがいるわ」
「舞子さま、これは時代劇の話ではありません。わたしは古代から連綿と続く、天皇陛下直属の影の者なのです」
「あらすごいね。だって、天皇家って貧しい時代がずっと続いていたんでしょ。それでも、配下に留まっていたなんて素晴らしいわ」
「そ、そうでも……もしかしたら、先祖は強盗などして、陛下の活計をお助けしていたかもしれません。わたしたちには記録を残すと言うことが許されていませんので、調べようがありませんが……」
スズメは大女優でありながら、お気楽すぎるほど気さくに笑う水沢舞子という女性に会って、心が洗われるような気になってしまい、門外不出の秘密を滝のように話していった。
「さっきも言ったけど、あたしも忍者の知り合いがたくさんいるのよ。甲賀衆、根来衆、雑賀衆だったかな? 伊賀衆には逃げられちゃったの。で、この忍者衆を統括するのが毒蛇衆の蛇腹蛇腹さん。この人はねえ、毒と薬のプロフェッショナルで、いまは神奈川薬科大学の客員教授もしてるのよ。もちろん大学では薬しか教えていないけどね」
舞子が平然と言った言葉にスズメはかなりドキッとした。
「それは、本当のことですか? エキストラのことですか? それとも大泉洋さんのホラ話ですか?」
尋ねる、スズメ。
「大泉さん、傑作よね。でも、これはあたしの言ってみればパトロンの話。あなたがいろいろ秘密を教えてくれたから、お返しにあたしも秘密を話しただけよ」
舞子は紅茶を飲みながらおそるべき、日本の闇を話した。
「その後ろ盾の方はどれくらいの力をお持ちなのですか?」
「そうねえ、暴力に訴えれば、日本をひっくり返せると思う。でも、血を見るのがお嫌いで、できれば、日本国憲法に則って国を変えたいと思われてるわ。ちょっと優しすぎるのね」
「はあ。もし、わたしたちの集団がそちらに移籍したいと申し出たら、許されますか?」
「たぶんだけど、大喜びでお迎えすると思うわ。三日くらい、宴会をしちゃうかも。でもご自身はお酒が飲めないからダイエットコーラ100ケース飲むわ」
「すごうですねえ。では、わたしたちの最後の秘密をお教えします」
「あら、まだ秘密があるの?」
「はい、わたしたちは、冷成十四年にお産まれになった、天皇陛下のお子を預かっております。ただいま十五歳。陛下の命令で礼儀作法、和装の着付け、ひらがな、カタカナしか知らぬ白痴同然のお子です。陛下のご退位までに、皇太子殿下に秘密を明かされると陛下は申されていますが、武仁さまご誕生のいま、そのお子、北陸宮忠仁さまの皇室での存在意義はないとわたしは考えます。まだ先の話ではありますが、もし、北陸宮さまのお命が狙われるようなことがあれば、わたしは悔やんでも悔やみきれません。どうぞ、舞子さまの後ろ盾の方に、北陸宮さまの庇護をお願いしたいのですが!」
さすがの舞子も顔色を少し白くした。しかし、
「わかりました。お尋ねはしてみましょう。ただ結果はどうなるかわかりません。あと、あなたたちの集団の意見を一つにしておいて下さいね。こういう案件では、裏切り一つで、なにもかもが瓦解しかねませんからね」
「はい」
スズメは天皇陛下以外の人物に初めて頭を下げた。
「あたし、ケーキをもう一つ食べようっと。あなたもいかが?」
舞子の頬に赤みが戻った。太い神経の持ち主だ。
「では、ご一緒のものを」
スズメは舞子に身を委ねることにした。たとえ、仲間を皆殺しにしても。
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