第14話 理性のタガ

「傷も癒えてきた事ですし、私もそろそろ発とうと思います」

「そうですか……本当に色々とお世話になりました、このご恩は忘れませぬ……」


 深夜の惨劇の翌日、戻ってきた水に喜ぶ村民たちを後目にクロードは出発の準備を進めていた。


「クロ様のお陰で全て元に戻りました、これでみなも安心して……」

「いえ、そうとは限りません」

「えっ……」


 同じ村の仲間を手に掛けてまで取り戻した生命線、全てが終わったと思っていたエルドはその言葉に脳内が真っ白になる。


「懺悔を経て呪いは解けましたが、また誰かが川の怒りを買えば水は汚れるでしょう」

「そ、そんな! 一体どうすれば……」

「難しい事ではありません。ただ無闇に生き物を傷つけなければ良いだけですよ」

「あぁ……それならば良かった。 村民達も呪いの恐ろしさは理解したはずです、きっと皆怒りに触れぬよう慎重に暮らすでしょう」


 想像していたよりも簡単な内容にエルドがほっと胸を撫で下ろす。


「この村で水の汚染は存亡に関わります故……」

「えぇ、『村を滅ぼそうとする人間』でも居ない限り大丈夫でしょう」

「はは、そのような者が居るはずございません」

「そうですか。では」

「はい、くれぐれもお気をつけください」


 エルドに別れを告げ、数日の間滞在した村を出る。

 既にクロードの『仕込み』は終了しており、後は仕上げの工程を残すのみ。


 村民達に見られないように村が見えなくなった辺りでクロードは水源へと歩みを向けた。


 …………

 ………

 ……

 …



 日が傾いて暫くした頃、クロードは水源に辿り着く。


「おー……これは……」


 水源を囲っていたのは無数のスライムの群れだった。

 総数は三倍ほどに膨れ上がっており、それぞれの個体も数日前に比べてふた周りほど大きくなっている。


「繁殖力が凄まじいとは聞いていたが、こんなに増えるのか」


 スライムは群れの頭数を増やすのに交尾を必要としない。十分な栄養を摂取し、ある程度の大きさに成長した個体は体内に二つ目の核を生成し、体を切り離すように分離させる。


 分離した断片は即座に自我を持ち、他の個体と同じように自己の肥大化と増殖の本能に従って生き始める……つまり安全に繁殖出来る場所であれば倍倍ゲームで数が増えていくことになるのだ。


 個体の弱さに油断して繁殖したスライムの巣に立ち入った腕利きの戦士が数の暴力に負けて更なる繁殖の糧になるというのは珍しい話では無い。


 これ程増殖していれば村の人間が水源を調べようとしても真実を持ち帰ることは出来ないだろう。


「これだけ居たら食い物も足りないだろ、食えよ」


 散乱した野生動物の骨の上に【喰らい放つ者ディヴァ・リスリア】で新たな餌を吐き出す。


 水源に来る途中で狩った猪や兎がドサドサと群れの中心に置かれると同時に無数のスライムがその身を捩らせて獲物にむしゃぶりつく。

 死肉にへばりついたスライム達がジワジワと肉を自身の肉体で溶かし、吸収していく内に薄黄色のゲルに包まれた猪の死体がゆっくりとその身を崩していく。


「しっかり食べろ。お前たちの仕事は食べて排泄する事だからな」


 減っていく肉と反比例するように膨らんでいくスライム達の身体からどろどろと濁った液体が流れていく。


 肥大するに伴って排出されるスライムの老廃物とでも言うべきそれは水源からこんこんと湧き出る清浄な水に溶け込み、その色を濁らせる。


 スライムの数が増え、そのサイズが上がるほどに当然排出される老廃物の量も増える。数時間ほど経つ頃にはすっかり川の水は濁りきっていた。

 その色は最初にエルドに見せられたような仄かな濁りではなく、しっかりと遠目でも確認出来るほど薄黄色に染まっている。


 魔力を主なエネルギー元にしないスライムのと言えども魔物の体液には人族にとって有害な濁った魔力が含まれている。


 最初期程度の濁りであれば口にしても調子を崩す程度で済んだのかもしれないが、これ程までに濁った水を口にすれば常人であれば最悪死に至るだろう。


 腐ったスライムの死骸をそのまま啜るようなものだといえば想像しやすいだろうか。


 夕日に照らされギラギラと輝く毒々しい黄色の川が下流へと流れていく。


「さて……何日持つかな」


 収まったはずの呪いの再発。占星術師の去った今、村の人々が取るであろう行動は二つ。


「呪いの存在に疑問を覚え、水源を調べる」か「先例に乗っ取り生贄を捧げる」。


 普通であれば前者の可能性が高いだろうが、クロードには確信にも近い予感があった。


「一度でも『殺人』という大きな心理的障害を超えてしまった人間は、簡単に理性のタガが外れるようになる」


 気が付くと辺りはすっかり暗くなっている。


 汚れた水源の頭上で、月だけが美しく光っていた。

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