第15話 疑心暗鬼

 占星術師クロが村を去った次の日だった。


 思い詰めたような顔をした村人がエルドの元を訪ねてきた時、彼の脳裏を嫌な予感が過ぎったが半ば無理矢理その考えを振り払う。


 呪いは終わったのだ。尊い犠牲を払い、川の怒りは鎮まった。

 村民達にもクロから命じられた「生き物を傷つけてはいけない」という決まりを厳しく通達した。 もう呪いに怯える必要は無いはずなのだ。


 しかし村民の伝えた残酷な真実は、エルドの祈りに近い考えを簡単に打ち砕く。


「川の水が……また濁りました……しかも、以前よりずっと濃く……」


 足の力が独りでに抜けていく。

 崩れ落ちたエルドを心配する村民の声も遠くに聞こえるのみ。


「何故……何故だ……」


 頼みの綱である占星術師はもう居ない。

 あれほど厳しく規律を伝えてもなお呪いがやって来る。何故、何故、何故。


 激しく点滅する思考の中、去り際にクロが残した言葉がエルドの脳内に響く。


『えぇ、『村を滅ぼそうとする人間』でも居ない限り大丈夫でしょう』


 視界が揺らめく。


「そうだ……そうに違いない」


 善良な村民であれば呪いの原因になるような事をするはずがない。ならば――


「この村に悪人が潜んでいる!! 意図的に呪いを引き起こし、我々を殺そうとしている者が!!」


 その一言を切っ掛けに村中で”裏切り者探し”が始まる。


「お前の家、ネズミが煩いって言ってたよな!! バレないと思って殺したんだろ!!」

「私見たわ! この人が道の蟻を踏み潰して歩いてるのを!!」

「こいつは昨日川で取れた魚を食べていました! こいつが犯人です!!」

「アナタ、家に獣肉の燻製を備蓄してるでしょう!! それが原因に決まってるわ!!」

「家畜を持っている奴は全員怪しい!! 念の為に全員殺すべきだ!!」


 罵倒、密告、言い掛かり。

 昨日まで仲睦まじく暮らしていた村民たちが保身の為に疑いあう。


 飛躍した論理すら受け入れられ、村のあちこちで殴り合いの喧嘩が始まる。


「エルド様、疑いのある者が多すぎます!」

「構わん!全員殺して川に捧げるのだ!!」


 もはや村の長に正常な判断力は残っていなかった。

 今の彼にあるのは裏切り者への煮え滾る憎悪のみである。


「疑わしきは殺せ」、大義を得た民衆は大軍となって哀れな被疑者に襲い掛かる。

 性別も年齢も関係無く、ただひたすらに疑いをかけられた人間を叩き、殴り、突く。


「我々の命を守る為に! 裏切り者を殺せ!!」


 エルド一人から生まれた憎悪と猜疑心は瞬く間に伝播し、お互いに増幅されてゆく。


 大きく歪んだ負のうねりが最高潮に達する頃には両手で数え切れないほどの裏切り者候補が”罰”を与えられていた。


「エルド様、準備が出来ました」

「うむ」


 粗末なずた袋に詰められた被害者達を引き摺りながら愚者の集団が川へと向かう。


 月に照らされ怪しく光る川の近くに袋を埋め、村人総出で頭を垂れる。


「不届き者に罰は与えました! どうか我らをお許しください!」


 血走った目でそう叫び、一心不乱に夜が明けるまで祈りを捧げる。


 日が昇り始める時刻、夜風に晒され骨の髄まで冷えきった身体も意に介さず、全村民はこれから自分達が目にする光景に思いを馳せていた。


 目を開ければ元通りの澄み渡った川があり、自分たちは喜びに打ち震えて隣人と抱擁するに違いない。

 そんな希望に溢れた光景を夢見ながら目を開ける。


「……え?」


 そこに広がっていたのは昨晩よりもずっと黄色く濁った川。

 もはや元は水だったことすら疑わしい程に変色しており、周囲には生理的嫌悪を催す据えた臭いが立ち込めていた。


 泣きだす者、嘔吐する者、放心する者……それぞれ悲痛な反応を返す村民達にエルドが怒号を浴びせる。


「まだ……まだ裏切り者がこの中に居る!!」


 呆然とする村民達に対してエルドが川を指す。


「見ろ!! これほどまで汚れた水を見た事があるか!? このような呪いを引き起こした大悪人が今も! 素知らぬ顔でこの中に居るのだ!!」


 生気を失っていた村民達の目に再び憎悪の炎が広がり始める。


「……そう言えばお前、いつかこの村を出たいとか言ってたよな? 反対されたからこんな事をしたんだろ!」

「確かアナタ、王国の方に知り合いが居たわよね? この村を滅ぼしてそっちに逃げる気でしょう!?」

「時々何処かに出掛けることがあったよな、この村以外の人間と密会してたんじゃないのか!?」

「金が無いって言ってたな、誰かからこの村を滅ぼせって依頼されたんじゃないのか!!」


 もはや「生き物を傷つけた」という疑惑すら必要ではなかった。


 隣人、知人の行動全てが疑念に変わり、お互いに理不尽な疑いを掛け合いながら傷つけあう。

 保身の為に他者を手に掛けた村民達に、殺人への抵抗など残っていなかった。

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