第2話
宴が、果てた。
帰りのタクシーで彬はすっかり酔いが回っていたらしく、
「うぅ…」
と何度も嘔吐しそうになったので、
「すいません、公園に寄っても大丈夫ですか?」
とつばさが介抱し、途中の公園のトイレで何とか始末をつけさせてから、青ざめた顔の彬を座席に押し込んで、再び弘明寺を目指した。
「…まったく、飲めないくせに強がるんだから」
つばさは半ばあきれ気味であったが、しょうがないなといった様子で袋を彬に手渡した。
いっぽう。
穣と百合子のタクシーはというと、
「どうしてああいうことを人前で言うんだ」
と穣が声を荒らげ、車中で口論になっていた。
「あなたは大人しくケーキだけ作っていればいいの、どうせろくに計算できないんだから。誰が帳簿つけて確定申告してると思ってるの」
と口が立つ百合子は、穣の何倍もの言葉数でやり返した。
「でもさくらの彼氏だかってあの若僧、おれは好かん」
「さくらはあなたの所有物じゃないの、人間なの。そこ分かってる?」
言っているうちに百合子はだんだん腹立たしくなってきたのか、
「嫌いなら最初から子作りしなきゃいいじゃない。作っといて後から文句ばかり言うってのは、無責任もいいとこじゃないの」
しかも陰でぶつぶつと、溜まってたものを吐き出した。
「店の規模を大きくしてから言ってちょうだい」
相当イラついていたものか、百合子はそれきり、弘明寺に着いてタクシーを降りるまで穣とろくに口も開かなかった。
その頃。
さくらと大輔は全く別行動で、横須賀のホテルのベッドの上に姿があった。
「…ね、大輔」
「?」
大輔の目線の先には、脱ぎ散らかしたさくらのワンピースや下着があった。
さくらの目は少し潤んでいる。
「ごめんね、うちのパパ…頑固だからさ」
「気にしてはないさ」
大輔はさくらの髪を撫でた。
「ああいう昔気質の職人ほど、バイヤーが何回も通って口説けば物産展の常連になってくれるって話だから」
事実。
バイヤーが何年もかけて口説き落として出店に漕ぎ着けた店は、いくつかあるらしい。
大輔は言う。
「だからさくらが気にすることじゃない」
それより、と大輔は、
「むしろ、さくらの気持ちが変わらないかどうかの方が気になる」
「…ばか」
さくらは大輔の胸板に頬を寄せ、小さく微笑んだ。
「…変わる訳ないじゃない」
「…ありがと」
大輔はさくらの唇を唇で塞いだ。
「相変わらず、さくらって綺麗な目してるのな」
ちょっと気障ったらしい面も、さくらは嫌いではない。
再び唇を塞いだ。
その唇が、次は耳たぶをやわらかく挟んで、首筋を走って行く。
ベッドの中でさくらに見せる大輔の優しい行為も、さくらは嫌いではなかった。
数日が、経った。
つばさが所属する事務所の椅子でマネージャーと打ち合わせをしていると、
「つばさ、おっはよー!」
と、岐部まりあの声が聞こえてきた。
「あ、岐部先輩おはようございます」
「そういえばさぁ、こないだパティシエと婚約したあとの旅行、湯河原だったんだって?」
どこから聞いたのか、まだマネージャーと社長しか知らないはずの旅行の話を、まりあは知っていた。
「あんまり大きな声、出さないでください」
つばさは渋い顔をつくった。
「ごめんごめん、まさかシークレットだなんて知らなかったよ」
と言いながら、悪びれる様子はない。
つばさも逆襲で、
「そういう岐部先輩こそ、例の彼氏さんとはどうなんですか?」
と言い返したが、
「うちは順調だよ、だってセックスだって上手いし」
とえらく明け透けな答えである。
「岐部先輩、いつもと同じですね」
「?」
「ときどきテレビでも同じように言いますよね」
「だって、世の中は食べて寝てセックスしたら、それだけで全部が終わりじゃん」
遺伝子を残すためのリレーの一部でしかないんだよ、とまりあは身も蓋もない言い方をした。
つばさも言い返した。
「岐部先輩ってドライですよね」
すると。
「そんな、人をクリーニングみたいに言わないでよ」
こうやって煙に巻くように切り返してくる。
前にはなかったから、きっと例の彼氏の影響なのであろう。
「だからさ、つばさもせっかく婚約したんだから、もう少し人生エンジョイしなって」
でないと干からびちゃうよ、と台詞を残して、エレベーターの方へと消えて行った。
「…やっぱり帰国子女って変わってますね」
マネージャーは、岐部まりあが海外の暮らしが長く、敬語もあんまり遣わず、隠し事も嫌いなことを、そうした表現で言った。
「ま、でもあれが岐部先輩だからね」
事実。
バラエティの収録での岐部まりあといえば、前に大御所の俳優にタメグチを叩いて、本番中に怒鳴られたことがあった。
しかし。
「英語やイタリア語には敬語がない」
と言われてしまうと、誰も反駁する余地がない。
もともとハッキリものを言う性分であるところにきて、例の彼氏の煙に巻く手法まで感化で身につけたのだから、
「あれでバラエティの仕事、また増えるよ」
などと、マネージャーあたりは指摘するのである。
「いいなぁ、仕事あって。私なんかバラエティでも上手く切り返せないから、所詮は彬みたいなボンボン捕まえて玉の輿に乗るぐらいしか、手段がないんだよねぇ」
つばさはこぼした。
そういうところでは。
まりあは玉の輿に乗る選択ではなく、自らも稼ぎつつキャラクターを活かした仕事のやり方を持っているようで、
「ああなりたいとは思わないけど、キャラクターを活かせるようにはなりたいなぁ」
とはつばさ自身、痛々しいまでに強く感じていたところではあったようである。
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