第29話 光を喰らう

「お前蠱惑隊だろ。前線の支援はどうした」

「抜けてきちゃった。後で怒られるかも」


 血風乱れ舞う戦場に似合わない無邪気な笑み。

 メルトの放った土埃が晴れるまでにはほんの僅かな時間しか要する事は無かったが、今はそれで十分だった。


「……とりあえず助かった」

「じっとしてて、【無相の癒しクラナーレ】」


 手早くクロードの肉体にメルトが息を吹き掛ける。

 即効性のみを考えた治癒魔法のためあらゆる傷が完治とまでは至らなかったが、ある程度の移動は出来るようになったようだった。


「軽い傷は治療できたけど、左腕は今すぐには無理だと思う」

「十分だ。右腕が使えれば何とかなる」


 傷口に開いた【喰らう者ディヴァ】によって大量出血は免れているものの、片腕が使用できないという強大なハンデは未だに残り続けている。

 更に相手は種族の壁を神の恩寵によって飛び越えた加護持ちギフテッド。五体満足でも敵うかどうかは分からない相手であるが、クロードの意志はは真っすぐにエルヴィスの命へと向かっていた。


 そんな無謀ともいえるクロードの目が、メルトの興味を惹きつけて止まないのだ。


「やるんだよね、クロード」

「当然だ。あの代行者気取りに分からせてやる」


 薄くなった土煙を払うようにクロードが右腕を構える。


「やり方は任せる!」

「分かった」


 再び標的を視界に捉えたエルヴィスが【神弓エヴェリン】を放つと同時にクロードが【喰らい穿つ者ディヴァ・マティス】で迎え撃つ。


「魔王軍の支援兵か……だけどたった一人の援護で何が変わるというんだい?」


 エルヴィスが再び無数の矢を構え、クロードを囲むようにポータル展開させる。

 再度の制圧射撃、一度回復したとはいえクロードがこの【空間転移】を破ったわけではない。


「何度でも撃ち込んでやるまでだ! 射殺せ、エヴェ――」


 矢筈から手を放そうとした刹那突如感じた揺れ。

 地震ではない、ゆっくりと景色が傾いていく。

 下方から立ち上る焦げ臭い煙と何かが軋む音が意味しているのは、エルヴィスの立つ監視塔の倒壊であった。


(あの女か……無駄な事をするね)


 手元の矢を消滅させ、手早く虚空に白矢を放って矢筈を掴む。

 現在エルヴィスが立つ監視塔以外にもこの戦場には高所が多く存在する、遠距離攻撃を主とする戦法を用いる場合高所を取り続けることがそれ即ちアドバンテージへと直結するのだ。

 生きているかの如くエルヴィスの意志に従って縦横無尽に進路を変える【神弓エヴェリン】による飛行こそが彼の戦闘スタイルを支える大きな要素である。

 常に己の有利となる地形へと瞬時へ移動できる手段に加え、何処からでも自由に矢が届く【空間転移】の合わせ技は正に無敵のコンビネーションと言えるだろう。


 しかし、その【空間転移】こそがクロードがこの状況を打開する一筋の希望となった。


「ッ!?」


 崩れる足場にエルヴィスが気を取られた刹那、目の前に開かれていたポータルから“何か”が飛び出した。

 勢いよく飛び出した黒い影を反射的に矢で弾く。

 不意打ちの飛び道具にしては余りに貧弱な威力、しかしその“弾き”こそがクロードの狙いであった。

 見開かれた眼球へ伝わる生温かい感覚、水のようでいて僅かに粘り気を帯びたものが彼の視界を奪った。


(血……!? 不味い、視界が……)


 真っ暗な視界となったエルヴィスなどお構いなく白矢が空へと彼を連れて飛び上がる。

 彗星と見紛うほど輝かしく、そして高速で飛翔する【神弓エヴェリン】での移動はさながら自分の意志でルートを変えるジェットコースター。

 しかしそれは逆を返せば『一瞬でもルートを間違えれば矢ごと地面や障害物に叩きつけられる』という尋常には扱えない危険極まりない移動手段である。

 見知った場所ならまだしも此処は常にあらゆる状況が変化し続ける戦場、数秒前に視認していた足場が今も壊れずに存在している保証など何処にも無い。


(この血を拭うのに何秒掛かる!? 一秒か、二秒か!? 駄目だ、【神弓エヴェリン】は十秒もあればこの戦場を端から端まで飛んでいく! 適当に進路を曲げれば僕だってタダでは済まない!)


 超高速で飛行する肉体に加えて遮られた視界は、エルヴィスの方向感覚を完全に失わせていた。

 今彼が自身の身を守るために出来る最善の行動は、『このまま真っすぐに移動を続ける』のみ。


(落ち着け……この速度で移動する物体を狙い撃つのは不可能だ。利は僕にある、このまま視界を確保してから戻ればいい!)


 一時的に混乱したとはいえ、エルヴィスは加護持ちギフテッドとして数多の戦場を潜り抜けてきたエリートである。

 最優先事項は自身の視界の確保、薄く乾いた血を拭えばぼやけているものの直ぐに視界が開けた。


「ふっ……所詮はその場凌ぎの猿知恵――」

「それはどうかな」


 視界が遮られていたのはほんの僅かな時間であったが、エルヴィスが移動した距離は徒歩でとても追いつけるような物では無い。

 だがしかし、確かに聞こえた悍ましいあの男の声。

 まさか、そんなはずは。嫌な予感を振り払うように振り返ったエルヴィスの視界は先ほどの暗黒とは打って変わって眩い光に包まれた。


「――【拡散する蛍火ウィラクス】」


 中空にメルトが放ったのはダメージの一切期待できない単なる目晦ましの魔法。

 本来は虚を突いての逃走などに使用されるような簡単な呪文であり一定のレベルに達した強者に対してはコケ脅しにもならないものだったが、数秒とはいえエルヴィスは完全なる暗黒に包まれていた。

 無光から復帰した直後に差し込まれた閃光、それでもエルヴィスに生まれた隙はほんの僅かなものだった。

 しかし、その一瞬で十分だった。


 閃光を引き裂くように飛び出した黒い人影。

 おおよそ人とは思えぬ速度で近づいてくるそれの動きには見覚えがあった。

 右手で矢筈を掴み、彗星の如く飛翔する技術――エルヴィスのものだ。


「コイツ……僕の技を……!」

「良くやったメルト……これでやっと近づけた!」


 エルヴィスの頭上に飛び上がり、右手を離して【喰らう者ディヴァ】を開口させる。

 クロードの全貌が見えた時、エルヴィスは先ほど自身へと放たれた目潰しの正体を理解した。


 クロードの左腕――正確に言えば肩から下がバッサリと切り落とされていた。


「じ、自分の腕を目潰しに投げ込んだ……!? 頭おかしいんじゃないのか!?」

「腕一本とお前の首が交換できるなら十分すぎる対価だッ!」


 右手を離し、クロードが重力に任せてエルヴィスへと落下する。


(この距離は不味い! 今から【神弓エヴェリン】の進路を変えても間に合わないッ)


 回避は不可能、受ければ死ぬ。

 エルヴィスの脳内ではこの状況での最適解を探るべく思考が滝つぼのように高速で回転する。


(奴の武器は右腕の口だ、この攻撃さえ凌げればまだ僕に勝機はある!)


 黒牙が自身へ迫る刹那、エルヴィスはクロードと同様に矢筈から手を離した。

 彼の身体も地表へ向けて落下を始めるが、矢を手放したことで再び両手が自由となる。

 目にも止まらぬ速さで空中で姿勢を整え、天から迫る捕食者へと弓を構える。


「射殺せッ! 【神弓エヴェリン】ッ!!」


 エルヴィスの手から放たれた起死回生の一矢。

 狙うは頭部や胴体ではなく、自身へと喰らいつこうと迫る忌々しい怪物の右腕であった。

 鋼鉄すら貫く神の矢、引き絞る時間が短いとはいえ人体を吹き飛ばすには十分すぎる威力を秘めている。


 神の恩寵がクロードの残された右肩に着弾し、弾け飛ぶように右腕が宙へと舞う。

 禍々しい怪物の口は消滅し、肉塊と化した腕が鮮血を噴き出しながら月に照らされる。


「勝った……!!」


 完全なる勝利の確信、両腕を失った兵士に自分を殺す手段は存在しない。

 しかし目の前の男は何をするか分からない、エルヴィスの思考は地表へ落下する前にクロードに完全なる止めを刺す事を選択した。


「正直君を侮っていたよ、此処まで僕を追いつめるとは思っていなかった! だけど――これで終わりだ」


 狙うは脳天、この怪物を止めるには即死させるしかない。

 構えるは最後の一矢、しっかりと狙いを定めるついでに悔しそうな表情でも見てやろう、とクロードに目を合わせた時だった。


 笑っている。

 両腕を失い、最期の一撃が自身に加えられようとする最中であるというのに。


 一瞬の静寂、その刹那クロードの肉体が半回転した。

 空中で回し蹴るように身体を回転させ、足に【喰らう者ディヴァ】を開口させる。

 喰らったのは、吹き飛んだ自身の右腕。


 【喰らう者ディヴァ】の持つ最大の特徴

 ――喰らった物を、模倣できる


 吹き飛ばされた右腕の断面が、大きく口を開く。

 その奥からずるり、と一本の真っ黒な腕が伸びていた。


「腕が……生え――」


 反射的にエルヴィスは番えていた矢を放つ。

 しかしその白矢すらも、真っ暗な口内へと消えていった。


「この……化物がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

「喰い殺せッ!【喰らう者ディヴァ】ァァァッ!!」


両雄の絶叫の後、二人の肉体が地表へと辿り着く。

轟音と舞い上がる土埃。その中で輝いていた【神弓エヴェリン】の光がゆっくりと弱まり、そして消えた。


土埃が消えると同時にじわりと染み出してきた深紅の水溜まりが、決着の証明となった。


胴体を喰い千切られ、足元に転がる加護持ちギフテッドを確認する。


「……ッ」


おおよそ完勝とは言えぬ満身創痍だったが、確かに今立っているのは――クロードだった。


「おおおおおおおおおおおッ!!」


異形の咆哮が、戦いの終わりを知らせた。

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