第4話

「……なに、陽葵?」




その時の僕は、少し不機嫌だったと思う。


疲れと苛立ちが抜けきらないなかで強引に止められたのだから当然ではあるのだけど、対応としては間違いなく失敗だ。しまったと気付いたときには遅かった。




「あ、ごめんね。その、まだ話したいことがあったから…」




陽葵は刺が残る僕の言葉に一瞬動きを止めると、申し訳なさそうに僕を見上げた。


僕は陽葵より少し背が高いから、並ぶと彼女は自然と上目遣いになる。


宝石のように大きな瞳と長いまつ毛が震えているのを見て、可愛いと思うより、申し訳なさが先に立った。




「そうなんだ。そんな掴まなくても、ちゃんと聞くよ。なに?」




さり気なく掴まれた手を解きながら僕は聞く。


「ぁっ」という小さな呟きが聞こえたけど、それは無視した。




「え、っと。そのね?私も一緒に図書室に行っていいかな?」




「…………なんで?」




冷たく返さないよう努めていたつもりだけど、それでも返答には時間がかかってしまったと思う。




「あ、その、ね」




そんな僕に、陽葵は気付かない。気付いて欲しくなかったから、それで良かった。




「勉強、するんでしょ?なら、私も一緒にしようかなって。分からないところがあったら、私が教えてあげるから。な、なんなら私の家でもいいし…どう、かな?」




ね?と可愛らしく首を傾ける陽葵。だけどその仕草が、僕の苛立ちを加速させた。


頼りになる姿を見せたかったのは僕のほうだ。


陽葵に頼りたかったわけじゃない。僕を頼って欲しかった。


だけど僕はこれまで一度として、彼女に頼られたことはない。


大事なことは、いつも陽葵ひとりで解決してしまうから。




―――それは僕がやりたかったことなのに




理想だけは高いくせに、肝心なときはなんの役にも立たない自分。


そんなのは僕が望んだ姿じゃないんだ。僕はもっと、僕は本当は…




(クソッ…!)




考えるな。そんなこと。


ここはどこだ。今目の前にいるのは誰だ。


それをしっかり思い出せ。落ち込むなんて、後でいくらでもすればいい。


だから、今は。




「……ごめん。ひとりで勉強したほうが集中できるんだ。また今度でいいかな」




陽葵の提案を断った。


情けない現実の自分を、噛み締めるように。




「ぇ…そ、そう?本当に大丈夫?その、私は…」




「大丈夫だから…」




これ以上話を長引かせたくはなかった。


黒い感情が、今にも溢れ出しそうになっている。


それをこんな場所で、よりにもよって陽葵の前でぶちまけるなんて、出来るはずがない。




なけなしのプライドを振り絞って歯を食いしばると、陽葵の前を横切り教室のドアへと早足で歩いていく。


幸いなことに、陽葵はそれ以上追いかけてくることはなかった。


そのことに少しだけ安堵しながら、僕はドアをくぐり抜ける。




(良かった…)




なんとか切り抜けれたと、気を抜いたのがいけなかったのかもしれない。


そのまま廊下へと出ればいいのに、少しだけ振り返ってしまったのは、きっと心のどこかに彼女に対する罪悪感があったからだろう。


どうせ振り切ったなら、そのまま進んでいれば良かったのだ。


嫉妬だけは一人前にするくせに、中途半端に偽善ぶる。


どこまで僕ってやつは曖昧なんだろう。だから僕は、ああなることはできないんだ。




「本当に、人気者だな…」




自嘲の念を込めて呟いた先で見たのは、肩を落としているらしい陽葵と、彼女に近づく教室に残っている多くのクラスメイト達。


ああして多くの人から心配されるだけの人望を彼女は勝ち取っている。


陽葵のクラスでの立ち位置は、それこそ中心人物だ。


いつだって誰かしらが彼女のそばにいつもいるし、皆が陽葵を目で追っている。


まるで手の届くことのない、憧れの存在を見るみたいに。




「なんで陽葵がそうだったんだろう…」




陽葵がもっと普通の子だったら、きっと僕はこれほど苦しむことはなかった。


僕がなりたかったのは、今の陽葵だ。


だけど現実はこうしてひとり、ドアの外で教室の様子を気にする、どこにでもいる小心者。




なりたいと思っていた理想の自分と今の僕とは、あまりにかけ離れすぎてしまっている。


そのギャップに苦しめられているけれど、それをどう打開すればいいのか見当もつかないでいる。




どれだけ努力しても、それを満たす人の器には限界がある。


諦めなければ夢は叶うなんていうのは、嘘っぱちの戯言だ。


ひと握りの声が大きい成功者が、自分を肯定するためだけにほざいてる。


そうなれなかったものの声なんて、誰も耳を傾けやしないんだ。


この悩みを解決なんてできない。僕は強くなんてなれなかった。




「ちくしょう…」




俯きながら吐き捨てるように呟いて、僕は足を図書室へと向ける。




その日は結局、勉強にもろくに集中出来なかった。


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