第10話 哀れな隠し子

 ある日、スズメは天皇陛下からのお召しを受けた。

「陛下、御用はなんでしょうか?」

 スズメが問う。

「ああ、重要なことが二つあります。まず、一人は産まれたばかりの男児のことです。承知していると思いますが、現状ではわたくしの子と認めることはできません」

「存じております。私どもの信頼のおける部下に、然るべきところでご成人まで預からせていただきます」

「頼みます。ところでその男児なのですが……」

「なんでございましょう?」

「まずは宮名を北陸宮、名前を忠仁とします。お印は花菖蒲といたします。しかし、国民、皇族には当然のことながら一切公表は致しません。忠仁が成人した時に、わたくしも勇気を持って皇太子に、この秘密を知らせます。皇太子なら上手に事を収めてくれるでしょう。それからこれが大事なことなのですが、忠仁には宮中の礼儀作法、和装の着付け、ひらがなとカタカナ以外の知識を与えないでください」

 天皇陛下のお言葉はあまりに残酷なものだったので、これにはスズメも驚いた。

「それにはどのようなご意思がおありなのですか? ほとんど白痴にせよとのお言いつけですか?」

「ええ、そう思っていただいて構いません。忠仁が皇位を継ぐことはまずありませんが、皇族にはまだ威厳が存在し、その威厳のために忠仁を利用しようと考える勢力がいないとは限りません。その者たちが、忠仁を白痴と知れば利用することを諦めるのではないでしょうか?」

 スズメはその逆ではないかと感じたが、陛下のご意思に逆らうのはよくないと考え、

「仰せに従います」

 と答えた。

「それからもう一つ」

 天皇陛下は二つ目の重要事項を話された。

「森仁を守っていた影の集団がなぜか、突然に消えてしまったそうです。この出来事はスズメの集団の仕業ですか?」

「いいえ、我々は陛下をお守りするのが務めであって、春風宮殿下の影の者など、全く存じ上げません」

 スズメは大ウソをついた。

「そうですか……それはそうとして、いまのままでは森仁一家を守るものがおりません。あそこには衣子や内親王二人がおります。影の集団なしには一家を守り切れません。スズメの集団から人を割いてもらえませぬか?」

「はい。それは構いませんが飛鳥の集団は陛下だけのお秘密。皇太子殿下も春風宮殿下もご存知ありません。それが春風宮殿下に知られてしまってもよろしいのですか?」

「これはやむを得ません。新たな影の集団を作ることなど、現行の憲法下では不可能。皇宮警察や警察庁に依頼しても、影の仕事まですることは、まずは無理でしょう。この際、飛鳥の集団から十数名ほど独立させていただけませんか? 名前や素性も隠してね。そうすれば、わたくしと森仁の間で諍いが起きても、大ごとにはならないでしょう」

 陛下がお願いをされた。と言うことはこれは絶対の命令なのである。

「かしこまりました。よきものを選んで東青山御所に飛ばしましょう」

「深く感謝します」

 天皇陛下のお言葉に、深く礼をするスズメ。しかし、心の内では、

(春風宮家に重要なお方はいない。あまり出来のよくない、小鳥を十名ばかり送り込もう。優秀な小鳥をリーダーにしたら、本当に独立して、我々と敵対しかねない。飛鳥の集団も、女性だけの集まりだから、嫉妬や屈辱などあって、決して一つではない。鵜の目鷹の目、御用心御用心)

 と考えていた。スズメはまさか五年後、春風宮にたいへんなお人が現れるとは思いもしていなかった。


 北陸宮さまはモズの手で堂々と皇居内に入った。モズは北陸宮さまを大きめのアタッシェケースにお入れして、宮内庁職員の身分証明書をかざして坂下門を潜り、宮内庁を抜け、紅葉渡を通って、皇居内に入り、なぜか顔見知りの宮内庁職員と歓談ののち、本来の姿に戻って、皇居内を飛んだ。

 なぜ、モズはちょっとした危険を冒してまで、坂下門から入ったのであろうか? モズならば皇居の壁など一っ飛びで超えられるし、隠し通路もある。しかし、残酷な殺し屋であるモズでさえも、北陸宮と名付けられた不幸な生い立ちの赤ちゃんに一抹の憐れみを感じ、皇居に初めて入るときくらいは、堂々とご入場いただきたいと思ったのだ。冷酷なるモズも一人の女性であった。

「ウグイス、来たよ」

 モズがまだ白襦袢に包まれた北陸宮さまをウグイスに渡す。

「まあ、お可愛い」

 鶯は思わず声を漏らした。

「ウグイス、宮さまに愛情を持ったらダメだよ。気持ちはわかるけれど、辛抱をするんだ。愛情を持ったと知られたら、すぐにスズメに殺される。あんたはロボットのように宮さまに接するんだ。スズメにはくれぐれも気をつけな」

 そう言うと、モズはアジトに帰っていった。スズメに報告をするためだ。

「陛下のお子なのに、不憫な北陸宮さま」

 ウグイスはうっすらと瞳を揺らした。他人には気が付かれないようにうっすらと……


 あの未曾有の北陸大震災から五年の刻が過ぎた。


 街は大手ゼネコンの介入により思いがけない速さで復興していった。しかし、被災者や肉親を失った人々の心の傷は全く癒えてはいない。天皇皇后両陛下は北陸への行幸を続けていたが、回数は極端に減っていて、半年に一回程度になっていた。両陛下へのご負担を考えての宮内庁の方針であった。

 その代わりに皇太子殿下ご夫妻が足繁く北陸にお出かけになるようになった。皇太子妃真火子さまは適応障害という心の病に苦しまれ、公務を欠席することが多かったが、この北陸行きだけは欠かさずに皇太子殿下にお供していた。外務省キャリアの職を捨てて皇太子殿下の妃となられた真火子さまは、古くからの伝統にきつく縛られている皇室をなんとか開かれたものにしようと、たいへんなご努力をされた。しかし、それらは古い勢力から全て跳ね返された。意外なことに、民間から皇室に入られた皇后陛下と春風宮妃衣子さまがその急先鋒であった。これによって真火子妃殿下の精神の中の何かが崩れてしまい、一応世間的には適応障害という正直に言うとよくわからない病名を宮内庁病院につけられて長期休養を余儀なくされた真火子妃殿下であったが、大震災という前代未聞の惨事が、真火子妃殿下の心に眠っていたボランティアスピリッツを目覚めさせた。故にかつての天皇陛下のように被災者たちに寄り添い、時には膝を地面につけてストッキングを破ってしまわれてまでも、年老いて、家族を失い仮設住宅に独りで済む老女の目線に合わせてお話しする姿は、テレビでそのニュースを見ていた国民以上に、おそばにいらした皇太子殿下、そして天皇陛下のお心を熱くさせた。そして天皇陛下は真火子妃殿下のお心を思いやり、皇太子家への傾倒が強くなっていった。それに焦ったのは春風宮家、特に衣子妃殿下であった。春風宮殿下は自由闊達であられるが、北陸の大震災については学術的な興味こそあれ、被災者の心を思いやるまでには至っていなかった。この五年、被災地にお入り担っておらず、その一方でご研究のため、東南アジアや南アメリカなどの外遊を三回もなされていた。御次男体質が出てしまったようである。そのために天皇陛下のご機嫌を損じていた。


 だが、その様相が一変する出来事が発生した。衣子さまのご懐妊である。そしてなんと皇室に久々の親王がご誕生するのである。このために、もともと、女性女系天皇の誕生を嫌っていた阿呆内閣総理大臣は、女性天皇容認に傾いていた専門家委員会を強引に解散させ、議論を先送りにしてしまった。


 国民といえば、親王ご誕生に大フィーバーである。皇居前広場には多くの人々が訪れ、皇居を拝み(しかし、親王がいらっしゃるのは南青山御所である)、また右翼系新聞社が作って配る、提灯と日の丸を持って、自然発生的に行列が生まれた。

 各新聞社は号外を配り、出版社は親王誕生を祝うグラフ雑誌を週刊誌の増刊号として発売した。特にお年寄りは全ての雑誌を買っていく。内容など、皆同じだと言うのに……


 親王のご誕生で春風宮家は皇位継承権利者を二人も抱える重要な宮家となった。皇太子家に今後、親王が誕生する可能性は残念ながら、極めて低い。故に春風宮家が現在お住まいの南青山御用邸では警備がしづらいという問題が起きた。増築するか、ご転居するかだが、研究材料を書斎内に多く持たれている春風宮殿下が転居を拒否されたため、増築となった。


 そんなとき、スズメは天皇陛下のお召しを受けた。

「スズメよ、春風宮家の見守りをやめてよろしい」

「はあ? お言葉ですが、これから見守り要員を増やすのが得策かと思いますが……」

 スズメは恐れ多くも反論した。

「スズメ、春風宮にあまりよく働かない小鳥を送ったでしょう?」

「えっ?」

「森仁が不満の意を評していると宮内庁長官から聞かされました」

「お役に立てず申し訳ございません」

「まあいい。しかし、春風宮家には別の見守り役を雇いました」

「ど、どこの集団でしょうか?」

「それは教えられません。スズメたちはわたくしだけを守ってくれればいいのです。さあ、お行きなさい」

「はい」

 スズメは自分の未来予測の甘さを痛感しながら、アジトに戻った。


 憔悴しきったスズメを見て、モズが言葉をかけてきた。

「どうした? 元気ないよ」

 スズメが弱々しく笑って、

「陛下に我々は見限られたかもしれない」

 とつぶやいた。

「なぜ?」

「春風宮家のお見守り役を降ろされた」

「なんだ、そんなことで。だって春風宮家に送ったのはドジなやつばっかりでしょ? それに陛下のお見守りは続くのでしょ?」

「まあね。でも春風宮家のお見守りになった集団が我々より優秀だったら……」

「伝統と格式を守るご皇室が、古代から連綿と続くお見守り役である、我々を切ることはないよ。万が一、そんなことになったら、あたしは戦うよ!」

「誰と?」

「皇室や政府とよ。我々には北陸宮さまという旗印がいるんだ。全勢力を上げて戦えば、日本を治める立場になれるよ」

 モズの鼻息は荒い。

「勝てるわけないよ。我々はせいぜい百羽の集団よ」

「だ・か・ら! 北陸宮さまを立てるの! いまの政治に不満を持つ人々が、新しく開かれた皇室だと言って、どんどん集まってくるわ」

「ふふふ、モズってやっぱり心強いね。元気出たわ。ありがと」

 スズメは笑って奥に引っ込んだ。しかし、政権転覆など、できるはずもまい妄想だ。


 さて、この辺りで本編の主役である、五歳になられた北陸宮を覗いてみよう。

 朝は五時に起き、六時に白飯、豆腐の味噌汁、漬物で朝食をいただく。離乳食が過ぎたあとは毎日、正月を除いて同じものを食べる。その後、自ら和装に着替える。そして宮中の礼儀作法を厳しく叩き込まれる。守役のウグイスは北陸宮の手の位置が数ミリずれても扇子で叩きつける。扇子は鉄扇で、叩かれた痛みは半端なものではない。しかし、北陸宮が泣いたりすれば、さらにキツく叩かれるので、北陸宮は我慢する。礼儀作法が終わると習字であるが、ひらがなとカタカナしか書かされない。これは天皇陛下がスズメに勅命されたことだからウグイスにはどうすることもできない。その後は、朝と同じ食事を昼と晩に食べるだけで、あとはなにもさせてもらえない。ぼんやりと外を見られるだけだ。北陸宮さまは五歳のお子である。意味もなくはしゃぎたくなることもあるだろうが、ウグイスはそれを許さない。ウグイスとの会話もない。北陸宮さまはその生活が普通だといつしか思われるようになっていた。まさか、ご自分の父君である天皇陛下が、自分を白痴状態にして、生きながらこの世にいないものとお考えになっているとは、思わないというか思うということすら知らない、ある意味でこの世で一番不幸な王族、皇族ではないであろうか?

 さらに、春風宮家に親王が誕生したことで、ますます、存在感が薄れてきている。殺されないのは単に天皇陛下のご温情でしかないのであろう。


 このまま、北陸宮は皇居の土となってしまうのであろうか?

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