第3話
褒められたはずなのに、今の気分は最悪だった。
陽葵に悪気なんてなく、ただ純粋な気持ちで僕を褒めてくれたのだろう。
長い付き合いだ。つまらない嘘なんてつく性格じゃないことも、僕にはちゃんとわかってるんだ。
そのはずなのに、わかっているはずなのに。
なんでこんなことを思ってしまうんだろう。
なんで言葉通りに受け取らず、こんなねじ曲がった受け取り方しかできないんだ。
これだから、僕は僕が嫌いなんだ。
自分のあまりのどうしようもなさに、苛立ちさえ覚えてしまう。
だけど、そんな醜い自分を陽葵に見せるわけにはいかない。
陽葵はなにも悪くないんだ。こんなのはただの逆ギレ。意味不明の逆恨みだ。
だから腹の内から湧き上がってきた汚濁の感情。その全てを呑み込んで、僕は強引に陽葵へと笑いかけた。
「……そんなことは、ないよ。ただ要領が悪いから、そうしないとついていけないってだけだから」
嘘つきは僕のほうだと、そう思いながら。
「ううん…努力を続けられるってすごいことだもん。私、タケルちゃんのそういうところ、好きだな」
少しはにかみながらそんなことを言う陽葵。
それこそクラスの男子連中なら、彼女にこんなことを言われたなら、勘違いしてしまってもおかしくはないだろう。
綺麗な長い黒髪に整った美貌。だというのに着飾ることなく、屈託のない綺麗な笑顔を見せてくれる優しい性格。
今も昔も、彼女は学校の人気者。僕と陽葵には、学校という空間において、目には見えない天と地ほどの差があった。
多くの男子からもよく告白されていると聞く。それなのに未だ誰とも付き合わず、こうしてよく帰りに誘われているのは、僕を異性として認識していないのではないかと、つい勘ぐってしまうほどだ。
こうしてかけられる言葉の優しさも、幼馴染としての親愛からなるものだとしても、未だ心に残る恋慕の情は、好きという言葉に反応を示してしまう。
「えっと、ありがとう…」
あっという間に顔は赤く染まり、陽葵を見ていられなくなり、目を背けた。
そうすると、その先にいる数名の女子が、こちらを見て笑っているのを見てしまう。
クスクスと。クスクスと。彼女達は楽しそうに笑っていた。
それを見て熱くなりかけていた頭が急速に冷めていくのを感じたのは、いいことかそうでないのかは、僕にはわからない。
ただ、心のどこかで叫び声だけが聞こえてくる。
―――やめろ、そんな目で見るな。僕と陽葵は、そんなんじゃない。
―――わかってるんだよ。成績も運動も普通程度の僕じゃ、陽葵には釣り合わないっていうんだろ
―――その通りだ。だって僕は弱いんだから。そんな僕が、陽葵と一緒にいられるわけがない
やがてそれは囁きに変わり、暗く澱んだ色を帯びていく。
まるで地の底から這い出てくるようなうすら寒さを感じるそれは、最後に言い聞かせるようにこう言うのだ。
―――なぁ、それくらい、よぉくわかってるだろ?僕・は・さ・
「わかってるよ…」
誰にも聞こえない声に、僕は答えた。
自分からの警告。心の底に刻まれた呪縛は、今でもこうしてことあるごとに顔を出す。
なんとも有難いことだ。誰もいない場所だったら、舌打ちのひとつでもしてやりたかった。
まったくもってお節介にもほどがある。今の僕はちゃんと己ってやつが分かっているのに、どこまでも子供扱いしてくるのだから。
成長してもこの調子だ。いつまでも消えてくれないこの声は、きっとこれから先もずっと僕だけに聞こえ続けるのだろう。
―――それこそ、陽葵の前からいなくなるそのときまで、ずっと
「なにか言った?タケルちゃん」
「いや、なんでもないよ。それより、そういうわけだから、僕はもう行くね」
不思議そうな顔をする陽葵に愛想笑いを浮かべると、僕はカバンを手に取り立ち上がった。
ここにいたくなかった。未だに教室の視線は僕らへと注がれているし、いつまたあの声が聞こえてくるとも限らない。
あの声は、聞いていて疲れる。
僕は心が抉られていくのを心地よく感じるような被虐趣味の持ち主じゃない。
メンタルはもうとっくに弱りきり、擦り切れ始めているのが分かっていた。
すぐにマイナスの方向に考えが振り切れるのがその証拠だ。
とにかく今は一刻も早く、陽葵から離れようと足を一歩踏み出して―――
「あ、待って!タケルちゃん!」
―――すぐに陽葵に手を掴まれた。
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