第4話 皇室の影

 三回目の行幸から皇居に戻られた天皇陛下は、皇后陛下やお付きのものに、

「学術的に面白い発想が浮かびました。しばらく書斎に籠りますので、そっとしておいてください」

 と、おっしゃって書斎に入っていった。ちなみに天皇陛下はウナギの生態研究の第一人者であられる。


 しばらく、洋室造りの書斎の窓辺に置かれた机付属の椅子に座られ、外の景色をぼんやりと眺められていた天皇陛下は、覚悟を決めたように、

「スズメ、スズメおいでなさい」

 と童謡を唄うようにささやいた。すると、瞬時に、

「ただいま、まいりました。して、御用の向きは?」

 とフォーマルな格好の長身な女性が現れた。しかし、どこから現れたのかが全くわからない。天井はコンクリート、窓や扉が開いた形跡もない。クローゼットにでも隠れていたのだろうか?

「ああ、少しばかり問題が起きました。七月に金沢の料亭に宿泊した時……」

 天皇陛下が話を続けようとすると、長身の女、おそらくコードネームは『スズメ』が、

「もう、それ以上はお話しにならなくて結構です。概要は把握いたしております。わたしは小篠淳子を胎児もろともこの世から消しさればよろしいのですね?」

 とかなり物騒なことを平気で言った。天皇陛下も流石に表情を歪めて、

「そうではありません。小篠女史に穏便かつ人知れず出産をさせてあげて、もし赤子が男児ならば、上手な方法を考えて、どうにかして皇室に迎えたいのです。知っていますよね? 現在の皇室の男子はわたくしの他に、父、昇華天皇の弟君である、叔父の上総宮、皇太子、春風宮の三名です。皇太子妃が現在身籠っていますが、こちらはすでに女児と判明しています。『皇室典範』では天皇の位に付けるのは男系男子のみです。スズメはすでに知っていると思いますが、いまの内閣総理大臣は女性天皇も女系天皇も認めたがっていないようです。しかし、このままだと皇室は遠からず滅亡します。だから、小篠女史が男児を産んだら、どうにかして皇室の一員にしたいのです。女児であれば養育費を差し上げて、影で寄り添う形にすればいいと考えます。いかがでしょう?」

 天皇陛下はスズメに問われた。

「陛下、率直に申し上げます。現在の『皇室典範』には側室の規定はございませんが、天皇、すなわち皇帝が側室や、かなり非げた物言いですがお妾の一人や二人お持ちになっていても、この国の民は違和感なく受け入れるでしょう。それで男性皇族が産まれれば、国民は大喜びするでしょう。さらに、男児がご誕生となれば、皇居前広場には右翼系の新聞社が拵えた提灯の行列ができて世の中が明るくなります。私には問題解決がとても簡単なことに思われます」

 スズメは淡々と答えた。しかし、天皇陛下は首を横に振り、

「それではダメなのです!」

 と珍しく大きな声を出された。

「なぜでしょうか?」

 スズメが尋ねる。

「わたくしは、今回のわたくしの過ちをを真紀子に知られたくないのです。考えてもみて下さい。これまで、民間人で初めて皇室に入った、真紀子には散々な苦労をかけ、それにも関わらず、気丈にわたくしを支えてくれました。にもかかわらず、この晩年に至って、真紀子にまた辛い思いをさせたくないのです。ですから他の方法を考えてください」

 天皇陛下は皇后陛下のことを思い、七月のご寵愛で小篠淳子が懐妊したことを公にしたくなかったのである。もし、小篠淳子が若き日の皇后陛下にそっくりでなければ絶対に起こらなかったご寵愛である。


「問題がかなり難しくなりました。まず第一のご提案。皇太子妃が現在身籠られているお子さまと二卵性双生児が産まれたことにする。第二のご提案。春風宮ご夫妻にお子さまができたことにする。第三のご提案。どちらかの女性皇族が私生児としてお子をお産みになり、哀れお相手は病死。やむなく皇室で育てるうちに男性皇族に認められる。考えられるのはこの三案ですが、いかがでしょうか?」

 スズメが明快に案を提示してきた。しかし、天皇陛下はよい顔をしない。

「皇太子夫妻や、春風宮夫妻に事を託したら、母親思いの兄弟につき、必ず真紀子に伝わります。女性皇族の私生児などは一般的に考えられないし、選ばれてしまった女性皇族がかわいそうです」

「そうですか……では、やはり密かに消すしかないようですね」

 スズメは天皇陛下の答えも聞かず立ち去ろうとした。

「待ちなさい!」

 天皇陛下がスズメを引き止めた。

「わかりました。こうしましょう。もし、小篠女史が男児を産んだ場合は、スズメとその配下のものが皇居内のどこか秘密の場所で、育ててください。男児が成人になった暁にはわたくしの子として対面し、わたくしは同時に天皇を退位することにします。どうでしょう?」

「かしこまりました。勅命にお従いします。ただ、小篠淳子さんまではご見守ることはできません」

 スズメが言った。

「わかりました。かわいそうですが、男児は密かに持ち去りなさい。小篠女史のケアはわたくしの個人財産でできるだけ手厚く面倒を見ましょう」

「ならば、至急準備いたします。失礼」

 スズメは忽然と消えてしまった。テレポーテーション能力でもあるのだろうか? それはもちろんジョークで、実際には書斎に物理的トリックがあるに決まっており、天皇陛下もその仕掛けをご存知なので、全く驚かれていないのだ。しかし、この小説は本格ミステリーではないのでそのトリックを解決したりはしない。

 はあ? 語り手であるわたしが物理的説明ができないのだろうですと! 失礼な! 私はもちろん知っている。だけど教えてあげないの。残念だね。


 スズメは江戸幕府で言えば御庭番、すなわち公儀隠密と同様の影働きの集団のトップだが、その成立が飛鳥時代からであるため、全ての隠密行動が洗練されている。一昔前の産業スパイやハッカーなどもスズメの集団には敵わない。この集団の存在は代々、三種の神器や玉璽と同様、天皇陛下にしか伝えられない。普段から天皇陛下の周りに誰もいないように見えても、必ず十人以上のスズメの集団が隠れている。天皇陛下が、小篠淳子の懐妊を話そうとしたのをスズメが途中で遮ったのも、あの場にスズメの集団がいたからである。しかも、そのことを天皇陛下さえ知らないのである。

 スズメとその配下と天皇陛下はおっしゃったが、それは現在のリーダーがスズメであるというだけで、他のメンバーにはそれぞれ違う鳥のコードネームがついている。集団の正式名称は飛鳥であるが、薬物の使用は禁止されている(つまらん、ジョーク)。ピストルなどの銃器は使わず、拳法や毒物などを用いて全て、自らの五体でのミッションを遂行するのだ。古来より、メンバーは女性のみとされている。もちろん男性との交流は任務以外では禁止だ。ルールを守らねば、モズが木の枝に獲物を刺しておくように、街路樹にリンチされた死体がつき刺さって発見されることになるが、女性は倫理観が男性より強いので、過去に一度もそんなことは起きていない。


 スズメは皇居内にある秘密のアジトに戻ると主要メンバーを集め、今回のミッションの概要を説明する。

「久々の大仕事だね」

 ツバクロが言う。

「そう、長期にわたるミッションだね。七ヶ月後に小篠純子が男児を産めば、成人になるまで約二十年、そのお子さまをこの皇居内で隠し通さなくてはならない。特に注意するのは造園職人たちだ。もし、見つかったら、我らの持つ大脳コントロールで、そいつらの記憶を消さなくてはならないよ」

 スズメが真剣に言った。やはり、飛鳥時代からの血統を守っていると、呪術も使えるのだろう。あれ? どうやって血統を繋ぐのだろう。実は彼女たちは天皇陛下の血を受け継いでいるのである。これもまた重要な秘密事項なので、新天皇は密かに伝承されると一様に驚愕する。自分を守っている、影たちが自分の血を引くものなのである。しかも男児が生まれると即、間引きされてしまう。彼女たちのアジトの奥にある小高い丘には多くの男児が眠っており、皇居内は日本神道一色なので、お地蔵さんではなくただの大きな球体の岩が置かれている。生まれた男子を皇室に入れて育てれば、現在のような歪な事態にはならなかっただろうが、飛鳥の集団の男児は皇室には入れない。そういう鉄の掟が古代から続いている。そういう意味で、飛鳥集団は天皇陛下お一人を守るために一生を捧げる悲しみの集団なのである。

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