第129話 キルナ《退屈とは無縁》





広々とした露天風呂に浸かり、キルナは空を仰いだ。

そろそろ夕暮れで、雲は淡い桃色に染まり、青空とのコントラストが美しい。


ああ、いい気分だ。ようやく気が晴れたな。


おかしなものに吸い込まれ、とんでもない目に遭った。もう思い出したくもない。

妖魔の奴らめ、今度会ったらただじゃおかない!


鬱憤を心の中で吐き出したところで、仰向けになって湯に浮かんでいるティラが、網に入ったトッピと一緒に、目の前を左へとのんびり移動していった。


すっかりくつろいでいるようだが、


「ティラ、お前、そろそろ家に戻らなければならないんじゃないのか?」


湯船の端まで行っていたティラに話しかける。するとティラは湯に浮かんだまま器用に方向を変え、トッピと一緒に戻ってくる。


まったく自由なものだな。まあ、泊る部屋についている露天風呂なので、他の者が来る心配はないからな。


「帰らなくてもいいんでーす」


目の前を通り過ぎながらティラが言う。


「なんだ、もう帰らなくてもよくなったのか?」


かなり驚かされた。ティラの帰宅は、すでに動かぬ日課だと思っていた。


右端まで行ったティラは、網に入ったトッピを湯の中に勢いよく沈めたり、ボールのように投げては渾身の力で叩きつけるというかなりハードな遊びを繰り返していたが、それに飽きたのか、すいすいと泳ぎながらキルナのところに戻ってきた。


「ぷっぴぴぃー」


遊んでもらったのが嬉しかったようで、トッピが満足そうに鳴いた。


「たぶん数日のことだと思います。ただ、その間はこの温泉地にいるようにって」


つまり、温泉宿を心ゆくまで堪能させてやろうという親心か。

今日こいつは、大活躍だったからな。


「うちの両親、闇竜の魔核石を採取に行ったんじゃないかと思うんですよねぇ」


は?

闇竜の魔核石の採取?


それって……闇竜を討伐しなきゃ手に入れられないじゃないか!

そんなあっさり言う事か?


「お前の両親、闇竜がどこにいるかわかっているのか?」


「闇魔の森だそうです」


話に聞いたことはある……だが、それがどこにあるか周知されてはいない。つまり、伝説レベルの森のはず。


「あるのか?」


「あるらしいですよ」


「討伐が可能なのか?」


「うーん……『はい』とも『いいえ』とも言いづらいですけど……普通は無理じゃないかと思います。たぶん、わたしでは無理かな」


とすれば、かなりの高難度だな。


「だが、お前の両親なら狩れると?」


そう聞いたら、ティラは答えずにキルナと目を合わせて含み笑いをする。

狩れるんだろう。


いったいティラの両親てのは何者……?


ああ、そうだった。


「賢者だったな」


そう言ったら、ティラは顔をしかめる。


「それは忘れてください。本物の賢者様に失礼な気がします」


「本物の賢者様を知ってるのか?」


「……」


思案顔で瞳をくるりと回した後、ティラは苦笑して「さあ?」と曖昧に返事を濁す。

そうか、知っているのか。


こいつならもう何でもありそうだが……まあ、いい。


と、そこで思い出した。

私はティラに助けられたのだった。あのまま誰にも助けてもらえなかったら……

考えただけで、強烈に気分が悪くなってきて、キルナは思考を無理やりストップさせた。


ともかく、ティラに礼を言っておこう。


「ティラ。今日は助かった。感謝してる」


「どうしたんですか、急に」


「ちゃんと礼を言っていなかったなと思ってな。けじめだ」


ぶっきら棒に言ったらティラがニコッと笑う。


「どういたしまして。けど、わたしも色々と考えが足りませんでした。反省してます」


「なんでお前が反省するんだ。大活躍だったじゃないか」


ティラは首を傾げる。どうも納得していないようだが、その話を膨らませたくないのか、ティラは話題を変えてきた。


「温泉でのんびりしたあとのことなんですけど」


「ああ、そうだな」


これからどうするかな?

妖魔との遭遇率の高さは尋常ではない。


「妖魔がどこで悪巧みをしているかわからないからな……」


考え込みながら言葉にすると、ティラは「妖魔?」と聞き返してくる。


うん?


「お前も懸念しているのだろう?」


「確かに気にはなりますけど……でも、妖魔についてはわたしの両親に任せておけばいいですよ」


ふむ。確かにティラの両親は只者ではないが……


「しかし、ゴーラドの兄のような目に遭っている者が他にもいるかもしれない。お前の両親は、私らより先には気づかなかったわけだろう?」


「だからですよ」


「だからとは?」


「わたしたちはわざわざ妖魔を探そうとしなくてもいいんですよ。普通に行動してればいいってことです。これまでもそうだったわけですから」


言われてみればその通りだ。と、納得する。たまたま三度遭遇したが……まあ、偶然も過ぎる気がしないわけではないが……血眼になって捜したところで、見つかるものではないか……


「実はですね、父に謎の解明を託されたんです」


謎の解明だと? 興味を惹かれるじゃないか!


「ティラ、詳しく話してみろ」


「はい。ギヨールの盗品、魔道具の札を貼って持ち主のところに送ったんですけど、いくつか受け取り手のない品が残ったんです」


「ふーん、そいつの持ち主を探そうとでも言うのか?」


「いえ。どれももう持ち主はこの世にいないんだと思います。使い道のわからない魔道具も色々ありましたけど、気になったのが、ひとつは仕掛け箱で、ひとつは地図、あと呪いと封印のかかった……」


仕掛け箱に地図と聞いて、ワクワクしていたキルナだったが、その後に続いた呪いと封印という言葉に眉をひそめる。


「精霊の入った瓶があって」


「ちょっと待て、なんだって?」


「ですから、呪いと封印がかけられた精霊の」


「精霊が入った瓶?」


「はい。簡単には開けられそうもないんですけど、父が頑張ってみろって」


この親子、まるでジャムの瓶の蓋でも開けるみたいなノリな気がするんだが……


「それで、どうするつもりなんだ?」


「どうするかはこれからです。みなさんに相談して、お知恵を拝借しようかと」


ティラに分からないものが、自分に分かるわけがない。

しかし、そうだな。ソーンなら、何か妙案を思いつくだろうか?


それにしても、面白くなって来たじゃないか!


ティラといると退屈とは無縁だな。

キルナはしたり顔でにやりと笑った。






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