第2話 「うちに来ればおニーサンは強くなれるっスよ」
ドア前で空きを待つ気配に圧されて、個室は早々に明け渡してしまった。
少し待たせれば諦めてくれるだろうか。
そう思ってなるべく時間をかけて手を洗ってみたが、ハンカチを手に男子トイレの外を
背の高いエンドウがカミハラという少女の襟を後ろから掴んで捕まえている。
文字通り首根っこをつかまれた彼女は、何やら抗議しながら拘束を脱出しようと左右へ身をよじっていた。
見たところ出口へつながる通路は彼らの待つ方向にしかないようで、俺は袋のネズミという形である。
観念して姿を見せると、すかさず少女が、次いでその反応の変化でエンドウが俺に気付いて手を振ってきた。
「やーっと出てきたっスか」
少女が駆け寄ってくるので、犬にリードを引かれた飼い主のようにエンドウもあとを付いて来た。
「で、何? その子はエンドーの姪か何かなの?」
どんだけウンコ長いんスか、緊張でゲリったっスか、と煩い少女を指さす。
彼女は下品な発言を繰り返すが、恐らく先ほどのエンドウの言葉が原因なので責任はこの男にあるだろう。
軽薄だが持ち前の明るさでチームのムードメーカーをしている目の前の優男、それがエンドウだ。
ユルい態度と裏腹に色々なジャンルのゲームをプロレベルで卒なくこなし、投射攻撃の射線を読むスキルには特筆すべきものがある。
なので主にチームの支援役を務めているが、遠距離攻撃手段の多いタイプのタイトルでは無類の強さを見せることがあった。
「いんや、俺には兄弟とかいないし、親戚も少ないの知ってるっしょ。 この子はカミハラ・カエデちゃん。 俺のじゃなくて俺の恩人の姪っ子よ」
「もうさっき自己紹介は自分でしたっスから。 結構っスよエンドウ氏~」
親しげに話しているところを見るに、二人は兄妹のように見えるのだが。
エンドウの恩人と言えば、心当たりがある。
「病気したとき診てくれた先生の話してるじゃん?」
エンドウの言うそれは、俺たちが二人で手持無沙汰になると何かにつけて語って来るものだ。
何度も聞かされていたから、さして興味もないのに俺もすっかり覚えてしまった。
大体このような話になる。
エンドウは幼少の頃に難病を患ったのだが、国内には専門医がおらず、代わりに海外で執刀できる名医を紹介された。
しかし彼の両親は海外で手術を受けさせるだけの医療費を捻出できず、治療を断念するしか無かったらしい。
そこで名乗りを上げたのが、病気には門外漢の一人の研究者だった。
彼の開発している医療用VR機器、それを用いた遠隔手術の被験者になる条件で、海を隔て国内で手術を受ける手はずを整えてもらったのである。
……そう言えばその研究者の名前も――
「あの話のカミハラさん?」
「そう、そのカミハラ先生」
という事は貰った名刺はホンモノで、彼女は彼の姪その人で間違いないのか。
いぶかしげに少女へ視線を移すと、彼女はパッと笑ってエンドウの袖を引いた。
「おニーサン、チーム辞めるらしいっスから。 約束通りアタシの話を通してくださいよねぇ」
「いや、まだ辞めると決めたわけじゃ」
迷っている段階だが、明日になればケロっと忘れて、何食わぬ顔で次の機会を
今回の挫折感は今までより大きいかもしれないが、現に俺は今までそうして続けてきたのだ。
「一度口に出したら決めたようなもんっスよ。 例え今否定しても、また近いうちに同じような事を考えるようになるっス」
それを言われると何も返せない。
そして、俺が一度は口に出したくだりを聞いたエンドウは、そこまで驚くそぶりは見せなかったが、残念そうな顔をした。
「やっぱ引退考えてる感じか。 チームでも皆、この頃のカゲさんってちょっと追い詰められてる感じだよねって話しててさ。 この大会に進退懸けてたんでしょ? このごろ練習も鬼気迫る感じだったし」
そんな風に思われていたのか。
自分でもハッキリそう決めていたわけではないので、それはエンドウの考えすぎだ。
だが確かに、そういった気負いをこめて背水の陣を敷けば何かが変わるかも、と願をかけながら練習していたことはあった。
すると、全くその気が無かった、というのも嘘になるのだろうか。
なので「まぁ」と曖昧に相槌を打ってしまったが、お陰でカミハラがいよいよ忙しなくなる。
「いや、ちょっと待て。 どっちにしても、この子の話を聞くとは言ってないんだけど!」
話が俺の意志に構わず進んでいくようで、それを阻止するべく慌ててそう言うと、カミハラは不満げに頬を膨らませた。
「えーっ、なんでっスかぁ。 疑うようならアタシの身元の保証、エンドウ氏がしてくれるっスよ」
「そういう事じゃないんだよ」
この際、カミハラが何者であるかというのは関係ない。
周りに成り行きを作られて、それで自分の進退を決めさせられるのだけは御免被りたいのだ。
そこで、ちょっと黙ってようね、とエンドウは騒ぐ彼女を押しとどめた。
「まあ聞いてよカゲさん。 俺たちに相談も無しにいきなり辞める辞めないって、話が性急すぎるっしょ。 カゲさんいつも、独りで考えちゃうからな。 だからさ、えーと……何が言いたいかってと」
そこでうーんと唸って、エンドウは次に続ける言葉を考え始める。
言葉の選びに困るようなことを言いたいのだろうか。
確かに進退の事はまだ誰に相談したことも無かったが、それは周りへ選択を委ねたくなかったからだ。
だが、チームという組織の中での身の振り方の話なら、俺はもっと周りへ打ち明けるべきだったのかもしれない。
俺だけで何か結論を出したところで、皆は俺の都合で動いているわけではないのだから、受け入れられないという事もきっとある筈だ。
周りにも俺のことを聞いて、介入する権利があるのではないか。
エンドウはそう言いたいのだろうか?
「あ、責めてるわけじゃぁないのよ。 ぜんぜん、そう、修行! 修行に行ってこいって事」
全然違った。
捻りだした言葉に自分で納得したのか、エンドウは何度もうんうんと首を縦に振る。
「修行?」
予想だにしない単語へ、俺はおうむ返しで応じてしまう。
エンドウはカミハラの両肩を軽く叩いて見せ、俺に彼女を突き出した。
「カエデちゃんはね。 こんな子供だけどいわゆる天才って奴? VRの先生やってんのよ」
「先生はしてないっスよ」
「チームで考えてたんだけど、カゲさんはゲームが上手いとか下手とかじゃなくて、いや十分上手いんだけど。 とにかくVRとの接続相性がよくないのかなって話になってさ。 そしたら俺って丁度、研究所でVRの先生やってる知り合いいるじゃん? 話聞いてみよう、って流れで連絡とって。 カゲさんのこと話してみたら、カエデちゃん、アタシの所で預かってあげるっス、って言ってきてさ。 カゲさんに事前に何も言ってなかったのはワリィって思ってるけどさ、カゲさんってワリとお節介嫌がるじゃん? だから事後報告ね」
エンドウは早口でまとまりのない説明を口走る。
要領を得ないが……。
「うん、エンドウが俺のために、俺へ相談なしに動いていたということは分かった」
嫌がられるの分かっていてやるという事は、このカミハラという子のことを相当買っているのだろう。
「だから先生じゃないっスから。 電脳研究室の室長っス!」
訂正から何かとんでもない情報が飛び出た気がしたがスルーするとして、エンドウにとってVR技術開発者というのは間違いなく先生なのだ。
と、そこでエンドウの下手糞な説明に我慢の限界だったのか、カミハラは肩に乗ったエンドウの手を払って押しのけた。
そして自由になって腕を組むと、指を一本立てて俺に見せる。
「おニーサンは多分、何かの要因で自分をセーブしちゃってるんスよね。 VRへの深化を体が拒絶している可能性があるっス。 だからうちでデータ取らせてもらって原因を究明すれば、アタシはその間モルモット君を手に入れて研究がはかどるし、おニーサンはもっと強くなれるようになってウィンウィンって訳っス」
「今、モルモットって言った?」
エンドウへ目を移すと半笑いで、素直な子なのよー、とフォローを入れてくる。
「うちに来ればおニーサンは強くなれるっスよ。 何も肉体改造とかするわけじゃないっスから。 たのしーくゲームで遊んでもらうだけっス」
カミハラはそう言い切るが、ゲームをするだけで強くなれるなら、俺はこんな事になっていないのである。
とても信じ切れる話ではないのだが、しかしエンドウたちチームメイトが俺のためにくれた紹介だ……それこそ全く俺に相談は無かったが。
果たして無下にしていい物だろうか、と
「どうせ辞めちゃうなら、迷う気持ちのあるうちに、もう一足掻きしたっていいじゃん? 俺も一緒に上と掛け合うからさぁ」
彼の言う通り、今の気持ちが消えないうちに、俺は変わるべきなのかもしれない。
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