第30話 戦いの終わり
最初に兵士達が気付いたのは、異様な静寂だった。
鼓膜を引き裂かんばかりに鳴り響いていた咆哮、爆発音、金属音が一際大きな轟音の後にぴたりと止んだのだ。
兵士たちは思った、「エルヴィス様が勝利したのだ」と。
しかし何かがおかしい、いつまで経っても光の矢が飛んでこない。
魔物共に畏怖を与え、自身らに勇気と活力を与えてくれる純白の彗星が見えない。
「おい……エルヴィスさまはどうした!」
「戦いは終わったんじゃないのか!? 何故エルヴィス様はいらっしゃらない!?」
兵士たちに不安が伝播する。
絶対にありえない“最悪の状況”がよぎり始めた時、その不安は意図せぬ形で吹き飛ばされる事となった。
最悪の形で、だが。
一人の兵士の視界に何かが飛び込んだ。
ボールのような大きさで、ごとりと乱戦の中央に投げ込まれた“それ”の正体を把握するのにそれ程時間は掛からなかった。
「……あ……?」
首だ。
べっとりと血がこびり付き見るも無残な様子になった頭髪、そして何よりも見紛うはずがない特徴的な――尖った耳。
「エル……ヴィスさ――」
刹那、連鎖するように数人の兵士の首が空へ舞った。
噴水のように噴き出す鮮血に紛れるように黒い影が動く。
すれ違うように背中へ横一閃、斬り上げ、袈裟斬り、そして背面から腹部を貫く刺突。
異常事態に対する兵士達の動揺が生んだ硬直は片手で数えられぬ数の命を消し去るには十分過ぎる時間であった。
「
そこから先は一方的だった。
存在そのものが部隊の精神的支柱となっていた
前方からは大量の魔物が迫り、後方へ退こうとすれば
“絶対的な強者”であるエルヴィスの敗北は兵士達に「勝ち目が無い」という考えを深く刻み込んでしまったのだ。
如何に数が揃っていようが司令塔が倒れ、統率が取れなくなってしまえば単なる烏合の衆。そうなれば残るのは絶対的な“恐怖”と“絶望”のみ。
鍛え上げられた武力と王への本能的な忠誠を持つ魔王軍が彼らを蹂躙するのは実に簡単な事だった。
…………
………
……
…
「人族側、生き残り確認できず。驚異の排除は完了したと思われます」
「うむ……皆の者、我々は勝利した! クオリア遺跡奪取作戦は成功である!!」
『うおぉぉぉぉぉぉぉ!!』
指揮官の声を皮切りに各地から歓声が湧き上がる。
勝利に湧く魔王軍を他所に屍が積み上がり、血と焦げた匂いが充満する戦場の片隅にクロードは居た。
魔王軍における最大の脅威であり人族軍の要であった
無数に刻み付けられた傷からはポタポタと血が溢れ出し、彼自身の腕はこの戦いで両方とも失われている。
緊張の糸が切れたのか意識はぼんやりしており、無茶な動きを繰り返した肉体は既に歩くのが困難なほどに疲弊していた。
剣を握ったこともない青年がよくここまで持ち堪えたと驚嘆すべきだろう。
「……疲れた」
「お疲れ様、クロード」
負傷の治療のため走り回る魔王軍兵士達の雑踏の中から現れたのは、エルヴィスへの目潰しのために切り落としたクロードの左腕を抱えたメルトだった。
「どれがクロードのか分からなかったから遅くなっちゃった。これで合ってる?」
「……多分な」
「そっか、良かった」
メルトから受け取った左腕を捕食する。
断面からの出血を防ぐために開かれていた牙がぶるぶると震えれば、間もなく喉の奥から漆黒の腕が伸びる。
「はは……これなら両手で食器が使える」
「それ、元の腕とは別の模造品なんでしょ? あなた自身の腕は無くなっちゃったけど」
「心配してくれてるのか?」
「どうかな」
メルトがクロードの隣に腰を下ろす。
特に何を話すでもなく、暫く無言の時間が続く。
「……何でわざわざ前線を抜けてまで俺のところに来た?」
「ん……」
メルトが少し考え込む。
「前言ったよね。私たち魔族はディアニス様に従うのが当然だと考えてるって」
「あぁ」
「戦えって言われれば戦うし、死ねって言われれば多分死ぬ。そういう生き物だから別に不満も無いけど――」
少し言い淀んでいる様子だったが、急かすような真似はしない。
ぼんやりとした意識の中、クロードはただ静かにメルトの話を聞いていた。
「ちょっとだけあなたが羨ましいのかも」
ぽつりとメルトが呟いた。
「誰かの命令じゃなくて、自分の意志で死ぬことすら厭わずに何かを為そうとしてる。そしてあなたの“意志”は……本当に
「…………」
「私、あなたが何処まで行けるのか見てみたい」
蒼い目がクロードをじっと見つめる。
いつもの捉えどころのない笑みは影を潜め、触れられた手からはひんやりとした感触が伝わってくる。
「それは俺が決める事じゃない。やりたいなら好きにしろ」
「じゃあ好きにする」
視界が回転する。
自分の身体がメルトに引き寄せられたのだと認識すると同時に、クロードの頭がメルトの太腿の上に着地する。
俗にいう膝枕の体勢である。
「……何のつもりだ」
「疲れてるんでしょ? 何かあったら起こしてあげる」
「あのな――」
「好きにしていいんでしょ?」
再び悪戯っぽい笑みを浮かべる様子に、クロードは何を言っても無駄だと理解する。
既に瞼は鉛のように重く、程よく冷たく柔らかい枕の感触に自然と意識が泡のように溶けていく。
不思議と心地が良いのは――彼があの外道に奪われた“母性”のような何かを感じ取ったのだろうか。
ともかく、逆らうことなく眠りに落ちたクロードの髪を撫でながらメルトはにこりと微笑んだ。
人族軍、部隊壊滅。
魔王軍、被害中度。
クオリア遺跡と【空間転移】の秘術は魔王軍の手に堕ちたのだ。
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