第7話 春風宮森仁親王殿下

 春風宮森仁(はるかぜのみや・もりひと)親王殿下は天皇陛下と皇后陛下の第二皇男子で、皇太子殿下の二つ下の弟宮であらせられる。宮家を創設されたのは二十歳の時で、その前は綾取宮(あやとりのみや)という宮名で、天皇皇后両陛下とともに皇居にお住まいであった。現在は衣子妃殿下とご結婚なされ、すでにご長女の夜子内親王さま、次女の沙子内親王さまの二人のお子様に恵まれ、南青山の御用邸にいらっしゃる。


 何事にも慎重なお方である皇太子殿下と違い、次男坊の春風宮親王は学生時代から自由闊達で、夏はご研究の対象であるヘビを探して世界中のジャングルに入られ、冬はスキー、スノーボードを楽しまれる。自らさまざまなサークルの会長を務められて、多くの一般学生たちと交流を深めていた。その中のお一人、スキーサークルに所属していた、これまた二歳年下の衣子さまとお知り合いになり、衣子さまが大学を卒業されると同時にご婚姻された。世間では「あまりにも早すぎるのでは?」とか「皇太子殿下より先んじて婚姻に及ぶのはいかがなものか?」という若干の批判も出たが、現在のご夫婦の仲睦まじさを見れば、それらが杞憂であったと知れる。


 そしていま、春風宮殿下は深いご憂慮の日々を送られている。皇太子妃真火子さまが内親王をお産みになったからである。春風宮殿下は真火子さまが男児をお産みになることを強く願っていらっしゃった。そうすれば、父である天皇陛下の次は兄、皇太子殿下、次は皇太子殿下の男児と系列が繋がり、とりあえずは皇室の安泰は保たれる。自分は傍系となり、公務をこなしながら、好きなことにも没頭できると考えていらしたようである。


 しかし、皇太子妃真火子さまの産まれたお子は亜衣子内親王さまと名付けられ、国民は大いに喜びを表し、亜衣子さまブームが起こったが、現在の『皇室典範』ではいくら皇太子ご夫妻のお子さまであっても女児である亜衣子内親王さまは皇太女になることはできない。春風宮殿下はこれには全くご納得がいっておられない。明示維新以前には女性天皇はたくさん即位されている。中には重祚され二度も天皇になられた女性もいる。確かに、歴史上女系の天皇はいないが、亜衣子内親王は、兄、皇太子殿下の男系女子であるからなんの問題もないと春風宮殿下は考えるのである。ではなぜ『皇室典範』の改正に政府、与党は及び腰というか拒絶をするのであろう。それはいまの内閣総理大臣である阿呆晋三が長州藩の流れだからだと春風宮殿下はお考えになっている。明示維新を煽動したのは薩摩藩と長州藩であるが、薩摩藩の有力人物は明示の世にて初めて開催された帝国議会の前に、下野したり、反乱を起こしたり、暗殺されたりしている。議会の中心は長州藩のもので抑えられていた。そのことは遠いむかしのおとぎ話ではなく、現在まで連綿と続いている。故に、長州藩の末裔である阿呆晋三なるものが内閣総理大臣の要職を務めているのだ。春風宮殿下はこのことに激しい憤りを感じているが、やはり『皇室典範』及び日本国憲法により、天皇陛下の次男である自分には、阿呆内閣総理大臣に「叱責」や「注意」といった政治に関わる言動は許されていない。長州藩の政治家たちは自分の先祖が作った現在の日本の体制を壊したがらない。ただ、憲法第九条に自衛隊という軍隊を明記することだけを望んでいる。「まことに、愚かしいことです」春風宮はつぶやく。


 春風宮殿下とて女性天皇が認められない現状では、のちのち、ご自分が皇太弟になる可能性がある。それもまたご憂鬱の種である。皇太子殿下とご自分はわずか二歳違いの兄弟である。仮に皇太子殿下が天皇として九十歳で薨去されたら、ご自分の天皇即位時の年齢は八十八歳である。その年齢で、激しい公務を行えるはずがない。現在六十代後半の天皇陛下でさえ、御公務のあとは強い疲労感を訴えられているという。政府は皇族の人間を自分たちの都合のよいように酷使して、最終的には滅亡させようとしているのではないか? 主君たる徳川将軍家を政権から引きずり落とすような残酷なものたちの末裔である。皇族とて追い落とすのになんの遠慮もしないであろう。


 政事を皇族の手に戻さなくてはならない。父、天皇陛下に三権の長を取り戻していただかなくてはならない。あのにっくき長州藩の末裔どもからこの国を取り戻す。だが、いまの自分には長州藩の末裔どもが作った、自自党に勝つ術など、なにもない。いっそ、庶民の家に生まれればよかった。そうすれば、父や兄たちに遠慮なく、長州藩政権と戦うことができたのに……

 春風宮は唇をおかみになった。赤い血が滲む。そのとき、

「殿下、我々をお忘れではないですか?」

 春風宮殿下一人のはずの部屋の片隅に男が控えていた。

「そなたは……ああ、風魔衆!」

「はい、首領のコブラでございます。もちろんヘビ好きの殿下のためにつけたコードネームですがね。へへへ」

 きちんとしたスーツこそ着ているが、この「コブラ」と名乗った男には気品もなにもない。春風宮殿下は強い不快感をあらわにされた。

「招いているわけでもないのに、現れることはないぞ、風魔衆の首領」

「殿下、お気づきではないと思いますが、貴方さまの身の安全をお守りしているのは我々風魔衆なのですよ」

「初対面の折、その話は聞きました。それは感謝しています。しかし陛下や兄君はそちらが見守られているのではないでしょう?」

「ええ、お二方のことは全く存じ上げません」

 コブラは少し忸怩たる表情を見せた。

「わたしは一段、下に見られているのか?」

 春風宮殿下はコブラにお尋ねになった。

「とんでもないことでございます。我ら風魔衆、戦国の世には小田原の北条氏にお仕えし、その後は徳川将軍家に坂東の護衛を任された由緒ある一族。伊賀、甲賀にも劣らぬものでございます」

 コブラはツバを飛ばして力説した。それもまた春風宮殿下のご不興を買う。

「ところで、本当になんの用事で出てきたのだ? 場合によっては皇宮警察を呼びますよ」

 春風宮殿下は声を荒らげた。

「ふふふ、皇宮警察ごときに、捕まるものではありません。それより、先程来宮さまは、現在の政権についてご不満があるように承りました。もし、よろしければ、政権を壊す仕事を我らにお任せくださいませんか?」

 コブラは自信満々に言った。

「どうやって、行うのですか? 人死が出るものならやめてください」

 春風宮殿下の唇が震える。

「人の命までは奪いません。風魔衆とて法治国家では法のうちに手仕事をいたします。政治家というものは、しょせん人気家業。国民の信頼を失えば、地に堕ちます。宮さまはご存知ないでしょうが、元国会議員で現在生活保護受給者というものも少なからずおります」

「そうなのですか……」

「はい。出る杭は打たれる。雉も鳴かずば打たれまい……失礼を致しました。ことわざ好きなもので」

「それはわたしに言っているのか? ヒゲをはやし、諸外国にヘビを求めて飛び回るという」

「いえいえ、あくまで政治家どものことでございます」

 コブラが冷や汗をかく。あれ、ヘビとは汗をかく生き物だったか?

「では、どのように政権を打ち崩すのだ?」

「宮さまにはお耳触りでしょうが、非新聞系週刊誌などのメディアに政治家のスキャンダルを密告するのです」

「ウソはいけないでしょう?」

「いいえ、政治家はカネが命です。必ずや不正を働いています。我々はそれを調査し、見つけ出します」

「そうですか。では期待しないで状況を見ておりましょう。それによって、そなたらの信頼度がわかります。さあ、消えなさい」

「はっ」

 声だけ残して、コブラは消えた。


 天皇陛下には飛鳥集団、春風宮殿下には風魔衆、全く系統の違う軍団がその身をお守りしていることがわかった。では皇太子殿下には? それをいま言うわけにはいかない。いずれ出てくるであろう。


 数ヶ月後、阿呆政権の複数の閣僚に不正献金の疑惑があることを『週刊夏冬』『週刊慎重』『週刊女性ヘブン』などが一斉に報じた。国会では野党がこの件で、名前の上がった閣僚や阿呆内閣総理大臣の任命責任について厳しく追求した。結局、閣僚たちは辞任、阿呆内閣総理大臣も任命責任を認め、国民に謝罪したが、具体的な責任は何一つなされなかった。したたかな男である。


 テレビでそのことを知った、春風宮殿下は、

「風魔衆、この程度か。政府を転覆させるようなことはできないのですか!」

 と自室で叫んだ。妃殿下や内親王さまたちには聞こえないような声ではあるが。

 すると、

「コブラでございます」

 と背中で不愉快な声がする。

「何用か? わたしは風魔衆に失望しています」

 春風宮殿下は怒りを抑えて話す。

「今回は、もう一足足りませんでした。首相の不正も見つかったのですが、証拠となる資料を隠されたか破棄されたかで、公表をすることができませんでした。今後も探索を継続し、必ずや首相を二人に追い込みます」

「頼みますよ」

「かしこまりました。ところで別件で重大事項が発生したのですが、お話ししてよろしいでしょうか?」

 コブラが話を変えた。

「なんですか? 重大事項とは仰々しいですね」

 春風宮殿下が聞く耳を持たれた。

「はい、まだ未確認の部分が多いのですが、宮さまのお父君、天皇陛下に隠し子がおできになり、天皇陛下はそのことを皇后陛下以下どなたにもお話しせずに影の者をお使いになって秘密の場所にお隠ししているとか……」

「バカな、陛下は皇后陛下以外の女性をご寵愛することはあり得ません。だいたいご年齢を考えなさい。誰がそのような戯言をあなたに言ったのですか?」

「はあ、それが……」

 コブラが言い淀む。

「言いなさい!」

 春風宮殿下のお怒りが凄まじい。

「じ、侍従長さまです」

「多賀城の爺が?」

 春風宮は力なくうなだれた。多賀城侍従長は皇族や皇居のことを宮内庁長官よりも詳しく知っている御年七十八歳の元海軍元帥である。普通なら戦後の東京裁判でA級戦犯となり死刑になる立場だが、アメリカとの開戦を主張した東儀英機大将に強く反対の意を表し、謹慎を命じられていたため、連合軍に逮捕すらされなかった。そして、昇華天皇の時代から請われて侍従長になったのだが、この人の得意軍事活動だけでなく、防諜活動にもひじょうに凄腕の手腕を発揮していた。故に、彼が天皇陛下の隠し子の話を誰かにしていたのであれば、間違いなく、それは事実なのである。


 しばらく、沈黙をしていた春風宮が突然、お顔をあげられ、コブラに、

「その秘密の絶対に居場所を見つけなさい。そして、お子が男児か女児か見極めなさい。首相のことは後回しでよい」

 とご命令された。

「はっ」

 コブラは一礼して消えた。

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