第二章⑧
「あっ、帰ってきた」
門の前で待っていたヨハンが、連れ立って帰ってきたふたりの姿を目にするとホッとしたように目尻を下げる。
「お帰りなさい、サフィニア様と……マローネちゃん!?」
穏やかに出迎えていたのに、ヨハンはマローネに視線を移した
「どうしたんだい、その顔!?」
「名誉の負傷です!」
胸を張るマローネに、ヨハンは「いやいや」と首を横に振る。
「早く中へ入って! マローネちゃんは、ばーちゃんに手当てしてもらいな。オレがサフィニア様をお部屋にお連れするから……」
慌てているヨハンに、サフィニアが淡々とした口調で言った。
「ヨハン、薬箱を私の部屋へ持ってきて下さい。おちびさんは、ついてきなさい」
「え?」
「聞こえなかったのですか? 私についてきなさいと言ったのです」
「お部屋に、お供してもよろしいのですか?」
サフィニアは相変わらず淡々とした態度を崩さない。喜ぶマローネにひとつ頷くと、ポカンと口を開けているヨハンに
「ヨハンは薬箱を。私は、おちびさんの手当てをしなければならないので」
「手当てって、サフィニア様が?」
「ええ」
サフィニアが頷くと、ヨハンは「でも、女の子の顔にできた傷だし……」と困惑したように呟いた。
「やっぱり、慣れてるメアリばーちゃんに頼んだ方がよくないですか?」 「いいえ! 傷の処置ならば、自分でできます! どうぞお気遣いなく! サフィニア様はお
マローネもサフィニアの手を
「マローネ、あなたの傷は、私のために負ったものです。せめて、
サフィニアの口調が、柔らかく変化した。ヨハンが困った顔のまま押し黙ったが、マローネは自分も似たような表情を浮かべているのだろうなと思う。結局、サフィニアのお願いに負けたヨハンが動いた。
「分かりました。取ってきますよ、薬箱。……マローネちゃんも、観念しな。どうせ、サフィニア様には勝てないんだから」
やれやれと肩をすくめつつ薬箱を取りに行くヨハン。マローネは、そんな彼の後ろ姿とサフィニアを見比べた。歩き出していたサフィニアが首を傾げる。
「どうしました? なぜ、そんなに私とヨハンを見るのです?」
「え、いえ、あの……ヨハン殿はサフィニア様に弱いのですね」
ちらりと見えたヨハンの顔は、仕方なしに聞こえた口調と真逆で、嬉しそうだった。
「そうですね……。昔から」
サフィニアは、なぜか懐かしそうに目を細めた。どこか遠くを見るような仕草に、僅かに寂しさが混じっているように見える。
なんだか、複雑な気分だ。今にも叫び出したいような、なんともいえない
「傷が痛むのですか? 早く部屋に行きましょう」
マローネが、サフィニアの部屋に入るのは二回目だ。だが、今回は部屋の主が招き入れてくれたという、前回とは大きな違いがある。
「さあ、そこの椅子にかけて下さい」
「し、失礼します」
「大丈夫ですよ? わざと痛くしたりはしないので。……あなたがうるさくしなければ」
サフィニアなりの冗談なのだろうか。
いや、本気に違いない。なにせ、彼女は
(多少痛かろうが、わたしは耐えます! しみる薬だろうと、なんのその!)
情けないところは見せないぞ、とマローネは気合いを入れた。
「よし! それでは、どこからでもどうぞ!」
「傷口しか
呆れたように言われて、軽く額を押さえられる。身長の差があるからか、こうして見るとサフィニアの手は自分よりも大きい。新しい発見だとマローネは
一本足の丸テーブル。その上に薬箱の中身を広げたサフィニアは、
指が長くて綺麗だな、なんて
サフィニアの繊細な
「わたしは平気です! サフィニア様が痛い思いをする方が、耐えられません!」
「そんなことを言って……
べたりと軟膏を
あくまで噂だが、サフィニアは五年前の事故で体に傷痕が残ったと言われているのだ。顔に傷痕はないが、どこに傷があるか本人に確認できるはずがないので、真相は分からない。だが、自分の経験からマローネの傷を気に病んでいるのだとすれば……。
「本当に、誇らしいのですよ、サフィニア様。……わたしが、あなたのお役に立てたという証ですから」
「……強い人ですね」
サフィニアの指が頰から離れた。その後も、テキパキ手を動かしながら、サフィニアは マローネを見て呟く。
「……あなたは、本当に強くなりました」
「? サフィニア様――」
そして手当てを終えたサフィニアは、じっとマローネの顔を見つめてきた。
どうしてか、緊張する。目を合わせる機会は、多くはないがあった。だが、その時はこんな風に言い表しようのない緊張を感じたりはしなかった。
「なにか、言いたいことでも?」
マローネが途中で言葉を切ったのが不思議だったのか、サフィニアが首を傾げた。迷った末に、マローネはサフィニアの
「えっと、とても手当てがお上手なのですね」
噓ではない。感心したのも本当だ。幼少時のサフィニアの
すると、サフィニアは
「子どもの
「王女というお立場にあるのに、ですか?」
「ええ。母の教えで。現にこうして今、役に立っています」
ということは、庭園で会えなくなった後で練習したのか。あの状態からここまで成長するのに、どれほどの努力を重ねたのかと想像したマローネは、それを自分のために……という申し訳なさに縮こまった。
「……お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「責めているわけではありません。誤解しないで下さい。あなたには、感謝していますよ。ありがとうございます」
そしてまた、沈黙が訪れた。
再会してからというもの、マローネがいつもやかましくしていただけで、サフィニアは基本的に物静かだった。だから、こうして改めてふたりきりになると、彼女はまったく苦に思っていないだろう沈黙に、マローネはやたらと緊張して心臓がうるさい。
これは、きっと――。
(サフィニア様が綺麗で心優しくて、あらゆる褒め言葉をかき集めてきても足りないくらい、すばらしい方だからに違いありません!)
そのせいで、己の忠誠心が騒ぎ立てているのだ。マローネは、そう思うことにした。
だが、顔がどんどん赤くなっていくのはどうしようもない。
じっと見ていたサフィニアが、それに気付かないはずもない。
「……あなたは、全部顔に出ますね」
サフィニアに
「変な顔をしていましたか!?」
「いいえ。かわいいなと思って見ていました」
「なっ、かわっ――ええと、ええと、サ、サフィニア様は、とってもお綺麗です!」
「そう、ですか……。……驚きました、あなたでも照れるのですね」
「だって、かっ……かわいいとか、そんなこと初めて言われたので」
子どもの頃に両親が言ってくれたくらいだと伝えると、サフィニアが首を傾げた。
「記憶違いでしょうか。昔、泣き虫の女の子に、かわいいと言った覚えがあるのですが」
「……え……?」
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