第128話 薬師ラシ〈勇者の奇跡〉




ようやく頼んでいた魔馬車が医療所の前に到着し、タソ村の薬師のラシは魔馬車に急いで乗り込んだ。


ダクス村のメルリの容態が良くなったのか気になってならないのだ。

もっと早く行きたかったのだが、魔馬車を用立ててもらわないと、ダクス村には行けない。


驚くべき奇跡を起こした勇者様だ、きっとメルリも治してくださったに違いない。


あのような方に会ったのは、ラシは初めてだった。

医療所に突然現れて、ラシですら匙を投げざるを得なかった患者を、あっという間に治してしまわれた。それこそ、あっという間にだ。


治癒魔法は高等技術だ。しかも詠唱もなく即座に治癒を施すなど、宮廷にすらそのような実力のある者はいなかった。


昨夜の宴には参加されなかったが、勇者様なのだと聞いて、納得した。

治癒だけでなく、あのような大剣を軽々と扱い、キーピルの巣とともに森を伐採し、さらには聖緑花の奇跡を起こし、なのに姿を見せぬまま去ってしまわれた。


勇者様の言葉は、純粋できらめいていた。今も耳を澄ませると、声が頭の中に蘇る。


『よかった。間に合ったようです。神に感謝です』


ラシは、胸に至福を感じて微笑んだ。あのような奇跡を起こし、なのに間に合ったことにただ感謝されていた、その気高き心……


腹が減ったという患者に、どこから取り出したのか、焼きたての肉までお与えになった。あの時の、なんともほのぼのとした雰囲気を思い出し、ラシはさらに笑みを深めた。


人の気持ちを察してしまう能力を持っているラシは、医療に従事している者として、それは強みだったが、負担にもなった。


王都の医療院で長いこと薬師をし、それなりの地位についたが、もう疲れ果て、生まれ故郷のタソ村に戻って来たのだ。


このような能力、もう消えてほしいと思っていたが、勇者様にお会いし、その気持ちは消えてしまった。

この能力のおかげで、短い接点しか持てなかったが、勇者様の御心を感じ取ることができたのだからな。



一時間半かけて、ようやくダクス村に到着した。すでに四時を回ってしまっている。

タソ村に戻るまでには暗くなっていそうだ。


魔馬車を降りたら、村の入り口の警備員が駆け寄ってきた。


「ラシ先生」


「勇者様はおいでになったか?」


メルリの快方を信じて疑わず、ラシは急くように聞いたが、警備員はきょとんとするばかりだ。


「勇者様とは?」


「おいでにならなかったのか? メルリのことをお願いしたのだが……」


「凄腕の治癒者様と冒険者風の方達なら来ましたが……」


「その方たちだ。それで、メルリを診てくださったのだろう?」


「それが治すことはできなかったらしいんですよ」


「なんと!」


ラシはがっかりしつつ、ダオの医療所に向かった。



ダオが顔を出し、中に通してくれる。


「ラシ先生。治癒者様をよこしてくださり、ありがとうございました」


「メルリを治せなかったと聞いたが、本当なのか?」


「はい。ですが、ひどく苦しんでいたのを癒してくださり、いまメルリは静かに休んでいます」


「そ、そうか。それにしても、あのお方にも治せないとは……メルリに一体何が起こったのだろうな?」


小魔獣の魔猿に引っかかれただけなのに、あんな風に悪化するとは……


「治癒者様は、手段を探してくださると言ってくださいました。薬師でありながら、そのお言葉にすがるしかないのが、もどかしいです」


肩を落とすダオの背を、ラシは慰めるように叩いた。


「しかし、そうか、手段を……」


少し希望が見え、ラシはほっと息をついた。


それからメルリの様子を見に行ってみたが、とても安らかに眠っている。

ダオの妻も、前回に会った時より落ち着いているようだ。


これも勇者様のおかげだな。


「こんにちはぁ」


呼びかける声があり、ラシはダオと目を合わせた。


「い、いまの声、治癒者様ですよね?」


ダオの妻が飛びあがるように立ち、病室を走って出て行く。ダオとラシもそれに続いた。


玄関前で待っていたのは、勇者様に違いなかった。再びお会いできたことに、感動してしまう。


「勇者様」


「あれっ、タソ村の薬師のラシさんでしたよね。メルリちゃんの様子を見に来たんですか?」


「はい。勇者様にメルリのことをお願いして、どうだっただろうかと、気になったものですから」


「せっかくここまで来たのに、ガッカリさせちゃいましたね」


「いえ。苦しみを取り除いてくださったそうで、それだけでもありがたいことです」


「あの、治癒者様。おいでになったのは、も、もしかして?」


ダオの妻が、期待のこもった眼差しで、遠慮がちに尋ねる。


「効き目はわからないんですけど……とにかく、メルリちゃんのところに」


「はい。よろしくお願いいたします」


勇者様に続き、お仲間の三人も入って来られる。


メルリの側に立ち、勇者様は何か取り出された。


「それが例の魔道具か? 闇竜の魔核石を使ったんだろう?」


「はい」


「色が全然違っているが……」


「色々混ぜ合わせたからですよ」


「それでどうやるんだ?」


勇者様とキルナ殿の会話を耳に入れていたラシは、すぐには内容が呑み込めず、固まってしまっていた。


闇竜の魔核石?

いや、まさか……そんな伝説的素材ともいえるものなど……


「ゆ、勇者様、い、いま……や、闇竜の魔核石と、聞こえたような気がするのですが?」


黙っていられず問いかけたら、勇者様が振り返ってこられた。


「あまり詳しくは話せないんですけど……メルリちゃんは、闇の気に蝕まれているんです」


「や、闇の気ですって?」


ダオが驚いて声を上げた。


「そんなものがどうしてメルリに?」


「襲った魔猿が闇の気に侵されていた、ということでしょうね」


さらりとおっしゃるが、正直鵜呑みにできない。闇の気など、普通考えられないからだ。そう考える傍ら、先ほど耳にした闇竜の魔核石が頭に浮かぶ。


「闇竜の魔核石などという、普通では手に入れられないものを、いったいどこで手に入れられたのですか?」


「色々知りたくなる気持ちはわかりますけど……とにかく、メルリちゃんの治療をしたいんですけど」


「おお、そうでした。余計な口出しをしてしまい、申し訳ありません」


ラシは慌てて謝罪し、邪魔にならない位置に急いで移動した。ダオとダオの妻も横に並んできた。


勇者様とキルナ殿の後ろにはゴーラド殿とソーン殿が控えておられる。


勇者様はメルリの足をあらわにし、手にされていた白銀色のヘラのようなものを、メルリの足にそっと当てた。


最初は何の変化も見られず、ダメだったのかと気を落としたのだが、黒ずんでいた皮膚が少し薄くなってきたように見える。


その現象を把握できた辺りから、黒いものがヘラに吸い込まれ始めた。

起きている現象に目を丸くしている間に、すっかり黒ずみは消えてしまった。


勇者様は、まだ痛々しい足に手のひらをかざされる。するとまばゆい光が発し、ラシは思わず目を瞑ってしまった。


次に目を開けた時には、メルリの足はすっかり元通りになっていた。


「ああっ、神様っ!」


思わずというようにダオの妻が叫ぶ。そして顔を覆って泣き出した。


ダオは目を見開いたまま固まっていたが、いままでの心労が一気に押し寄せたかのようにその場に両膝を折るようにしてしゃがみ込んでしまった。


「奇跡を、奇跡を起こしてくださった……」


ダオは男泣きにむせび泣く。


その時、メルリが小さなあくびをして、目を開けた。


「メルリ!」


母親が呼びかけると、メルリはもう一度あくびをして、「お腹空いたよぉ」と拗ねたように言う。


「まあ、メルリったら」


ダオの妻は、嬉し涙を零しながら娘を抱きしめた。


「強い治癒魔法を受けると、お腹がとてもすくんです。はい、メルリちゃん」


勇者様はカラフルな紙に包まれた丸いものをいくつかメルリに差し出された。


「キャンディよ。舐めたら元気になるから」


「あ、ありがとう」


人見知りするメルリは、キャンディを受けると、勇者様から身を引くようにして顔を伏せお礼を言う。せっかくもらったキャンディも、手に握りしめたままだ。


「それじゃ、わたし達はこれで失礼しますね」


あっさりと口にし、勇者様はドアに向かわれる。お仲間も迷わずそれに続く。


ラシは慌てた。このまま去ってしまわれるに違いない。


「勇者様、お待ちくださいっ!」


「待ちませーん」


勇者様は笑いながら言い、振り返らずに駆けて行ってしまわれる。


「治癒者様!」


「まだ、まだお礼を!」


ダオもダオの妻も、メルリを気にしつつ、その場で慌てて呼びかける。


ここは自分が追いかけるしかないと、ラシは病室を走り出た。だが、すでに医療所の中にはおられず、急いで外に出てみたのだが、そこにも姿はなかった。


そのあとダオとふたりして、村の中を探しまわったのだが、結局、勇者様一行を見つけ出すことはできなかった。


不思議なことに、村を出て行く勇者様達を見たという者もひとりもいなかった。


医療所に戻り、待っていたダオの妻に、もう行ってしまわれたようだと告げると、ひどくがっかりしようだった。


「私たちは、なんのお礼もしていません」


「ああ、奇跡を起こしてくださったのに……」


「初めからそのおつもりだったのだろう。勇者様は、謝礼など受け取る気はなかったのだよ。それであんな風に行ってしまわれたのだろうな」


メルリを見ると、勇者様にいただいたキャンディを舐めているらしく、片方のほっぺたが丸くなっている。


「元気になったようだな、メルリ」


「とっても美味しいの。見て、あのおねえちゃんに三つももらったの」


小さな手のひらに、大きなキャンディの包みがふたつ載っている。


「それは勇者様のくださったものだよ。その味を感謝とともに忘れないようにな、メルリ」


「ゆうしゃしゃま?」


口がうまく回らぬさまは、なんともかわいらしい。


「失わずにすんで、本当によかった」


ラシの呟きを聞き、ダオもダオの妻も涙ぐんだ。


「近いうちにタソ村に遊びに来るといい。勇者様が奇跡の力で咲かせた聖緑花の花は、それはもう見事で、一見の価値があるからな」


その日を思い浮かべながら、ラシはメルリの頭をやさしく撫でた。






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