第5話


 それからほどなくして。


 つばさの事務所に、週刊誌の編集部から電話がかかってきた。


「今度の最新号に、おたくの森島つばささんの記事が出ます」


 というような内容で、事務所のスタッフが訊ねると、


「森島さんが入籍したって情報は間違いないと思いますが、夫にあたる一般男性が失踪したって記事なんですけど」


 との話で、どうやらどこかから情報が漏洩したようであった。


 真っ先に情報を漏らした犯人として、パーティーにも顔を出していたまりあが疑われたが、


「私がバラして何か私にメリットある? メリットもないのに、私が言う訳ないじゃない」


 と否定した。


 事実。


 週刊誌の発売日の前日ながら周囲を確認したものの、まりあが漏らした形跡はない。


 詳細が分かったのは記事の中身からで、馬車道の店の関係者であるらしいといったことまでが判明した。





 当然だが。


 馬車道の兼康の店には情報番組や雑誌、スポーツ紙の記者が貼り付く。


「彬さんがいないだけでも厳しいのになぁ」


 と従業員も次第に歯が抜けるように、いなくなってゆく。


 ヘッドハンティングもあった。


 さらに。


 弘明寺の例の兼康御殿まで、記者がうろつく事態となってしまったのである。


 これに閉口したのは母の百合子で、


「庭の水やり程度でも化粧しなきゃなんないじゃないの」


 とこぼした。


 当たり前だがつばさも、蒲田の自宅から出る際に記者が追っ掛けてくる騒ぎとなり、さすがにこれには日頃は笑顔を絶やさないつばさも、


「さすがにしんどいわぁ」


 と、思わず京都弁が出てしまうほど困じ果てていたらしい。


 テレビをつければ毎朝つばさの話題で、スポーツ紙を拡げてもつばさの記事が目につく。


 一人のパティシエが失踪したというより、新婚ホヤホヤのモデルの夫が失踪したという事案は、ネットで物議を醸す件へ、次第に膨らんでいったのであった。






 そんな日が何日間か続いた朝。


 次は玄関から出勤しようとした父の穣が、記者と小競り合いになったのである。


 職人気質で口が重い穣は無言でいたが、記者の執拗な質問責めにどうやら我慢がならなかったらしく、


「…邪魔だ、このゴミ!」


 と記者の腕を払った。


 すると、


「ゴミとはどういう意味ですか?」


 記者が食い下がった。


「お前たちマスコミのことだ」


 穣が言い返した。


 このとき。


 穣が一番まずかったのは、記者の顔を殴った瞬間がカメラにとらえられて、全国に放送されたことである。


 それは繰り返し放送され、


「あれは明らかに暴行ではないのか?」


 というコメンテーターの弁護士の発言が決定打となって、


「逮捕状の請求が出た」


 という速報のテロップまで出たのである。






 翌日。


 穣は連行された。


 モデルのフィアンセの失踪という事案は、ついに逮捕者まで出る事件にまで、規模が拡大したのである。


 果然。


 馬車道の店はしばらく閉鎖を余儀なくされた。


 ちょうどクリスマス商戦の直前であったために、


「あれでは持たないのでは」


 と揶揄されるほど、経営は傾き始めた。


 弘明寺の御殿は百合子とさくらだけになり、男手がなくなったことで電球の交換すら難渋する始末で、


「大輔くん悪いね」


「いや、困ったときはお互いさまですから」


 と、何かと大輔に頼るようになっていった。





 その頃。


 わざとつばさは仕事を増やした。


 とにかく。


 現実から逃避するように、撮影と収録に没頭するようになっていたのである。


 そのため。


 まりあをはじめ仲間たちと会食をする機会も減った。


「まるで高校生みたい」


 とマネージャーが言ったほど、二人でファミレスで簡単に済ます…といった夜が増えたのは、いうまでもない。


 果たして。


 露出が増えたので知名度は上がったが、彬の失踪で仕事が増えたように見えたのか、


 ──売名したから焼け太りだな。


 と言われるほど、非難がましい声もあったのは、まぎれもない現実であった。





 そういったなか、年が明けた。


 ひさびさに休みがとれたつばさは、まりあと耀一郎と三人で鎌倉まで初詣へ出掛けた。


 折しも箱根の駅伝の復路の日で、保土ヶ谷のあたりの車窓からの陸橋は、ランナーを一目見ようとする人だかりでいっぱいになっている。


「駅伝かあ」


 まりあは呟いた。


「あれって、関東の大学だけだよね?」


 京都で生まれ育ったつばさには、何の感動もない。


「ま、それを言ってしまえば、うちの大学も駅伝には縁がないから、何の興味も湧かないけどね」


 耀一郎は言う。


「でもうちの親戚で箱根にエントリーされたってのがいて」


「そうなんだ」


「そいつはケガで走れなかったけど、陸上で長距離を走る学生にとっての箱根ってのは、高校野球の甲子園みたいなもんらしい」


 耀一郎いわく、いわゆる憧れみたいなものらしいのである。





 まりあが言った。


「憧れかぁ」


「ただそいつは走れなくて、そのまま陸上やめて就職したけどね」


「それじゃ無意味じゃん」


 つばさは言った。


「いや、そう無駄でもないらしい」


「でも箱根には出られなかったんだよね?」


「陸上で分かったのは、いかに威厳をもって負けるかってことなんだってさ」


「威厳をもって負ける?」


 つばさは首をかしげた。


「なんでもスポーツってのは正々堂々と勝って、威厳をもって負けるのが大事で、負けたときにジタバタするのは、みっともいいもんではないらしい」


 だからスポーツは負け方を覚えるのが大事なんだそうだ、と耀一郎は言った。


「つまり、走れなかったときのことが大切ってことなのね」


 まりあは理解したようである。


「人生、いつも勝つばかりではないからね。負け方を知ってると、ダメージを最小限にすることも可能らしい」


 この言葉はつばさの胸に、しばらく刺さったままであった。





 ほどなく。


 どうにも運転の資金が回らなくなった馬車道の店は手放すことになり、百合子は店を売って裁判の金に回すことになった。


 明治の頃から続いてきた洋菓子屋がなくなると分かった日、しばらく足が遠退いていた客が詰めかけ、あっという間にケースは空になった。


「いつもこうならこんなにならなかったんだけど、まぁ出来の悪い亭主でしょうがない」


 と、記者を殴った穣が原因であると百合子は断言していた。


 相手の怪我は軽かったものの、


「自由を認められた報道に対する挑戦であり、暴挙である」


 という大義名分を振りかざしていただけに、どうにも芳しくない状況で、打開は出来ずにいる。


 このままでは良くない、と百合子も考えたのか、


「大輔くん、うちのさくらと将来どうしたいの?」


 と身の振り方を訊ねた。


 大輔は、


「もちろん大切には考えてますが、このままではさくらにも良くないのかなと」


 と、身を引くようなニュアンスを漂わせてみせた。



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