夏の陽炎

第1話

 伽也かやは、それを分からないふりをした。

伽也かやの幼い胸に父と呼ばれた人の手が二度触れたのを。


 父としての務めをしてない非道な人だと言われないことを気にしていたのかな?


 父親は、会社務めも実直で、伽也かやの母に頼まれれば家事の手伝いもこなした。少し不器用で周りに取り残されているような娘、伽也かやが、

 「欲しい。」

 と言えば、父は、お菓子も少々のおもちゃも道楽も買い与えて遊楽地に連れて行ってあげ、そして学費も滞りなく支払った。


 父親は、家では無口でそして時々苛立ちやすく、それでいて面として人に当たらずにボソボソと文句を言い、うつむきながらふくれっ面をした。


 一人娘として生まれた伽也かやにとって、そんな父親も人の味わいだと思った。父親の不機嫌な時は苦しいが、自分に無償の愛情をかけ育ててくれていると慕っていた。そして父が、幼少から成人までの間は不遇な家庭で育ち苦労を重ねてきたことも、実家を出て自立し家庭を養うほどの財力を稼ぐことも、感謝の畏敬の思いを抱かずにいはいれなかっただろう。


 再び伽也かやに触れたのは、成人を控え女性として成熟し始めた頃だった。

父の男根らしきものが、服ごしに伽也かやの尻に触れた。父親を気遣って腰をマッサージしてあげた伽也かやは、父親に甘えて自分の肩もみをお願いしたら起きた事件だった。以前に胸に触れたのは幼い時でそれからずいぶん年月が経ち何事もない日々は過ぎていた。

 今度ばかりは

 「嫌、気持ち悪い。」

 伽也かやは声に出して言った。

その日はそれ以上なく過ぎた。

だけどそれから、家族で飲食する帰りにトイレの前で奇妙に伽也かやに微笑む父親の顔を感じ、自宅のリビングで居眠りしていた時は、唇をきゅっと形作った父を少し離れた所で目にしそれが投げキスにまで見えた。

もう伽也かやにとって父親は不気味な性欲をもつ魔物にしか見えなかった。触れたのはたった二度の出来事だったとしても、その後の態度が気持ち悪くしか思えなくなった。そしてどうにも消化しきれない苦しみを伽也かやは持つようになった。




 伽也かやには2つ年の違う兄が居た。過去形だった。兄はもうこの世を去っていた。

伽也かやの兄は、清楚でおしとやかな顔立ちをしていた。人に気を遣う性格らしく、図々しく甘えて物をおねだりする伽也かやとは違い、親戚におごってもらう時も値段が安いものを選んだ。そして妹の我儘を静かに受け止め時に喧嘩になってもすぐに仲直りした。


 そんな兄は、15歳を数える時に発狂した。人の良い優しい顔立ちは、本能をむき出しにした怒り顔になり、盗聴されているとかなんとか…ありもしない妄想を並べ始めた。統合失調症と診断された。


 兄が荒れ狂う家の中で、初めて兄の怒声を浴びた。


 服薬治療を始め兄が落ち着いている時、いつもの優しい表情に戻った。そして病気を手探りで受け止める兄は薬の副作用とも戦っていた。

兄が落ち着いている日、兄は始終家でオーディオで音楽を流しリビングで兄妹そろって音楽を聞いた。

 「大丈夫?」

 とか

 そんな言葉は必要なくお互いがお互いの存在を許し合うようにそこにいた。


 伽也かやが珍しく料理を振舞った時、季節でお菓子を作った時、

 「おいしい、おいしい。」

 と素直に喜び食べる優しい兄だった。

伽也かやも兄と同じ様に中学校を休んだ日、兄は伽也かやの存在をさも嬉しそうに笑った。

不器用で友達が少なくコミュ障と発達障害の疑いのあったかもしれない伽也かやにとって、人間として一つの生命体として生まれた意味を、唯一心安らげる兄とのそうした時間に見出さずにはいられなかった。

 

 兄は発病後、2年という短さでこの世から出ていった。

生きたかっただろう兄との最後の約束

 「一緒にカラオケへ行こう。」

その台詞は伽也かやの音声のみを残していつまでも伽也かやの頭にこだまし続けた。


 その後、10年、20年と、飽き足らずカラオケを1人や誰かを伴ってし続けていた伽也かやには、そろそろ、カラオケも馬鹿げてると自分を窘めることのできる記憶があった。

父には心を同じくできない災いをかけられた、のであるが、

ほどほどに男性というものを知っていった伽也かやには、男とは女とは比べ物にならないほどにおかしな性欲を持つものだということを理解した。


 兄が亡くなる前だった。

伽也かやは母親に

 「兄ちゃんが私にエロ本を見せてくる。」

 とクレームをつけた。

ところが母は助けてくれるどころか

 「兄と二人でエロティックな気分を味わっていたんでしょ。」

 と考えられない台詞を吐いた。

母親は常に伽也かやの理解者ではなかった。唖然としそれ以上何も話せない伽也かやだった。伽也かやの言葉の拙さも頭の回転の悪さも心の弱さもただ塵のように舞って砕け散った。


 そして来たった晩は悲しみの闇色に今も瞼の裏から消えずにいる。


 その日、中学を終え疲れ果てた伽也かやは、いつものように自宅リビングで眠ってしまい、そして夜中にうつろに目を覚まし薄目を開けた。

すると少し離れた斜め前で、右手を上下に動かし身体をくねくねと捩らせる黒い人影を見た。兄だ。

発病前にはなかった理性の吹き飛んだ兄だった。


 何も見なかったように忘れるように目を瞑り眠ってしまった数十分後くらいにまた起きると、背後で兄が腰を伽也かやの背中に近づけようとしていた。

伽也かやは何も言えなかった。

ただ一つ言えるのは母の放った言葉の意味ではない。


 あんなに上品で繊細で思いやりのある兄が、理性を失い生きる屍化した、まさにその様であった。


 その夜、そしてその後も願わずにはいられない。

兄に分け隔てなく幸が訪れ苦しみがなくなることを、ただただただただただただ……


それが14歳の伽也かやに出来る精一杯の祈りだった。



 父親の物が服ごしに伽也かやの腰に触れたのは、兄が亡くなってからもう数年も経った時だった。

同じ様に過ちを課されたのであるが、

親としての父は許すことができない。


それは感謝より産んだ方に責任を求めるのもいけないことかもしれないけれど、産んだのなら、娘の心の平安と清純さを守り続けてほしい。


 父と娘と母と…

もうどちらが悪いかも分からないほどに喧嘩し父母を罵倒した伽也かやは、

気持ち悪くも、兄の生を守ることを念じた日によって浄化されるような気がした。

つまりは、“わたしは親にさえ恩情を抱けない奴”という痛みを、兄を許した日によって人間との情が繋がれるのを感じた。


 伽也かやは統合失調症と診断された兄を差別しなかったわけではなかった。

おかしな奴だと思い自分は同じ病には絶対なりはしない、統合失調症になったら人生は終わりだとまで思った。

でもひとつひとつ、1歩き始めた世界で、失敗を繰り返し、人にも迷惑をかけ生きていく厳しさを経験したその後、

統合失調症になった兄を人生の終わりだと思ったことは誤認だと知った。

否、社会にうまく適合できずに右往左往した伽也かやも人生の終わりの心情をなぞっていた。


 “わたしも統合失調症である”ことを素直に受け止め医療や社会を信じひざまずき正直に統合失調症であることで社会に助けを求めた時、

伽也かやを得ることができた。


(そうね、何が問題かきちんと自分で把握し相手にお願いをする姿勢がなくては誰も助けることなんてできないものね。)


 許すというのは、許す対象の人の立場によって匙加減が違う。

父のことは許さずただ怒らないことを誓っただけ。

兄は、その後の新しい人生に恵まれるように“何事もなかった”と許し、兄の悲運を一緒に嘆いた。

ただ一つ言えるのは、何もない私に精神的な道筋をつくったのは兄だった。




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