第3話


 数日が過ぎた。


 楽屋でメイクを直していると、つばさのもとにまりあから携帯電話にメッセージが届いた。


「おいしいプリンの店を見つけたから、食べに行こう」


 といった内容である。


「プリンかぁ」


 つばさは呟いた。


 まりあはつばさが、無類のプリン好きであることを知っていたらしい。


「…プリンかぁ」


 しばし悩んだ。


 そして。


「休みが合えば」


 とだけつばさは返信した。


「プリンかぁ」


 そういうつばさの顔は、少しだけ嬉し気なようであった。






 さらに数日が経って、


「ねぇつばさ、今日はオフ?」


 まりあから連絡が来た。


「うん」


「じゃあ例のプリンの件、鎌倉駅に十一時ね」


 どうやら鎌倉にあるらしい。


 つばさは簡単な身支度をすると、最寄りの駅でもある蒲田から根岸線で川崎に出て、東海道線に乗り継いで、大船から横須賀線で鎌倉駅まで出た。


 シンプルなデニムに白いブラウスと薄手のジャケットという、モデルらしいいでたちではある。


「江ノ電の改札で待ってる」


 との由で、鎌倉駅の構内を江ノ電の改札に向かうと、


「やほっ」


 まりあが小さく手を振った。


 が。


 即座につばさは、まりあの脇に男が連れ立っているのがすぐ分かった。






 一瞬、つばさは怯んだ。


「あっ、紹介するね。うちの例の彼氏」


 ベージュというか、聚楽じゅらく色というか淡い色調のベストとジャケットに、茶色のスラックスを合わせたその男は、中年ではないが若くはない、それでいてどこか冒しがたい雰囲気のある、今までつばさが会ったこともないような、不思議なものを漂わせていた。


 しかも。


 ヘリンボーンの模様がある、フランネルのあまり見かけないデザインの帽子をかぶっている。


「あっ、どうも…辻といいます」


 男は帽子のつばに手をやり、軽い会釈をした。


「ダァは相変わらず初対面だと態度が固いなぁ」


 まりあは人見知りを少しからかい気味に、しかしどこか温かい口調で言った。


 渡された名刺には、


「辻耀一郎よういちろう


 とある。





 まりあと耀一郎、つばさの三人は江ノ電に乗ると、七里が浜まで出て、海沿いにあったプリンの店に寄り、通されたテラス席で、クリームやフルーツで飾られたプリンアラモードを食べた。


「まりあから、つばささんの話は聞いてますよ」


 耀一郎は言った。


「とても真面目で努力家な後輩だって、いつもまりあが話してますからね」


 まりあによると耀一郎の仕事は絵画の先生で、専門は水墨画だという。


「たまたま私が美術展のサポーターやったときにダァが専門家としてついてくれて、それがきっかけなんだけどね」


 そういえば。


 まりあはアニメの専門学校を出ている。


 声優を目指しながら、イラストもかじっていた時期があったらしく、まりあの周りには絵描きやアニメーターも多い。


 つばさはプリンを口にしながら、


「あの」


 と帽子について訊いてみた。


 すると。


「これはね、キャスケット」


 耀一郎は帽子を脱いだ。





 キャスケットという帽子はほとんど今は見かけない。


「あっても大体が婦人用でねぇ、探すのにいつも難渋するんです」


 と耀一郎は笑った。


 あとでつばさが検索してみると、もともとはウォール街の新聞配達の少年がかぶっていたらしく、ニュースペーパーキャップとも呼ぶらしい。


 普段着でもスーツでも合うから気に入ってかぶっている…という話で、


「私も最初に会ったとき、変わった帽子だなって」


 でもオシャレだし、何より似合ってるから…とまりあは言った。


 芸能人という仕事になると、おのずとファッションや小物に目が行くらしい。


 ともあれ。


 互いにアートに関心があって、まりあはアクセサリー制作、耀一郎も手先が器用という似たような面があって、一緒にいろいろ作ってみたりするうちに打ち解けたらしかった。





「うちのダァはね」


 と耀一郎のことをまりあは言う。


 どうやらまりあは耀一郎にぞっこんなようで、


「結婚したら引退しようかなぁ」


 などと、冗談とも本心ともつかないようなことを言うのである。


 こんなに自然な笑顔のまりあは、つばさは見たことがない。


 他方で。


 あれは欲しい、これは嫌いとハッキリものを言うまりあを耀一郎は、


「なら、まりあの好きなようにしようか」


 などと、にこにこと笑みを浮かべながらおおらかに受け答える。


 その包容力たるや、ただの大人というにはなにかが違う、どこか冷静で透徹した目さえあった。


「つばささん、誰か特定の人は?」


「実は結婚しまして」


 それはおめでとう、と耀一郎は穏やかに、


「今度、小さなお祝いをしないとね」


 と言い、プリンに添えられていたコーヒーを飲んだ。





 店を出た三人は、石段を降りた先の砂浜へ出た。


 既にシーズンは過ぎている。


 七里が浜には犬の散歩をさせている婦人や、制服姿のカップルがまばらに見えるばかりで、人は少ない。


「夏は海水浴ってだけで、あんなに混むのになぁ」


 まりあは小さくひとりごちた。


 まだ昼過ぎだというのに陽の傾きは早い。


 わずかに秋の陽が縮まるのが、つばさの肌には感じられた。


「ね、つばさはさ、アッキーのどこが気に入ったの?」


 まりあの問いに、つばさはすぐには答えられないでいる。


「それは無理な質問だろう」


 耀一郎は笑いながら、


「だいたいまりあだって、同じことを訊かれたら答えられるのかい?」


「私は即答できるよ」


 まず優しくて、オシャレで、私と身体の相性がよくて…とまりあは指を折りながら数えてみせた。





 まりあは続けた。


「だから、つばさも答えられるはず」


 つばさは困り果てたような顔をしていた。


「…ないの?」


 まさかないってことはないよね、ダンナなんだしさ…とまりあは隙のない言い方をした。


 つばさはうつむいたまま、


「…ごめんなさい」


 そう言ったまま顔を両の手で被い、泣き出してしまったのである。


「こっちこそごめん」


 まりあはまさか泣き出されてしまうとは考えてもなかったらしく、


「つばさ、ごめんってば。私が言い過ぎたよね」


 まりあが今度は困り果ててしまった。


「…何か遭ったのかも知れないね。あんまり踏み込まないほうが、いいのかも分からないね」


 耀一郎はハンカチをつばさに渡して、水平線の先にあった江ノ島の島影に、目線を投げやった。




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