エピソードTHIRTEEN
「ねえ待って!あんた、私の簪を見なかったかい」
「ふっ。何それw知らないよ」
「嘘おっしゃい!!!」
" 紅月の花園で "の収録現場。私は棗さんと一緒に名コンビの役をやらせていただいている。
今日の分の収録が終わって、私は棗さんに会釈した。
「ふふwいい演技だね。イトナちゃん・・・だっけ」
棗さんは、私の顔を覗き込んだ。
「はい。棗さんの事は知っております。よく耳にする声優さんですので」
ほほぉというような顔をして、私を眺めている。
棗さんは本当にすごい人なのだ。中学生で芸能界入りしたが、後に2年ほど活動を休止。復活した頃には、ファンが増えていた。活動をしていなかったにもかかわらず、棗さんの人気は上がっていくばかり。この声に魅了される人は少なくないのだ。
「" 優しさのかくれんぼ "を見た時から、誰だろうって探して見つけたのがイトナちゃんだった。その記事には女性って書いてあるんだけど、どう考えても声が男だから、どんな子かめっちゃ気になってねwで、実際に会ったらびっくりしたよ。こんな女の子がねえ・・・」
棗さんの瞳には私が映っている。
「高校生だっけ。じゃあ、俺と同じくらいかな」
同じくらい・・・同じ・・・え!?
私が、棗さんを2度見するとくすくすと笑った。
「そうw俺、高校生wあれ、言ってなかったっけ」
初耳だ。確かに、若いというのは声優業界にいる人なら誰もが知っている情報だが、年齢がここまで近いとは思わなかった。
「ごめんごめんwそういえば言ってなかったw」
私は不思議に思った。何故この人は、こんなにも笑っていられるのだろうか。私は笑うことが出来る以前に、人と話すことが出来ないのに・・・。
「・・・俺さ、声優やめようと思ってるんだ」
「へ・・・」
さっきまで笑っていたはずの棗さんは、下を向いた。辞める?声優を?
「声優始めたのは、ただ楽しい事がしたかっただけだから、未練も何もない」
棗さんは顔を私に向けた。
「第一、こうやってイケボで可愛い女の子が後輩になったんだから、俺がいなくたって声優界は成り立つしね」
棗さんは少しだけ悲しそうな顔をした。
「ちょうどこの作品が完成したら、引退発表するつもり。だから、最後は思いっきり楽しみたいんだ・・・イトナちゃん」
棗さんの声は、いつもと変わらず優しい。
「俺がいなくなったら、みんなの事頼んだよ」
その言葉にはとてつもないくらいの感情が込められているような気がした。
悲しみ、惜しみ、苦しみ、感謝、励み・・・数え切れないほどの気持ちが載せられていた言葉だった。
「あ、ごめんごめんw暗い話になっちゃったねw今作もよろしくねイトナちゃん!」
ふと我に帰ったかのように、私に笑顔を向けた。
私はどうすれば良いのかわからず、その場を去っていく棗さんの背中を、ただ眺めることしか出来なかった。
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