第20話 執念

 兵舎での夕食、そして夜の点呼が終われば魔王軍の一般兵達は各自の部屋に戻っていく。


 各自の部屋と言っても一部屋の四隅に二段ベッドが配置された八人一組の部屋であり、人族に比べて大柄な肉体を持つ魔族達で部屋は見た目以上に狭く感じられる。


 多くの兵士たちは明日の活動に向けて睡眠を摂るが、魔族と言うカテゴリの中にも様々な種族が存在しており、魔王軍では睡眠を必要としない者や夜行性の種族である者に配慮して明確な消灯時間は定められていない。

 朝と夜の点呼に遅れなければある程度の行動の自由が許されているのだ。


 とは言え無断で魔王城敷地内から出る事は出来ない為、やれる事は少ない。


 部屋の灯りが消え同室の魔物達がいびきをかきはじめる時間、クロードは一人部屋から出ていく。


「破軍隊所属クロード、兵舎外への外出を希望します」

「記名をしろ」


 出入口の事務受付に申請書を提出する。


 書類を受け取った魔物は無言で扉を指さす、行ってよいと言うことだろう。

 扉を開けば夜特有のひんやりとした空気が体を撫でる。


 軽く体を伸ばしてからクロードは駆け出していく。


「はっ……はっ……」


 静かな敷地内をペースを落とさずに走り続ける。

 重りがない分日中の訓練での走り込みほど体力を消耗はしないが、代わりにこの走り込みに時間や距離といった明確なゴールは存在しない。


 クロード自身に出せる限界の速度でとにかく走り続け、体が限界を迎えて倒れ込むまで続く。

 これは数ヶ月に及ぶ新兵訓練、その合間に毎日欠かさず継続していた自主鍛錬である。


 テストの後、破軍隊に新兵として加入してからクロードが思い知ったのは人間と魔族の圧倒的なフィジカルの差であった。


 筋力、持久力、瞬発力、タフネス……どれをとっても勝てそうなものは見当たらない。

 クロードは考えた。


(この魔族達を一人でも蹴散らせるのが勇者だ。 腹立たしいが……実際に奴らは強い)


 強靭な肉体を持たない人族が魔族に対抗しうる武器……それが【加護】である。


「神々からの祝福」とされる加護は非常に希少な物ではあるが、加護を持つ者は人智を超越した力を得る。


 加護の数が多ければ多いほど「生まれながらに神に愛された者」とされ、あらゆる場所で重宝されるのだ。

 桁外れの数の加護を持ち、世界中から優遇を受ける勇者であれば強靭な魔物であろうと雑兵と変わりない。


(今の俺じゃ魔王軍で成り上がる事も、奴らを殺す事も出来ない)


 そもそもクロードは辺境の農村出身の一般人に過ぎない。

喰らう者ディヴァ】という強大な力があろうと加護も無く、剣すら握ったことの無い青年が何もせずそれだけでやって行ける程現実は甘くない。


 まず必要なのは徹底的な肉体改造、そして戦闘技術の発達だとクロードは考えた。


 その結果がここ数ヶ月の常軌を逸した鍛錬である。

 血反吐を吐き、全身に痛みを刻みつけ続けるクロードであったが、不思議とそれらを辛く思うことは無かった。


 今自分が感じるこの苦痛も全てあの外道への復讐に繋がる道なのだと考えれば高揚感に肌が粟立ち、腹の底から活力が無限に湧き出してくる。


 自傷行為とも見えるクロードの鍛錬によって、この数ヶ月で彼の肉体は既に一般人の枠を超えていた。

 それでも尚魔族には追い付けない、故に鍛え続ける。以前の鍛錬で苦痛を感じなくなれば更に負荷と量を増やす。


 一日の睡眠時間が二時間に満たないクロードの生活は狂気的とも言える復讐への執着心によって支えられていた。


 何時間走っただろうか。酸欠で視界は揺らぎ、震えを通り越して痙攣する足が遂に意図せず崩れ落ちる。


 空に浮かぶ月を霞む視界で眺めながら動ける程度まで体力が回復するのを待っているクロードの顔に一つの小さな影が覆い被さる。


「ほんとに居たんだ」


 声から判断するに恐らく女だろう。

 目だけを動かし、声の主を確認する。


 倒れたクロードを覗き込むように一人の魔物が立っていた。


「クロードってあなた?」

「……そうだ」

「そっか。 毎日毎日死にそうになりながら鍛えてる頭のおかしい人間ってあなたの事ね」


 人間という身分であるクロードは魔族からの嘲笑と侮蔑には慣れていた。


 しかし内容に反して彼女が発する声からはそのどれも感じられない。

 荒れた呼吸が僅かに整い、クロードが体を起こす。


「手、貸そうか」

「いらない」


 提案を無視しながらクロードが立ち上がると、月明かりに照らされた彼女の姿がハッキリと確認出来る。


 側頭部に沿うように伸びた角にクリーム色の髪、そして背中から伸びる蝙蝠のような翼を持つ彼女は蒼い眼でクロードを見つめていた。


「毎日こんな事やってるの?」

「ただのトレーニングだ、用がないならもう行くぞ」


「【無相の癒しクラナーレ】」


 身体を引き摺りながら背を向けたクロードに、少女が吐息を吹き掛けた。


 攻撃かと思い、後ろに飛び退いたクロードは気付く。

 つい先程限界を迎えた筈の体が自由に動くのだ。


「私、蠱惑隊のメルト。 少し話そうよ」

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