第21話 何の為に
「私、蠱惑隊のメルト。 少し話そうよ」
吹き飛んだ疲労から察するに、メルトの名乗る目の前の少女が自身に治癒魔法のようなものを掛けたのだとクロードは解する。
目的はともかく、結果的にはダメージを癒してくれたのだ。とりあえず感謝することにしておいた。
「ありがとう、明日から破軍隊所属になるクロードだ」
「お礼とか言うんだ、ちょっと意外かも」
少し驚いたような顔の後、メルトが可笑しそうに笑う。
「座ったら?」
近くの階段に腰掛け、メルトが自分の隣をトントンと叩く。
特に断る理由もない、どうせ普段なら回復するまで休んでいる時間なのだ。
汗を拭いながらメルトの隣に座る。
「何であんな事してるの?」
唐突にメルトがそう口を開いた。
「あんな事」と言うのはクロードの鍛錬の事だろう。
「人族と魔族の間には種族の壁がある。 人間ならなおさら加護がなきゃどれだけ鍛えたってその辺の魔族にも届かないのに」
メルトの言葉に嘲りや嫌味が含まれているようには感じられない。
もっと純粋な疑問、追い付けぬと知った上で肉体を死の間際まで追い込む不合理に対する疑問。
クロード自身もそれは重々理解していた。生物的な強者として生まれた魔族と人族の中でも最も平凡な種族である人間の間には余りに高い壁がある。
故に人族は加護や魔法、兵器を駆使してその壁を打ち壊そうと試みているのだ。
「『強い意志には力が宿る』」
「何の話?」
「小さい頃、そう教わったんだ」
「いつかは魔族を越えられるってこと? 」
「違う、俺が超えなきゃいけないのは魔族じゃない。 更に上だ」
目を合わせることなくクロードが答える。
遠くを見つめる横顔をメルトは静かに眺めていた。
「あなたが魔王軍に入ったのもそれが理由?」
「……この手で殺したい奴が居る」
暗い瞳でそう呟くクロードを、メルトが続きを催促するような目で見つめる。
「人族を裏切ってまで殺したい相手って――」
「勇者だ」
予想外の答えにメルトの目が点になる。
「勇者ってあの? なんで人間のあなたが」
「ペラペラ人に話す事じゃない」
「ふーん……」
少し不満そうにメルトが口を尖らせる。
クロードは不幸自慢をしたい訳では無い、自分の意志の源泉は自分だけが知っていれば良いのだ。
メルトの質問が途切れ、短い静寂が二人の間に流れた時、クロードはかねてより思っていた疑問を聞いてみる事にした。
「お前達魔族は何のために命を懸けて魔王軍で戦うんだ?」
「え?」
「俺だけ答えるのは不公平だろ」
「……意外とあなたって子供っぽい所あるのね」
苦笑いを浮かべたメルトは少し考え込むような素振りを見せる。
これはクロードにとっての純粋な疑問であった。
人族側は主君への忠義、報酬、何よりも魔王軍から自己の安全と平和を守る為。
では魔王軍の闘いへのモチベーションは何処から来ているのか。
「……分からないわ」
暫くの思案の後、メルトから返ってきたのは予想外の答えであった。
「分からない?」
「考えた事無かった。敢えて言うとしたら……『そういうもの』だからかな」
当然のようにメルトが答える。
「確かに領地の拡大とか魔王軍の目的自体は色々あるけど、それについてしっかり考えてる訳じゃない。 魔族って生き物は絶対的な支配者――ディアニス様に従うものだから」
人族の忠誠とも違う、もっと根源的なもの。
理性の深層に潜む本能のようなものだろうか。
クロードは以前聞いたニルの言葉を思い出す。
『魔王軍とはディアニス様の手足に過ぎないのです』
(……まさか本当に言葉通りの意味とはな)
支配者の意志に服従する数多の兵士たち。
しかもそれに対して疑問を持つことも無く、故に反乱も起きない。 支配者から見れば理想の軍隊だろう。
「でも人間のあなたは違う。 だから話が聞きたかったの」
メルトが少し嬉しそうな顔ではにかむ。
『自己意志』という魔王軍にとってのイレギュラー、この少女はそれに惹かれたのかも知れない。
「……そろそろ行く」
「またトレーニング?」
「お陰で身体も楽になったからな」
階段から立ち上がったクロードに合わせるようにメルトも立ち上がる。
怪訝そうな表情を浮かべるクロードに、少女は微笑みを返した。
「見せてよ、あなたのトレーニング」
「もう話せる内容は無いぞ」
「見てるだけで良いの、口出しもしないし邪魔もしない。いいでしょ?」
どうやら譲る気は無いようだと悟る。
無理に撒こうとしても身体能力の差で簡単に追いつかれるだろう。
「はぁ……好きにしろ」
「やった。ねぇ次は何するの?」
うんざりした顔を浮かべながらクロードは再び夜の闇に溶けていく。
彼の魔王軍新兵としての最後の夜はこうして更けていった。
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