第2話 冷成の天皇、被災地巡幸

 冷成十三年七月一日、首都テレビ『S T Sニュース』より。

「天皇さまは今年二月に起こった北陸大震災の被災者をお慰めになるため、明後日より北陸各県をご訪問されることになりました。各所では仮設住宅で苦労を余儀なくされている人々にお声がけするほか、津波に流されながら奇跡的に救助された小篠淳子さんが現在勤めている石川県金沢市の料亭でご夕食を召し上がりながら淳子さんとご歓談をし、一泊されるご予定になっております。なお、皇后さまは昨日から発熱や咳など風邪の症状が見られるため、医師により、今回の巡幸はご遠慮されるもようです。その際、皇后さまは『風邪をおしてでもぜひにでも行きたい』とおっしゃられたそうですが、天皇さまが『この未曾有の災害の地、これから何度も足を運んで皆の心を癒さねばならない。だから今回は静養し、元気になったらともにいらっしゃい』と優しくお諌めになったそうです」


 冷成十三年七月二日、ジャパン・テレビ『ニュース・エブリデイ』より。

「異例の巡幸です。天皇さまは明日、北陸大震災の被災地へと向かわれますが、天皇さまご自身のご希望で、ヘリコプターにて現地にお入りになることになりました。現在、北陸まで電車で行かれるには、いわゆるお召し列車で線路を乗り継ぎ、お行きにならなくてはならず、さらに、北陸一帯では線路の復旧がいまだ完了していない地域も多く、天皇さまが『一刻も早く、皆の心を慰めたい』と仰せになり、『ヘリコプターのご使用は危のうございます』と反対した宮内庁幹部に強い意思をお見せになったそうです。現在、皇室には専用のヘリコプターがなく、宮内庁から依頼を受けた防衛省は航空自衛隊の最新式大型ヘリコプターを天皇さまの行幸のために用意するそうです。また、安全のため、ヘリコプターの離陸場所は非公開とされています。しかし、専門家によると皇居前広場のヘリポートが無難であろううとのことです。宮内庁によると、『歴代天皇でヘリコプターで巡幸されるのはおそらく初めてではないか』としています」


 余談になるが、この事がきっかけになり、現在のJR北陸新幹線の着工が早まったという説もある。(諸説あり)


 冷成十三年七月三日午前十時。

 皇居前広場のヘリポートに航空自衛隊の大型ヘリコプターがすでにプロぺラを回転させて天皇陛下一行を待っていた。

 少し遠い場所では、皇宮警察に守られた、皇太子殿下、春風宮殿下ご夫妻、そして軽いお風邪を召している、皇后陛下がお見送りに出ていた。

 桜田門はすでに開いている。誰もが天皇陛下の遅れを気にし始めた時、皇宮警察、同行する宮内庁幹部とともに天皇陛下が現れ、航空自衛隊員たちに会釈し、ヘリコプターに乗り込んだ。手を振る皇后陛下らご家族に見送られ、手を振り返す天皇陛下の搭乗する航空自衛隊のヘリコプターは青空の向こうに飛び立った。


 ヘリコプターは二時間かけて、今回もっとも被害の大きかった能登半島へ降り立った。誰が配るのかは知らぬが、人々が日の丸の旗を振って天皇陛下の到着を喜ぶ。天皇陛下はなるべく多くの人にお声がけをしつつ、用意された車に乗られた。

 まず行く先は、今も瓦礫が大量に残る海辺の街である。町長の説明を受け、呆然と失われた街の跡をご覧になる天皇陛下。日本神道の事実上のトップであるため、両手を合わせることはしないが、深く頭を下げ追悼の意を示す。それをマスコミのカメラマンたちが一斉に撮影する。悪い言い方だが、絵になるシーンなのである。


 その後、高台に作られた仮設住宅に天皇陛下が訪問すると、特に年配の被災者が拝むように天皇陛下を見つめる。庶民の目線でものを見て聴くことを自らに課している天皇陛下は一人一人の苦悩、苦痛に耳を傾け、お言葉をかけられる。その声は“人間天皇”のものではなく“現人神”の発せられたものに聞こえたであろう。


 能登半島巡幸を終えた天皇陛下は、車で金沢に行かれる。津波に飲み込まれ、海に放り出されながら着物を来ていたため、袖が浮き袋になり、溺死することなく漁船や海上自衛隊に救助された小篠淳子の元を訪れるためである。淳子が勤めていた料亭『ほたる亭』は海の藻屑と消えたが、今は系列店で金沢一の料亭と言われる『犬千代館』で女中として復帰している。料亭とはいえ、当然の如く宿泊施設を兼ねる『犬千代館』に天皇陛下は御一泊され、帰りはお召し列車を使われる予定であった。


 天皇陛下の巡行時のお食事は、宮内庁大膳課の人間が宿泊所の料理長と相談して作られる。なにかと公務の多い天皇陛下の摂取カロリーは1900kcalと定められている。大膳などと聞くと武田大膳太夫晴信などという戦国時代の武将を考えてしまうが、現在も存在している職名なのである。

 天皇陛下の食事に毒を盛っても、この冷成の時代では政治的になんの問題もないので、お毒見役は流石にいない。今夜は『犬千代館』の女中たちがお料理を運ぶ。その中に小篠淳子はいない。この料亭の女将が用意した綺麗な着物を身に纏って、天皇陛下のご接待をするのだ。


 天皇陛下はアルコールを呑まない。宮中晩餐会などで口に少し含むだけである。しかし、本当は呑めないわけではない。

「小篠淳子でございます」

 天皇の部屋に淳子がやってきて宮内庁職員に名乗る。現在でも無位の庶民は直接の応答はできないようだ。

「遠慮なく、お入りなさい。それに直接お話ししてくれていいのですよ」

 直答が許され、天皇陛下は優しく誘った。

「はい、失礼いたします」

 純子が俯きながら天皇陛下に近づく。

「どうぞ、お顔をおあげなさい」

「はい」

 俯いていた淳子が顔を上げる。緊張して体が震えているのがわかる。

 しかし、普段感情を表に出さない、天皇陛下の顔にもかすかに驚きの表情が見える。

「ま、真紀子……」

 真紀子とは皇后陛下のお名前だ。そう、小篠淳子は若き日の皇后陛下に瓜二つだったのである。

「陛下、おささは?」

 純子が尋ねると、

「ああ、頂こう」

 天皇陛下が答えたので、お付きの宮内庁職員が吃驚した。しかし、天皇陛下が酒をお召しになってはいけないという法律はない。天皇陛下の酒は進んだ。皇太子だった学生時代は友人と酒を酌み交わされていたこともあるのだ。ただ、天皇という大任を全うするために禁酒をしていただけである。

「あなたもお呑みなさい」

 天皇陛下が純子に酒をお勧めになる。緊張していた淳子の強張りが取れ、二人は歳の離れた恋人のように見えてきた。


 焦ったのは宮内庁職員だ。皇后陛下一筋の天皇陛下に間違いはないだろうが、まだ六十代。万が一ということもある。それにお酌をしているのは若き日の皇后陛下のような美人。どこでお止めしようかと相談していると、

「一条よ、皆疲れたろう。各々の部屋で休息しなさい」

 天皇陛下が鋭い声で、命じられた。拒否はできない。

「ハハッ、陛下も決してご無理をなされませんよう」

 一条と呼ばれた宮内庁職員が一石を投じたが、天皇陛下に伝わったかどうか?


 そして夜は更けていった。


 冷成十三年七月四日、国営放送『おはようJAPAN』より。

「昨日から北陸大震災の被災地にお見舞いの巡幸を行われていた天皇陛下は、ご体調がすぐれないため、今日と明日の二日間、前日に宿泊した料亭でご静養されることになりました。宮内庁病院の医師によると疲労の蓄積で症状は軽いということです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る