逆
徒花 繭
第1話
退屈だって?そんなこと言って、君の手元にあるその自習課題は終わったのかい?まあ、確かに自習の時間ほど楽しくて退屈な時間はないかもしれないね。それじゃあ少し、僕の話を聞いてくれよ。そんな長い話じゃない。変な話ではあるけどね。ついこの前の、僕の体験談だよ。きっと退屈しのぎぐらいにはなるさ。
先週の火曜日、放課後どうしても終わらせなければならないことがあって、遅くまで教室に残っていたんだ。まあ、学校じゃなくてもできることだけれど、学校ってなんだか家よりも集中して色々なことに取り組めるだろう?あぁ、そうそう、あの日だ。そう言えば君も遅くまで残っていたね。あの日、全員が教室を出たときにはもう暗くなっていただろ。夕方の六時半とはいえ、十月も暮れに入ると日の入りが早いよね。その帰り道、僕は一人で歩いて家へ向かっていたんだ。迎えを呼ぶ選択肢もあるはずなんだけど、僕の親は自営業をやっているからいつも遅くまで仕事しているんだよ。歩いて帰るしかなかったんだ。
それでさ、僕の家は学校からそこそこ遠くて、歩くと一時間近くかかるんだよ。学校を出た時点で日は地平線に隠れて、残っていた光だってもうそろそろそれを絶とうとしていたのに、それから一時間後なんて真っ暗に決まっていた。それでも学校の近くは郵便局や弁当屋、レンタルビデオ店やファストフード店だってあるから、それなりに明るかったな。帰宅ラッシュの車だって沢山いるからね。だから僕が心配していたのはそうじゃなくて、家の近くの、とある道のことと、僕が住む地域の夜の暗さだった。いくら学校周りは明るいからって、僕の家の周りはそうじゃないからさ。市内ではあれど、大きなお店もなければ車通りも多いわけじゃないんだ。そしてさっき「とある道」と言った道の途中には墓地があって、その道はより一層真っ暗だということが僕の頭をさらに悩ませた。それでも家に帰るためには、その道を通らなければいけない。長い道のりを歩いている間、うっかり死んじゃったりしないようにいろいろ考えながら歩いたよ。まあ死ぬなんてのは大袈裟だけど、ベタにおばけが出てきたり、知らないうちに取り憑かれて呪い殺されたり、そういうファンタジーで塗り固められたようなこと。もしくは、刃物を持った変なおじさんにストーキングされたり、ストーキングなんてもの飛び越えていきなり刺されて通り魔の被害者として報道されたり、なんて言った「おばけより生身の人間の方がよっぽど怖い」みたいな話とかね。まあ何かあったらあったで、こうやって話のネタにでもすればいいと思っていたのも事実。おばけはともかく、通り魔にあって殺されたりなんかしたら話すことすらできないのだから、今考えると呑気なものだね。そういうことばかり考えて歩いていたら、周囲はだんだん自分の見慣れた景色になっていた。やっぱり見知った景色が見えると安心するよね。でもまだ、問題の道は通っていないから、僕の気は張ったままだった。この辺りで一番明るい存在であるコンビニを過ぎると、いよいよその道に入るんだ。僕は一度歩くスピードを落として、下げ気味だった視線を上げて、まるでヒーロー物語の主人公みたいにこれから自分が行く道を見た。もう、真っ暗だったよ。これを濡れ羽色というのだろうかと思った。本当に、濡れたカラスの羽のような色だった。これがよりにもよって上り坂でね。下りだろうと上りだろうと、真っ暗な空間へと導くのが坂道であるのは、まるで違う世界へと誘われているようで底気味悪い。それでもまあ通るしかないから、持っていた携帯のライトを足元用につけて、ゆっくりと地面を蹴った。山場はふたつあって、ひとつめはこの辺りで有名な廃屋。僕がその廃屋の存在を知ったのは小学校三年生くらいだけれど、その頃には既に木々で覆われて、雑草だって生えっぱなし。それからもう六、七年経った今でも誰も手を加えなんかしないから、昼間だとしても一人で前を通るのを躊躇うぐらいには不気味なんだ。
意を決して歩き始めたのはいいんだけど、廃屋までの道ですら、クモの巣だったりクモ自体がいたりする。それもかなりでかいから参っちゃうよね。たった数十メートルが数キロメートルに感じたけど、無事廃屋の前を通り過ぎた。視線はずっと斜め下を向いたままだったよ。怖いからね。ふたつめの山場は墓地なわけだけど、廃屋から墓地までの道で視界の端に見えた白い影は無視したよ、あはは。人の形をしていた気がするなあ、なんてね。ええ、嘘つきだなんて酷いな、嘘とは言ってないよ。
まあまあ、聞いて。結論を言うと、墓地もさっきと同じように無事通り過ぎた。それからもう少しだけ歩くと家なんだけど、二つの大きな山場をくぐり抜けた僕は安心して歩いていたんだよ。その時だったかな、右足首がひんやりしたんだ。油断していたからびっくりしたけど、それでも妙に頭は冷静で、立ち止まることも振り返ることもなくそのまま家までの道を歩いた。こういう道って振り返ったら終わりな気がするよね。そんなこんなで家の敷地内まであと十歩ってところで、僕とは反対方向に、ヨボヨボのおじいさんが歩いてきていることに気がついたんだ。お年寄りがこの暗さで外に出ているのが最初は単に心配だったんだけど、僕がそのおじいさんの視界に入るところまでくるとおじいさんの様子はガラリと変わった。背を曲げてよたよたと歩いていたはずのおじいさんが、一瞬の内に暗闇の中で背筋を伸ばしてしっかりと立っていたんだ。いわゆる仁王立ちってやつかな。先程のこともあって怖さに反応しやすくなっていたから、悪寒が走ったよ。おじいさんが敷地の入口で立っていたもんだから横を通るしかなくて、絶対に見ないようにして横を通り過ぎた。当たり前かもしれないけれど、特に襲ってくることもなかった。おじいさんを通り過ぎたあと少しだけ早歩きして、もうほんの少ししかない家までの距離を歩いた。途中で口笛が聞こえたのだけれど、アパートだからきっとどこかの部屋で誰かが吹いたんだろうね。もう、そう信じるしかないだろう?階段まで来ればもう明るいけど、階段って少し怖い。それに僕の部屋は四〇九号室だからさ、少し縁起が悪いだろ。四と九って。「死」「苦」だもんね。何が言いたいかって、つまりは家に入るまで油断出来ないってことだよ。それでも明るいだけさっきよりマシだから、相も変わらず斜め下だけを向いて階段を上った。そして無事家に辿り着いたんだ。結局なんにもないじゃないかって言うかもしれないけど、ここからが面白いんだ。聞いてよ。
家に帰ってすぐ、通学路で急にひんやりした右足首のことを思い出したんだ。不思議と怖くはなくて、すぐに確認した。そしたらね、内出血したときみたいな暗い紫色で、人の手の「甲」の痕があった。実際に見てみないと手のひらと甲の違いなんてわからないのではないかと思うけど、あれは絶対「甲」だったよ。それを見てなお、僕は冷静に「ベタだなあ」なんて考えていたんだけど、なんで手のひらじゃなくて手の甲なのかが気になった。そこで思い出したんだけどさ、死人は生きている人間とは全てが「逆」だってよく聞くよね。車を止めるために手を裏表逆にして挙げるだとか、手の甲で拍手するだとか。これは本人がやってることじゃないけど、葬儀のときに着せる死装束だって左前だよね。あ、それじゃあ呪い殺される人っていうのはだんだんと死んでいくわけだけど、どういう感覚なんだろうね。自分の記憶がだんだん逆になっていくとか?例えば男の人が自分を女だと思ったりするのだろうか。お父さんのことをお母さんと呼んだりするのかな。ああ、話が脱線しちゃった。
まあ、ついちゃった痕は消しようがないから放置したよ。居間に行くと親はまだ帰っていなくて、小学生の妹が一人で留守番していた。小学生だけど、もう高学年だから暗くても一人でぐらい待てるからね。でも一人で夕食を作ることはまだ難しいから、お腹を空かせていた。僕もお腹が空いていたから、帰ってきてすぐ夕食を作って2人で食べたよ。それでね、妹の分が先に出来上がったから、ちゃぶ台の前に座っていた妹に出してあげた。そしたら妹はね、元気にいただきますと言ったんだ。
手の「甲」同士を合わせて。
どうだった?まあまあ肝が冷えただろう。ほら終業のチャイムだ。ちょうどいい。え、「君の親は介護施設で介護士やってるから自営業じゃないはず」って、ううん、そうだったかなあ。自営業だと思っていたんだけど。自分の親の仕事を間違えるだろうか。「妹もいたのか」だって?妹も、って言うけど僕には妹しかいないよ。弟だったはず?やだなあ、冗談やめてよ。妹だってば。だってさ、君が言っていることが本当なら、僕の言っていることは全て「逆」になっちゃうじゃないか。
逆 徒花 繭 @amabane___
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