第10話
人には他人から言われたくないことが、きっといくつもあると思う。
どんなに親しい間柄であろうと、軽々しく他人に秘密を漏れされて、いい気がするはずもない。
僕にとっては陽葵への想いがそれだ。
陽葵に対して僕が抱いている感情は、ひどく複雑でデリケートなものだ。
誰にも触れて欲しくなかった部分であり、彼女を守りたいと誓ったあの時の気持ちは、確かに僕を苦しめている。
だけど同時に、あの時抱いた純粋な想いも、僕はずっと忘れることはないだろう。
絶対に手放せない願いの記憶。それはある意味で僕の根幹をなす、幾多もの殻に覆われた心の根だ。
そこに僕の母は土足で踏み入った。僕の誓いを、彼女へ告げた。
陽葵への好意を口にされるだけでも腹が立つというのに、よりにもよって本人にそれを言うのか。
悪気がなかろうと、到底許されることじゃない。
だからこれ以上くだらない会話をさせないために、ふたりの間に割り込んだとしても、落ち度なんてないはずだ。
僕は無言で陽葵へと近づくと、強引に彼女の手を取った。
「……もう時間だから。行こう、陽葵」
それだけを告げて、僕は歩き出す。母さんと陽葵を一刻も早く引き剥がしたかったのだ。この場に一秒でもいたくなかったし、いさせたくなかった。
「あ…う、うん。おばさま、行ってきます」
陽葵は戸惑いながらも歩いてくれる。
ありがたい。今すぐここから離れられる。
そう安堵したのも束の間、背後から母親の声が聞こえた。
「あらあら。ふふ、いってらっしゃい。まったく武尊ったら、恥ずかしがり屋なのは変わらないわね」
「……いってきます」
手短かに返事だけを返した。これ以上喋りたくなかったからだ。
その声からは僕に対する悪意など、微塵も感じることはできない。
まるで小さな子供を見守るような、柔らかい口調だった。
―――だからこそ、許せない
母親を背にしながら、僕らは歩道に向かって進んでいく。
悪びれもせずに微笑む親の顔なんて見たくもなかった。頼むから死んでくれとすら思う。
当分母親とまともに会話することは、きっとできないだろう。
僕の憤りを察したのか、陽葵も何も言わずに着いてきてくれることだけが唯一の救いだ。
だけど、これから彼女といったいどんな接し方をすればいいのか、分からなくなったのは覆しようのない事実でもある。
そういう意味では、僕は対応を間違えた。陽葵との今後も変わらぬ関係を続けたいと思っていたなら、ふたりの会話に気付かないふりをして、素知らぬ顔で陽葵を呼べば良かったんだ。
話が長い、學校に遅れるよと一声かけていれば、きっと今頃は何事もなかったかのように家を出れていたはずだった。
だけど、実際に取った僕の行動はどうだ。
あれでは陽葵に対し、なにか思うところがあると言っているようなもの。
話を全部聞いていて、恥ずかしくなったから強引に切り上げさせたと、きっと多くの人はそう捉えることだろう。
あれじゃあ確かに母親だって笑うに決まってる。僕が取った行動は、あまりに幼稚すぎた。
我慢が効かなかった。感情で動きすぎた。
それを改めて自覚するけど、後悔するには遅すぎた。時計の針はもう、戻らない。
(くそっ…!)
せめて陽葵が鈍い子であれば良かったけれど、これまた最悪はことに、手を取る瞬間頬を赤らめていた彼女の顔を、僕は見てしまっていた。
最後の救いも絶たれたわけだ。僕たちの関係は、何らかの変化が起こらざるを得ない事態に直面している。
―――こんなはずじゃ、なかったのに
どうして世の中ってやつは、いつも思い通りにいってくれないんだろう。
もう少しだけ僕をマシに生んでくれていれば、こんな気持ちを抱くこともなかったはずなのに。
「……ねぇ、タケルちゃん。その、ね…」
ああ、今もそうだ。本当に、人生ってやつはままならないものらしい。
「その、今聞いちゃいけないのはわかってるんだけど、どうしても知りたくて……あの、おばさまが言っていたことって、本当なのかな?」
誰も彼もが僕の心へと、好き勝手に土足で踏み入ってくるのだから。
―――それが昔からずっと好きだった想い人というのが、なんとも救われない話だった
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