第9話 恐るべき目

「……気持ち悪い」


 ガタガタと絶えず揺さぶられる身体、圧迫感のある狭い室内、篭った空気。

 腹の底からせり上がってくる物を抑えながらクロードは窓の外を覗く。どんよりと曇った空が今にも泣き出しそうだった。


 遡ること約半日、伝令が戻るまで二日ほどクロードは関所に滞在していた。

 邪魔にならないように隅に座りながら魔物達の仕事ぶりを見ていた彼の耳が妙な音を捉える。

 硬い地面を重い何かが転がるような音、その方向へ目を向けると遠方に小さな影が見えた。


「馬車……?」


 10分程して関所の入口付近で馬車が停止する。漆黒の毛並みをした馬が二頭繋がれており、そのサイズはクロードが知っているものよりも二回りほど大きかった。


 御者台から下りた魔物が隊長に何かを伝え、了承したように頷いた隊長がクロードの方へとやってくる。


「軍団総指揮ニル様への謁見許可が下りた、馬車に乗れ」


 促されるままに馬車へと乗り込む。


 クロード自身、正直直接魔王に謁見出来るとは考えていなかった。むしろ門前払いをされた後にどうやって自分を売り込むかをこの二日間考えていたと言ってもいい。


(軍団総指揮……想像以上の大物じゃないか)


 しかし謁見が許されたのは恐らく魔王軍の中でもトップクラスの身分、これは僥倖だった。

 少なくともある程度話が通じそうな雰囲気を感じ取ったクロードは安堵の息を吐き、馬車が動き出した。


 これが半日前の出来事である。

 酔いを覚ますために窓から見える景色の出来るだけ遠くを眺めていると、目的地が目に入る。巨大な居住区域を抜け、巨大な門を抜けた先にそびえる城こそが勇者の旅の終着点でありクロードの旅の始発点――魔王城である。


 停止した馬車から降ろされ、命じられるまま城の中へと向かう。

 広大な魔王城は高い壁に囲まれ、支配者の居城であると共に要塞としての機能も有しているようだった。


「ニル様は応接間にいらっしゃる、くれぐれも御無礼のないようにしろ」


 巨大な門を潜り、絢爛豪華なエントランスを進み、警備兵であろう魔物達の鋭い視線を受けながら指示された応接間の扉を開く。


「来ましたね」


 そこに居たのは一人の女性だった。


 薄緑色の長髪、青白い肌を包む装飾の少ない黒色のドレス、そして何よりも目を引いたのは彼女の両眼を隠すように巻かれ、中央に紋様の描かれた黒い布。


 一見視覚を奪われているように見える彼女だが、布越しにクロードを見つめるその視線は彼が今までに経験したどれよりも鋭く、そして冷たく感じられた。


「私の名はニル、この魔王軍の総指揮を担当しています」

「クロードと申します。この度はお招き頂きありがとうございます」

「掛けなさい」


 拝謁姿勢を崩し、勧められた椅子へと腰掛ける。


「さて、貴方についてはある程度報告を受けています。魔族領地へ踏み入った目的は――」

「魔王軍へと入団する為です」

「我々魔族と貴方達人族は現在交戦中という事は知っていますね」

「勿論」

「何故人間である貴方が、人族の宿敵である魔王軍への入団を希望するのか……理由をお聞かせください」

「勇者を殺す為です」


 堂々とそう答えるクロードに対して、ニルが可笑しそうにクスリと笑う。


「なるほど、貴方と勇者の間には並々ならぬ因縁があるようですね」

「…………」

「確かに、魔王軍とって勇者の抹殺は重要な任務の一つ。しかし我々の最終目標は人族全領地の征服、そして支配体制の確立です。貴方はかつての同胞達を手に掛ける覚悟があると?」

「魔王軍の侵攻が進めばそれと同時に勇者達の信用も失墜していきます。それに……魔族領地へ踏み入った以上、今更同胞と呼ぶ事などあちらから願い下げでしょう」

「なるほど」


 納得したようにニルが頷く。

 それから何か質問をする訳でもなく、数分間静寂な時間が流れていく。


 窓の外から聞こえる微かな声や馬車の音だけが響く中、ニルが再び口を開く。


「人間であれば人族領地でも問題なく活動できる上、魔王軍の活動に対してのモチベーションも良し。我らとしては是非とも欲しい人材です」

「では……」

「しかし」


 ゆっくりとニルが椅子から立ち上がり、クロードの頬に触れた。

 ひんやりとした感触が伝わってくる。


「貴方は不思議な目をしていますね。とても暗く、静かに見えてもその奥底では強い意志と野心が輝いている」


 クロードの目の覗き込むようにニルが顔を寄せる。

 少し動けば唇が触れ合いそうな程に近く、冷たい肌と対照的に暖かい吐息が頬を撫でる。


「指導者が最も恐れる目です」


 魔王を除けば魔王軍の中で最高位に位置する彼女。目を隠す布のせいで細かな表情は分からないが、その顔をクロードは静かに見据えていた。


 お互いの目をじっと見つめ合うこと数秒、ニルの手がクロードの頬から離れる。


「貴方に一つ、テストを課しましょう」

「テスト?」

「これは貴方の能力を測り、貴方の覚悟を確かめるテスト。合格出来たなら貴方を魔王軍に迎え入れましょう」

「……何をすれば?」


 ニルが折り畳まれた一枚の紙を取り出す。


 広げてみるとそれは簡素な地図だった。

 関所と霊峰を抜けて人族領地を少し進んだ辺りに印がつけてある。


「その場所に一つ、人間の暮らす小さな集落があります」

(ここは……)


 記されていた場所はクロードの故郷からそう離れていない村だった。

 故郷と同じくそれ程豊かではないが、人々がお互いに支え合って生きる……クロードの故郷とも交流があった村。


「その集落を滅ぼしてきて下さい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る