第2話 夢

 「キスがしたかった。」


 LINEをめくれば飛び込んできたのがその言葉だった。

続いてまたLINEが来た。

 「嫌がると思ったから言えなかった。」


 伽也かやはメッセージを読み込むと急いで打ち込んだ。返信を。相手の気持ちを損なわないようにと…。


 「ストレートですね。笑」


 伽也かやとしたら場を和ますつもりで言ったのであるが、なんだか後から(私の返信はそっけなかったかしら?)と不安になった。


 「伽也かやが正直だから僕も正直になる。」


 案の定、伽也かやの返信は良くなかったんだと伽也かやは思った。なんだか責められているような気がした。

今日のお出かけの時に、

 「今月は、予定もあるし疲れているから会えない。」

 と伽也かやが言ったことが彼にとっては不服だったのだろう。

伽也かやが誘いを断った”と嫌な気分を彼に感じさせてしまってそれが“伽也かやが正直だから”という文面に反映されているのだろう。


 でも伽也かやにとっても言い足りない事は募っていた。

伽也かやは、精神疾患を患っていて疲れやすい。毎日の仕事で十分疲れているのに休みが減るのは苦しい。だけれども彼との交流の為に、今月は2回、彼との時間を作った。精神疾患であることは彼も承知だった。

それから、精神疾患の薬の副作用…。伽也かやは薬で10kg太ってしまってやっと5kg戻した。炭水化物を朝晩抜きの食事制限とお菓子を我慢し、我慢しきれない時は糖質オフのものを食べた。懸命に薬の副作用とも戦っていて、でも、彼は夕飯は炭水化物が食べれれない伽也かやにも不満そうだった。

 「他に炭水化物がメインでないお店はない。」

 Go To Eatキャンペーンで混雑していて受付が出来なかったレストランで彼はそう言った。以前も食事するお店で少しもめたことがあった。伽也かやは気にし過ぎなのかもしれないし狭量かもしれない。だけれでも、薬と病気と戦う人生を覚悟している伽也かやにとっては大事な…大事なことだった。


 結局その日は、たまたま空いていたファストフードショップで食事を彼におごってもらった。彼の運転で家の付近まで帰る途中、車窓を眺めながら他にも空いているお店を何件か見つけては、彼は伽也かやのことを受け止めるのが苦しいのではないかと感じた。(外食は金もかかるし、夕飯くらいはおごらなくちゃと彼も思っておごってくれるからね。)申し訳ない気持ちと、でも私たちは不釣り合いではないかという悩みとがぐるぐる回りながらも、時間をかけて付き合っていけばお互いにかけがえのないものになっていくと伽也かやはうなずいた。


 ところが、帰宅早々届いたLINEは

 「キスがしたかった。」

 だった。

何がいけないって?伽也かやたちはまだ3度しか会ったことがない。

出会いはネットだった。彼はLINEのやりとりは淡白で毎日挨拶がくるが伽也かやのLINEでの話に返事がない時もある。もっとよくLINEで話をしないとお互いの仲を深めるのは難しいという感性の伽也かやとは幾分も違いがあった。それでも会う回数を重ねていくうちに慣れるだろうと思っていた。

だけれども、3度目でキスをしたかったと言われ、しかもできないのは伽也かやが嫌がるだろうからと言うし、なんだか伽也かやにとってはショックだった。

まだ正式に恋人になっていないのにもう、そんなにキスができないのもストレスと言わんばかりなんだ…と伽也かやは愕然とした。


 伽也かやにも問題があった。まず、性欲が少なかった。薬を服用し始めてみるみるなくなり、そう簡単にキスとかそれ以上をしたくなくなった。だからキスを拒みたがる伽也かやはやっぱり変だったかもしれなかった。

 

 「出会い系はすぐ恋人になりたがってキスなどを求められる、そんなもんよ。」

 

 「すぐにキスは嫌だね。」

 と伽也かやの気持ちを尊重して慰めてくれた友達の代わりに伽也かやは自分で言った。


―――—――—


 気づけば霧のようにあたりはくぐもって不鮮明だった。

微睡む視界の中で、男性の笑顔が差した。

細く長い二本の手がそっと伸びてきて伽也かやの両肩に触れた。そして伽也かやをくるりと180度向きを変えさせた。

そこには背の中くらいの大人が辛うじて潜れるほどの小さな小さな鳥居があった。鳥居の色は視界がぼやけて分からず背景に溶け込んでいた。白っぽかったが、何か鳥居にふさわしい大事な色を付け忘れているようだった。

そして地味な色の小さな賽銭箱と小さな神様しか入れないような社殿が佇んでいた。

再び男性は伽也かやを見つめて微笑んだ。そして触れていた伽也かやの肩から手をはなし去って行った。

去り行く彼の方向には、夢のように美しい女性がこの空間に溶け込みながらも優美に髪をなびかせていた。男性と女性は手を取り合い、更に男性は手を女性の肩にまわし優しく抱いた。

伽也かやの見つめる先には理想の男性と叶わない恋があった。不運な伽也かやねぎらう様に神社で一緒にお参りして、笑顔という施しを与えてくれた男性だった。


―男性は誰だったんだろう…


 男性の名前を思い出した時、伽也かやは二度目の日の光を捉えた。

目が覚めた。先ほどまで伽也かやは目をつむっていた、そう、夢だった。


 「大変だったね。辛い思いをしたね。

  タカシも猫が好きだよ。

  ツンデレなところが激萌えだよね!」


 男性の名前はタカシ。SNSでの何気ない会話から男性とは始まった。

好きな趣味や音楽の話を伽也かやにしてくれた。そして事あるごとに伽也かやはいい子だからとか優しいからと言ってくれた。

タカシの一言一言は、ひとりぼっちで友達も少なく親ともギクシャクして世間話もする相手がいない寂しさを埋めていった。

(この人ならいいな。)なんて欲を持ったが、はっきり公言しないがタカシには素敵な相手がいるようだった。そして地元から離れて生きていくのは病気上無理な伽也かやにとってタカシは遠い所に住んでいた。

失われたお兄ちゃんとの日々、友達とのやりとり、それを取り戻せるような暖かさを身に染みて感じていた。


――――—―


 「しばらく距離を置かせてください」

 出会い系で出会った彼に伽也かやはLINEした。

伽也かやは、彼の返事次第で今後を決めていこうと思っていた。

“キスをしたらもう、元には戻れない”

(成人過ぎて何年もたってもうおばんな年齢なのに貞操が固い淑女のように心を固めるなんて馬鹿げているかな。)

自分の悪い所を感じているから、余計彼からの返信を待った。返信次第で覚悟を決めていこうと思ったのだ。

なのに、もう返信はない。


 「“しばらく距離を置かせてください”じゃ、返信返すなって意味にとられるか…。」

 伽也かやは力なく呟いた。もう終わりだと思った。


夕飯をいつも彼におぎってもらっていて申し訳ないとは思っていた。伽也かやはお金がないし、だからもう会わないことも大事だと思った。


 一週間経った頃、彼から画像が送られてきた。

料理の写真だった。この前の昼食にレストランで彼が注文して彼が気に入ったレシピだった。


 “料理するなんてマメだね”とか

 “あの日の楽しかったという彼の気持ちが伝わってくるね”とか

 必要な彼への愛情を…

思おうとしても思おうとしてもそれはで、

もう彼に伝える言葉も思い浮かばなかった。

LINEは返信しなかった。


 晩秋の休日の朝、

幸せでもあった過去の思い出を優しく蘇らせるように見せてくれた夢の中で、伽也かやは、触れ合うことはないだろうネットの世界の優しい男性と心を合わせた。

一つの区切りのように、その夢は正直な伽也かやの思いを繋ぎ留めた。


 (私の人生に結婚なんてないかもしれない。恋人もできないかもしれない。

それはただの不運でただ縁がないだけなのかもしれない。

中東でもアフリカでもその他の発展途上国でも紛争や政治的な混乱、そして貧困が問題になっている。そんな世界で、私は、一般的に暮らせて行けるのだから、求めすぎなのかもしれない。自分の性格的な癖もあり確かに短所でもあるが、でも、人生を上手く生きれなかった自分を許し認め、無理なく生きていこう。)


 伽也かやは、コーヒーを一杯口に運んだ。

コーヒーの湯気に母親の面影が過った。母も台所でよくコーヒーを淹れる。そして、伽也かやが生まれた時から台所に立ち包丁やお鍋を手に料理していた母親の後ろ姿を思い出す。


伽也かやは、絡まって絡まってほどきようのない頭の中のごちゃごちゃを、ぎゅっと手を握りしめて払おうと思った。

母には父にも伝えていける人でありたかったのだ。

“ありがとう”と。

きゅっと結んだ指が一つほどけて小指を立てた。

男性―タカシの優しい眼差しを瞼の裏に見た。

 

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