第5話 自由区
ひらひらと、ただ文字を手書きで書いただけの素朴な旗は
わたしは確かにその像を見ていた。
テレビの芸能人に話しかければ、
「独り言をしているね。」
と女に脅され、精神科入院に追い込まれ社会的喪失に陥れられる恐怖に怯えるわたしは、その空想とは、(わたしにとって)一体何なんだと震えを隠しながら思った。
夢の区画はあった。
それはわたしの乙女心をくすぐるお洋服のラベルで、いつか痩せて着れたらと思うとウキウキするし、着れなくても上品な君から名前を既にもらっていた。
"自由区”、ブランドの名前は、いつしかわたしの肌の鎧の名前になっていた。
夢に向かうまでの距離はいったい、相手に与えていたものなの?
もしも受け身で相手の意思に受動的なわたしとして生きていたなら、ほら、今度の、同じく精神病患者の友達から全財産をゆすられそうな事件ほどに付け入られる。
わたしが。もし与える立場の人間だったなら
——旗の字を鮮明に覚えていた。表情も、指が向かう方向も、そして足が運ぶ道の形さえ。
一緒にいた時間に自分の吐息を感じていたからといって、それはいただくだけでは済まされない。
「わたしが欲しいのは思い出でも過去の栄光でもないんです。」
栄光という言葉はその端から黒ずんでいった。愛されたいと願っていただけで、それは未完成でどこまでも改良されることを願っていた。
「国を興せないことを悔しいと思わないの?」
いつかのバイト先、甘いバニラと香ばしい小麦の匂い。乳の軽やかな弾む香り。妄想に似た語り声にわたしはアイディアなどない。ただあるとしたら、一緒にいることが生きることを作っていたし、おまけに満たされていたねと。
職を辞する、クビになるその繰り返しに戻ることがない絶望や憎しみを感じていたとしたなら。
名前が無くなった男は、それを喜び、時々わたしを見つめる。
微笑む、美しさを装う、声を出す。
「違うと思うんだ、わたしは仕事の仕方や社会の一員としての礼儀を教わりたかったの。」
という丁寧な問いをすることさえ許してもらえなかった。
(わたし、わたしは、バイト中もストレスで物をドスンと置くことも、独り言をしゃべり出すこともあるんだよ。)
もみ消された悩みは、ひとつひとつパズルを繋ぎ続けることを望んだ。
わたしが望んだ絵は、君と君と…僕とがお互いを必要しあって生きたあの日々なんだ。
仕事先が変わって、自分が障害者だということを受け入れそれを上手に相手に伝え生かしていく毎日の中、
また性懲りもなくくよくよしたがる私の前に、そこにいては不自然かなと少し不安になるくらいの年若の男の子が別の社員さんと共にいた。同じユニフォームを着ていた。ちょっと拗ねているようだった。
(ああ、友達のサラシ…否、一反木綿ちゃん?)
ハッキリ言って伺ったとしてもそれはこの会社の社員さんに過ぎない。
別に現実と夢の区別が必要な理性の持ち方なんて、もうどうでもいいんだ。正直、言って進学校に入学することも大卒も正社員就職も叶わなかった人生に、未練、つまりこれ以上もらえるものがないんだ。
家の扉を開けば被ってた猫の着ぐるみをはぐように本音はもれるけど、
「ねぇ、ちょっと、同じ部署の社員さんが、えっちな…いやらしい目、で見てたんだけど。」
そういえば、つとめていわゆる理性的な生き方をしていた頃も、そんな戯れに返す言葉もまだ覚えてはいなかった。
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