第9話
「陽葵ちゃん、いつもありがとね。うちの武尊と仲良くしてくれて」
「いえ、私こそタケルちゃんには普段お世話になっていますから」
「ほんと?あの子ってあまり学校でのこと話さないから、ちょっと心配なのよねぇ。でも陽葵ちゃんが一緒だから安心できるのよ。本当に助かるわ」
弾むようなふたりの声が耳に届く。朝から姦しいことだ。
女の人は話し好きというのは知っていたけど、いくつになっても他人の話題が好きなのはどうやら変わらないらしい。
少し、いや実際はかなりうんざりにしながら、僕は母親と幼馴染が、朝から玄関先の井戸端会議で盛り上がっている姿を冷めた目で見つめていた。
「僕の話なんかでなにがそんなに楽しいんだか」
思わずそうひとりごちる。自分のことを話題の肴にされて、面白いはずもない。
朝方待ち構えていた陽葵からの登校の誘いを断り切れず、結局一緒に行くことになったあたりからケチがついた。
家に一度戻って朝食を取ったところで鳴り響いた玄関のチャイムの音に反応した母親が対応にでた結果がこれである。
久しぶりの陽葵の訪問に浮き足だっているのが手に取るようにわかったが、母親の喜びようは息子としては複雑だった。
(昔から母さんは陽葵に甘かったしな)
まああれだけ出来のいい子なら当然か。それこそ小さな頃は僕より陽葵を可愛がっていたのではないだろうか。
そんなわけで、やめてくれと話に割り込んだところで、どうせロクなことにはならないだろう。
親なんていうのはこういう時、子供の気持ちを考慮してくれない生き物である。
下手に会話に加わったらやぶから蛇が出てきかねないだろう。触らぬ神に祟りなしというやつである。
そう判断した僕は会話に混ざることなく家を出て、二人の死角になっている少し離れた塀に寄りかかりながら、さっさと終わらないかと待ち続けているところだ。
「あはは…でも本当にタケルちゃんは頑張ってますよ。悪い評判もまったく聞きませんし。むしろちょっと女子の間では話題になることもあって…」
「え!ほんと!?あとで詳しく聞かせて頂戴!あの子がそんなねぇ…」
ふたりからはなにも言われず、陽葵も追いかけてこないことを見るに、僕がひとりで学校に向かうことはないと思われているのだろう。信頼されているようでなによりだ。
ならさっさと会話を切り上げて欲しいのだけど、まだ時間にだいぶ余裕があることから、まだ話は続くらしい。さすがにいい加減うんざりしてきたのだけど、止めるつもりはなかった。
「ええ、本当に…見てる人はちゃんと見てるのかなって」
「あの子がねぇ…嬉しいけど、ちょっと寂しい気もするわ。もちろん女の子を連れてくるようなことがあれば嬉しいけど…」
なにやら母親のため息が聞こえるが、ため息をつきたいのはこっちのほうだ。
聞きたくないことを耳にしなければならないこちらの身にもなって欲しい。
「めんどくさ…」
腕を組みながら、トントンと軽く二の腕を指先で叩いていく。
親の口から聞かされる恋愛事情というのは、どうしてこうも居た堪れなくなるのだろう。
気恥しさを誤魔化すために、僕は少し叩くリズムを上げた。
「そう、ですね…」
トントントンと音を刻む。早く終われと願いながら。陽葵のトーンが少し沈んだことには気付かずに。
「でもね、陽葵ちゃん。私としてはその相手が、貴女だったら嬉しいなって思ってるの」
だけどその会話が耳に入ってきたとき、僕は思わず指を止めてしまった。
「え…」
陽葵の漏らした息を呑む声が耳に届く。
図らずもまったく同じことを、僕もこのとき口にしていた。
「それって…」
「ここだけの話なんだけどね。あの子、陽葵ちゃんのためにずっと頑張ってるのよ。昔ね、あの子が陽葵ちゃんとずっと一緒にいるにはどうすればいいかって相談されたことがあって…」
――おい、やめろ
途端、壁から身を剥がし、僕は駆け出そうとした。母の言葉を止めるためだ。
だけど間に合わなかった。話に混ざりたくなかったために距離を取っていたことが、僕にとって最悪の結果をもたらすことになるなんて、夢にも思っていなかったから。
「だからね、武尊はきっと今でも、陽葵ちゃんのことが好きなのよ」
たとえ自身を縛る呪いのきっかけになったとしても、恨むことなく慕っていたのに。
このとき、僕は生まれて始めて、母を憎んだ。
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