第8話 夢は変わらぬまま、望むことを知る。

 生きたかったわけじゃないとか、生きていたいとか、そんな単純に二つの心に分けられるわけではない。


——あの日、

悪口の声の主は父親だった。そして信頼していたはずの誰かだった。

「統合失調症」と主治医の、走り書きにも似た細く、だけど確かな診断書となった。

 なんでそんなえげつない言葉を統合失調症は親や誰かに言わせてしまったのだろう。


 「あのぉ、悪かったね。お互いにいい感じになれるようにしよう。」

 最後に母親にねだった父の謝罪はこんなものだった。


 「どこに転職したって同じなんて言うの?」

 友達は言った。わたしの拙い言葉はかつての友達に酷い言葉だととらえられてしまったし、例えばシフトに何度も穴を空けてしまうような健康管理の悪さじゃ、どこの職場に言っても嫌われるというか迷惑になるって言葉をどう伝えたらわかってもらえたのかわからない。

 

 例えば父が管理職の身として中国や韓国へ出張した時に、

 「7月7日は七夕で距離を隔てた二人を結ぶお祝いの日なんです。」

 なんて日本文化を語ったところで、

 「ふざけるな。」

 と言われてしまわないだろうか。ましてや盧溝橋の場所で。


 統合失調症の治療を断絶していた陽性症状の状態で、父へLINEで送った

 「第二次世界大戦の日本の戦争責任についてどう思うか」

 についての長文の問いや

 「車関係の仕事をしている会社員として、交通事故やリコールの問題はどう思うのか。賠償についてはどう考えているのか。」

 という仕事の仕方に対する質問にも答えず。

 口頭で差し迫れば

 「賠償責任などない。」

 と一蹴するだけの従業員なのが父と呼ばれた人の姿だった。


 何を言い逃れできないと悟ったのか分からない。娘の身体に触れたことで娘を傷つけたことに対する父の謝罪は、それまでの父娘関係を考慮した上で冒頭のようなセリフだった。ハッキリ言って触れて“いい感じ”だったとは全く思わない。

結局、病気にせよ、病気を理由にされたとしても

私の中では罵詈雑言を言う悪質な姿が父と呼ばれた男の本性だった。


 「えっちして。」 

 普遍的な空間であることを極めて願って言ってみた。どうしてって、視線を何度も感じたし、私を愛しているかもしれないという妄想は膨らむ一方だったから、

やっとのことで手にした安定と安らぎと将来を守るための私の職場で、私は小声で呟いた。

 もし父という名の男が、私に対する無礼に「いい感じ」とうスタンダードを押し付けるなら、そして私は障害を抱えた身で親のすねをいくらか齧らなければまだ生きていけないとしたなら、それなら私の標準を口走ってしまえばいい。

 目が合ってしまった。

(うそ、本当に私の小声は聞こえるんだ。)

そうだって、親は何度も私の言葉を無視するから、聞こえてないのかもしれないといつも思っていたから。


 「あいしてる」の声も

 「えっちしよ。」

 とう言葉も、望まなくても良かったんだと思うのは

こんな淀んだ世界のせい。

障害者になった自分の人生のために、私は

極めて普遍的であって欲しいと望んでいた。ただ職場で幻聴はかように優しく響き、

そしてたまにする私に対するあの人の挨拶は。


 「Fall Moon lost control over us.

  寒月 think of you.」


 終わりじゃなくて巡るもの季節は。

人もまた誤って失ってそして成長していくもの。

だけど、終わらせてしまいたいほどの覚悟がいつも必要。

(軽やかにポジティブに思考するべきなのか)

 でも思うんだ。異なるふたつのものが向かい合う時は、いつもファンタスティックでありたい。あまりにも違い過ぎて、エネルギーが必要


 これは、死ぬための著述ではない。

ただいつも傍らに、大事が起こった時のことを想定し続けてこそ、歴史は未来へ続くことができるんだと信じたい。

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