第120話 ソーン〈奇跡は内緒〉
いい村だな。
タソ村独自の個性ある家並みを眺めつつ、ソーンは坂をゆっくりと上っていた。
まだ朝早いが、日が昇る前の清浄な空気を吸いたくなって宿を出てきたのだ。
妖精族の里を出て二日目の朝になる。
昨日の朝は湖の畔にある冒険者キャンプ地で目覚めた。
不思議な感じがする。
毎朝、同じベッドで目覚めていたのに……
里を出て冒険者となったいま、二日と続けて同じベッドで寝ることの方が少ないのかもしれない。
それにしても、清々しい朝だ。
里の皆も、もう少ししたら起き出して、いつものように日課をこなすのだろうな。
里の皆の顔をひとりひとり思い出しつつ歩いていたら、キーピルの巣の残骸がある近くまでやってきていた。
えっ?
ティラが伐採した空間に、不思議な光が注いでいた。驚いて空を見上げたら、淡い緑の渦がある。
こ、これはいったい?
まばゆさで、空を見上げていられない。腕で光を遮り、目を細めるも、見えるのは緑の渦だけだ。
数分経っただろうか、徐々に渦が消えていった。目を開けてみたら、すっかりいつも通りだ。
いまの現象はなんだったのだろうか?
だが、いくら考えたところで答えは出ない。
ソーンは巣の残骸を回り込み、伐採されたところまで歩いていってみた。大きな切り株がいくつもある。
ソーンはその一つに腰かけた。空では魔小鳥のさえずりが聞こえる。
勇者様がもしここにおいでだったら、朝ご飯にちょうどいいから狩って欲しいと頼まれたかもしれないな?
そんなことを思って苦笑し、さえずりを楽しんでいたソーンは、思い立ってポーチから小鳥笛を取り出した。
小鳥のようなさえずりを表現できるので、その名がついている。
口元にそっと当て、笛を吹く。
笛の音が空間を満たしていくのを、ソーンは楽しんだ。
一曲吹き終えて笛を下ろしたら、パチパチと手を叩く音がする。驚いて振り返ったらティラがいた。
「勇者様!」
「おはようソーンさん、ここにいたのね」
「みなさん、もう起きられたのですか?」
「まだだと思う。ソーンさんに頼みたいことがあって」
「頼み……あの、どのような?」
「水魔法で、この伐採しちゃった空き地にやさしく水を撒いてほしいの。頼める?」
そのくらい造作もないことだ。
「もちろんです。ですが、どうしてここに水を撒くのですか?」
「いいからいいから。さあ、やってみて」
よくわからなかったが、勇者様の頼みだ。断る選択はない。
ソーンは立ち上がり、両手を上げた。
目を瞑り、水の魔力を呼び起こす。
やさしく、とおっしゃったな。
風魔法を発現させ、呼び出した水を風圧で包むようにして空き地に振り撒く。
「わあっ、綺麗」
ティラの嬉しそうな声に、こちらまで嬉しくなる。
そっと目を開けてティラを窺う。
するとティラも両手を上げていた。その指の先からキラキラした粒子のようなものがソーンの風に乗って空を巡っている。
ソーンは言葉を失った。知らぬうちに、僕は勇者様と何かを成している。
感動で胸を膨らませたその時、気づいた。視界が大きく変化していることに……
伐採されて切り株だらけだった場所に、いまや緑の美しい花が一面に咲いていたのだ。
「こ、これはどうしたことなのですか?」
「聖緑花という花で、害虫除けなの。ソーンさんのおかげでよく育ったわ。ありがとう、ソーンさん」
お礼を言われて困ってしまう。
「僕は水を撒いただけです」
そう言ったら、ティラは首を横に振る。
「笛の音で、ここの空気を清浄にしてくれたわ」
そう言われて、なるほどと思う。意図してやったことではなかったが……
「さあ、ソーンさんは戻って、宿でみんなと朝ごはん食べて出立の準備をして出てきて。わたしはあとで合流するから」
「一緒においでにならないのですか?」
「勇者になっちゃったし、ここの人たちにはもう姿を見せない方がいいと思うから」
「それはどうしてですか? 勇者と名乗ってはいけなかったのですか?」
勇者様のことを村の人に告げたのはソーンだ。それはいけないことだったのか?
「ああ、そんな顔しないで。ソーンさんに悪気がないのは分かってるの。ただ、ちょっと色々面倒かなって……」
そうか。勇者様であることを明かすことは、勇者様の迷惑になってしまうのか。
「申し訳ありませんでした。これからは勇者様と呼んでしまわないように、気を付けます」
「うん、そうして。ティラでいいんだからね」
「いえ、さすがにそれは……では、ティラ様と呼ばせていただきます」
勇者様を呼び捨てなどできるわけがない。
「まあ……なら、しばらくはそれでいいわ」
かなりの譲歩といわんばかりにティラは口にした。
「あと、ここのことも内緒にしといてね」
ティラは、いま自分が成した奇跡、聖緑花をさして言う。
感謝や称賛など必要ないと、ティラ様はお思いのようだ。そのようなことのために成したわけではないと……それはただただ、この村のため……
胸が苦しいほどに膨らんだ。尊敬の念ではちきれそうだ。
「わかりました勇者……いえ、ティラ様。お言いつけの通りにいたします」
「ソーンさんってば……そんなに畏まられると困るってば。はい、行って」
笑いながら口にしたティラは、ソーンの背を押すようにしてその場から送り出した。
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