第二章⑨
――かわいい名前ね。
初めて会った時、マローネにそう言ってくれたのは他でもない、目の前にいる人だ。サフィニアの方から、ふたりだけの思い出を話してくれたのだ。
「サフィニア様、やっぱり、わたしのことを覚えていて下さったのですか?」
再会して半月が
「泣き虫おちびさんが、ずいぶんと強くなったと思ったのに……今度は泣きそうな顔をして……本当に、よく分からない方ですね、あなたは」
サフィニアが穏やかな表情を浮かべる。淡々としていた口調も、ひどく優しい声音に変わっていて、マローネはたまらない気持ちになった。
「だって、嬉しくて……! でも、強くなったんだから、もう泣きません……!」
「――知らないふりを続けたことを、怒らないのですか?」
「そんなことはいいのです! なにか、ご事情があったのでしょう?」 これまでのサフィニアの態度は、全て自分を遠ざけるためだったとすでにマローネも理解している。その上で、マローネは言うのだ。
「安心して下さい。強くなって会いに来ましたから!」
「あなたはあの時も、そう言ってくれましたね。……マローネ」
別れの日のことを思い出すように目を細めたサフィニアに、静かに名前を呼ばれた。
「あなたにもう一度会うことができて、嬉しかったですよ」
「わたしもです!」
「でも、どうか無茶はしないで下さい」
サフィニアの視線は、マローネの左頰に注がれている。
「私を守ると、あなたは言う。その
きゅっと
「恐ろしい、ですか?」
「五年前、どうして私だけが生き残ったと思います? ……守られたから、ですよ」
「え? 事故から……?」
「――
「ぞっ……!? 五年前に賊なんて、そんな話……」
マローネが絶句すると、サフィニアは寂しそうに笑う。
「五年前、母は私たちを庇って殺され――弟も、私を守ろうと賊の前に立ち
続けて語られたのは、当時事故と公表されていた内容とは違う状況だった。
「その
「
「そんな……!」
だとすれば、サフィニアがこうして人との関わりを避けている理由は、家族の死から立ち直れないからだけではないだろう。今も命を
「あなたも、ふたりと同じ道を
「わたしは、そんなつもりでは!」
「聞いて下さい、マローネ。あなたは、私にとって幸せだった頃の
サフィニアが苦く呟く。
表に出せない優しさ。それが、
「わたしはもう
マローネの言葉に、サフィニアが眉尻を下げる。
「あなたが言う恩人は、思い出として美化されたサフィでしょう。……私は、違います。 隠れて過ごしている
サフィニアは、優しすぎるのだ。
自分を悪者にしてまでも、かつての友人の身を案じてくれている。
「サフィニア様は、変わっていません。幼い頃と優しさの表し方が違うだけです! だからこそ余計に、今の優しすぎるサフィニア様が心配です。優しすぎて、ご自分を全然守ろうとなさらないから、わたしがそばでお守りしたいと思うのです!」
マローネの断言に、サフィニアはため息をつくと苦笑した。
「なんて
「嫌いになるなんて、ありえません! わたしは、ずっとずっとサーちゃんを思ってきたのです! これから先だって、ずーっと大好きに決まってます!」
力説するマローネに、サフィニアは目を
「……なんだか、
「くどっ!? 申し訳ありません、ご不快でしたか!? 決してそのようなつもりでは!」
慌てるマローネがおかしかったのか、サフィニアが微笑む。
「違うんですか? ……残念」
「え……?」
今度は、マローネが目をぱちくりする番だった。しかし、サフィニアはなにかを誤魔化すように続けた。
「
「ご安心下さい、サフィニア様! 小さかろうと、しっかり
「――は? ……っ、ばっ……!」
マローネは主の不安を
「どうして
「え? 論より
「だからって……! あなたには、女性としての
伸びてきた手が、たくし上げていた衣服を強引に下げる。
そして、くっきりと眉間にしわを寄せた顔が、すぐ近くに迫っていた。 「サフィニア様、もしかして怒っているのですか?」
「当たり前でしょう! 他人の前で、女性がみだりに
「え? 騎士団ではみんなやっていることですよ?」
「……はぁ?」
騎士団あるあるだと言った途端、サフィニアの目が
「今後は禁じます。断固として許可できません」
「でも、ごく普通の……」
怒っていても綺麗な顔が、至近距離で悲しげなものに変わる。
「私のお願いよりも、大事なことなのですか?」
「分かりました、やめます! 二度と腹筋は見せません!」
即刻降参すると、サフィニアは満足そうに頷いて離れた。でも、とマローネの口から言い訳がこぼれる。
「本当によくあることなんですよ? 女同士、
「――女同士? そ、それならそうと、早く言って下さい。いらぬ心配をしました」
「どんな心配ですか?」
サフィニアは再び赤くなると、気まずそうに目をそらした。
「……絶対に、言いたくありません」
「そ、そうですか。分かりました、無理に聞きません。ですが、わたしが
「え? ええ、それは……」
「ありがとうございます! では、わたしの剣を受け取っていただけたりは……!?」
すると、サフィニアは「ああ……」と思い出したように呟いた。
「そういえば、試用期間は半月でしたね。……私が許可しなければどうするのです?」
「いずれにせよ、わたしの気持ちは変わりませんので……サフィニア様に認めていただけるまで、諦めないつもりです」
だけど、もう自分の気持ちだけを押しつけたりしませんと、マローネは小さく付け加えた。サフィニアがクスッと笑い声をこぼす。
「自覚があったのですか」
「……
「ええ、本当に。――ですから、あなたを正式な護衛騎士にしたくありません」
「……っ!」
分かっていた結果ではあるが、敬愛する主君に、面と向かって言われると重みが違う。立ち直れる気がしない。だがそう言い切った後、サフィニアは「でも……」と続けた。
「マローネ・ツェンラッド、それでもあなたが私の護衛騎士という立場を望むのであれば……護衛騎士見習いとして、受け入れましょう」
「……は? あの……見習い、ですか?」
マローネが思わず
「なんです、その顔。不満なのですか?」
「不満というか……質問なのですが、試用期間との違いは?」
「大きく違います。まず、見習いには期限がありません」
「なんと!?」
「そして、私のそばにいることを許します」
「なんとぉっ!? ――申し訳ありません、わたしの理解力不足でした! 見習いという立場は、試用期間と全然違いますね、サフィニア様!」
興奮するマローネに、サフィニアはひとつ頷いて続けた。
「……これから先、あなたが『もう嫌だ』と言うまでは、ずっと私の護衛騎士見習いです」
「――――っ」
その重い一言で、これが《隠れ姫》と呼ばれている今のサフィニアができる最大の
(急いだら、ダメ)
今、ようやくサフィニアが心を開き始めてくれたのだ。大切にしなければいけない。
マローネは、この
「光栄です、サフィニア様! いずれあなたに認めていただけるその日まで、マローネ・ ツェンラッドは精進いたします!」
この人が、ずっとこんな風に気を張らずにいられるように守っていくのだと、マローネは胸中で決意する。
「あなたは本当に、物好きで……困った人です、マローネ」
ほんのりと頰を赤くし笑うサフィニアに、マローネもつられるようにして笑う。
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