第123話 ソーン 〈いくばくかの不安〉



ダクス村までは、二時間半ほどかかった。もうすぐ昼になる頃合いだ。


村は森の中にあり木こりをして生計を立てているようだった。木材を運ぶのに都合がいいように、街道から村までの道は広々としている。


村には大きな製材所があった。木材のいい香りが立ち込めている。ソーンの好きな香りだ。


「ここはいい木材が取れるようですね」


ソーンは興味深く、製材所で働く人々を眺める。

村自体は小さいが、それなりに裕福なようだ。


よそ者がやって来たのに気づき、村の警備担当らしい男が歩み寄ってきた。こちらを見ているものの近づいて来ない男が一人いて、怪我でもしたのか腕をつっている。


「この村に何か用か? ここに宿屋などはないぞ」


四人を見て……特にティラを見て、男は怪訝そうな顔になる。


普通の娘のようでいて、大剣を背負っている姿には、やはり戸惑わされてしまうだろう。


「薬師のダオさんって人に会いに来たんだが」


ゴーラドがここに来た目的を伝える。


「ダオ先生に? 診察してもらいに来たのか?」


「いや、そうじゃない。タソ村のラシ先生から、病人を診てやってほしいと頼まれてきたんだ」


「そっちの人、薬師なのか?」


男はなぜか、ソーンを見て言う。


「僕は違います。治癒者はこちらのティラ様です」


「治癒者のティラです」


そう元気よく自己紹介をしたティラは、急にその場から駆け出した。腕をつっている男の方に向かう。


見ていると、ティラは男に話しかけ、つっている腕に軽く触れた。

もちろん治癒を施したのだろう。


ティラを前にして眉をひそめていた男は、ハッとしたように自分の腕をまじまじと見た。そして、慎重に腕を伸ばす。


「な、治った? ちっとも痛くねぇぞ」


それを聞いた警備の男は、男の元に行く。ソーンたちも駆け寄って行った。


「治ったってのか? この娘っ子はなんもしてねぇのにか?」


「なんもしてねぇことはないですよ。治癒を施したんです」


ティラは真顔で言い、「で、ダオさんはどちらにいらっしゃるんですか?」と尋ねた。


ティラちゃんさすがだなぁと感心する。あーだこーだやり合わず、実力を見せてしまえば、話は早い。


「わたしはその方の娘さんを診るためにここに来たんですけど」


当然その後はもう何も語らずともよかった。

ティラの治癒者としての腕を目の当たりにしたおかげで、ダオの診療所まで丁重な案内をもらう。


「ダオ先生、とんでもない治癒者の方が来てくださったぞ!」


診療所のドアを開け、男が興奮して報告すると、痩せた背の高い男が出てきた。


「治癒者?」


「ああ、この娘さんだ。見てくれよ先生、俺の腕を一瞬にして治しちまったんだ。ほれ」


ダオは目を丸くして男の腕を見て、それからティラをまじまじと見たが、やはり背中の大剣には戸惑わされたようだ。


「これ、ラシさんから預かった紹介状です」


ティラが封書を手渡すと、ダオは急いで開封し、せわしくなく視線を動かして目を通す。


ずいぶん長い文章だったようで、読み終えるのに少々時間がかかった。


「キーピルの毒で死にかけた者を治癒し、キーピルを退治したと書いてありますが……」


それは事実なのか? と、その目が問うてくる。


「ああ、事実だ」


キルナが答える。


「さらに、その伐採地には、聖緑花の花を一瞬にして咲かせてしまわれましたよ」


ティラの活躍談に、ソーンは胸を張って付け加えた。


「聖緑花? 害虫除けの薬効のある花のはずですが……かなりの希少種ですよ」


「タソ村に行けば見られますよ」


ソーンの言葉に、薬師という職業がらか、ダオは強い興味の色を浮かべた。


「そんなことより、娘さんはどこですか? 重篤な症状だと聞いていますけど」


ティラが話を戻すと、ダオは顔を強張らせて頷いた。


「治癒者様、よろしくお願いします。こちらです」


ダオの後について行くと、ベッドが三つ並んだ病室に通された。窓際のベッドに小さな女の子が横になっていたが、苦しそうに息をしている。


母親らしき女性が、女の子の側に寄り添っていたが、すぐに立ち上がり、ダオに目を向ける。


「あ、あなた、この方たちは?」


「治癒者様だ。奇跡を起こせる方だ。この方ならきっとメルリを助けてくださるぞ」


ダオは確信を持って妻に告げる。妻は目を見開き、なぜかソーンの元に駆け寄ってきた。そして手を握り締め、「お願いします。娘を助けてください!」と必死に頼んでくる。ソーンは慌てて首を横に振った。


すでにお約束の事態になっている。この時ティラはというと、にやにやと笑いを堪えている。


「僕ではありません。治癒者は、こちらのティラ様です」

勘違いを正すと、ダオの妻は驚いて手を放し、ティラを見る。


「こ、この方?」


視線の先は、やはり大剣に向く。


「なんか、らしくなくてすみません」


軽く謝ったティラは、メルリに歩み寄った。

メルリはべたついた汗をかき、熱にうなされ、うわごとを口にしている。


ティラは上掛けをそっと剥いだ。右足全体に包帯が巻いてある。ティラのやさしい手つきで包帯は外され、患部があらわになった。


痛々しかった。皮膚は黒く変色しただれたようにぶよぶよとしている。


かなりひどいようだ。だが、すぐにティラ様が治癒魔法で完治させておしまいになるだろう。


確実な期待を持って見ていたのだが……


「これは……」


そう呟くと、ティラはしばし思案し、それからメルリの両親に振り返った。


「魔猿に襲われたのですよね?」


「はい。軽く引っかかれただけで、傷はたいしたことはなかったんです。ですが、化膿してどんな薬を使っても効き目はなく、どんどん悪化して。昨日くらいから、もう意識も戻らずにいて。あの魔猿は病に侵されていたのだと思います。それがどんな病か、わかっていないのですが」


ティラは考え込んでいたが、ようやく口を開いた。


「治癒魔法を用いても、完治させるのは無理ですね」


えっ?


ソーンは驚愕と言っていいほど驚いてしまった。ティラ様にできないことはないと信じ込んでいたのだ。だから今回も、昨日のように手をかざし、あっという間に治してしまわれるものと思っていた。


「そう……ですか」


ダオはがっくりと肩を落とした。妻も同様だ。

期待した分、落ち込みはひどいようだった。


「確約はできませんけど……手段を探してみます」


「どうにかできるとおっしゃるのですか?」


ダオはすがるように聞く。ティラはどう答えればいいものか迷ったようで、考えた末に、「わかりません」と答えた。


するとダオは、意外にも少しほっとしたような表情になる。


「可能性があるのですね。もうどうにもしてあげられないと、諦めていました。治癒者様、わずかでも可能性を与えてくださり、ありがとうございます」


ダオは目に涙をため、妻の方も泣くのを必死に堪えている。


ティラはメルリに向き直り、頭に手をかざした。そしてゆっくりと足元に向けて手を動かしていく。すると、苦しげだったメルリが安らかな表情に変わった。


「治ったわけではありませんよ」


ティラが忠告するように言うと、ダオは理解しているというように頷いた。


「ありがとうございます。あまりに苦しそうで、見ていて辛かったので……本当に、これだけでも、なんとお礼を言ったらいいのか」


ティラは頷くと、「また来ます」と一言告げ、ドアに向かった。ソーンらも病室を出る。


「あの、お昼はもう済ませられたのですか?」


妻が追いかけてきて、尋ねてきた。まだだと言うと、ぜひ食べて行ってほしいと言う。断るのもなんなので、手料理をご馳走になった。ティラはいつものように弁当を取り出し、それも食べ始めた。


ティラの食欲の凄さに、ダオの妻も笑いが込み上げたようだ。


食事を終えると、ダオが見送ってくれ、感謝の言葉を何度も繰り返す。そして、謝礼を差し出してきたが、ティラは今は必要ないと断った。


「完治させられたら、いっぱい頂いちゃいますから」


ダオを笑わそうとしてか、ティラが茶目っけたっぷりに口にすると、ダオは微笑み「わかりました」と頷いた。


ティラ様であっても簡単にはいかないこともあるのだ。けれど、諦めてしまわれたわけではない。


「ティラ、何か手があるのか?」


村の中を歩きながら、キルナが尋ねた。


「いまはなんとも言えないですけど……わたし、ちょっと家に帰ってきます」


「両親に相談するのか?」


「はい。みんなはこの村で待っててもらってもいいし、先に温泉地に向かってくれてもいいので」


「もちろんここで待っているさ。結果が気になるからな」


「わかりました。それじゃ」


ティラは家と家の間に駆け込んで行き、その姿はすぐに見えなくなった。


ソーンは、なんとも心もとない気持ちにかられた。もちろん、そんな内心はおくびにも出さないが。


「戻ってくるまで、かなり時間がかかるかもしれないな」


キルナが独り言のように言い、ゴーラドとソーンに向いてきた。


「私はちょっと森に行ってくる」


「魔獣を狩りに行くんなら、俺も行こう」


ゴーラド様もついて行かれるのか。


「ソーン、お前はどうする?」


「僕はここで待つことにします。おふたりで行ってきてください」


ティラ様のお戻りをここで待ちたい。それに、いまはやりたいこともある。


「そうか。なら、行ってくる」


ふたりを見送ったあと、ソーンは製材所の方に向かった。すると、先ほどティラに腕を治してもらった男が「おーい」と呼びかけながらこちらに走ってくる。


「メルリも元気になったんだな?」


確信をもって聞かれたが、「いいえ」と答えるしかない。


男は驚いて「どうして?」と聞き返してくる。


「簡単には治せない病だったのです。ティラ様はいま治癒の可能性を探しておられます」


「そうか……治るといいんだが。……うん? 他のお仲間はどこに行ったんだい?」


「魔獣を狩りに行くと、ふたりで森に」


そう聞いた男は、眉をしかめる。


「森には入らない方がいいんだが……」


「どうしてですか?」


「メルリが、病んだ魔猿に引っかかれてあんなことになったからさ。俺たちも森に入る時は、かなり警戒してるんだ。仕事だから、木こりは入らねぇわけにはいかないからな」


「そうなのですか」


「まあ、この最近じゃ、魔獣に遭遇することもなくなっちまったんだが。前は魔猿が煩いほどいたのに、今じゃ滅多に見ない。魔獣の間でおかしな病気が流行って、そのせいで死んだんだろうって、俺たちは考えてる。それでも、森の中でまったく死骸を見ないんだよ。気味が悪いだろ?」


「確かに」


話を聞いて、いくばくかキルナ達が心配になる。

追いかけようかと思ったが、冷静に考えれば、いまさら追ってもふたりを見つけるのは難しいだろう。


魔獣がいないのなら戻ってくるだろうし、万が一、病を患っている魔猿に遭遇したとして、そのような小物から傷を負うようなおふたりではない。


そう結論を出し、安心したソーンは製材所に目を向けた。


「製材所を見学させてはもらえませんか? 材木に興味があるのです」


「ああ、構わないぜ。来な」


男に促され、ソーンは胸をワクワクさせてついて行った。






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