第二章⑤

 翌朝、誰よりも早く起きたマローネは、庭で大きく伸びをする。

「うーん、今日も気持ちのいい朝です」

 早朝は、空気がんでいる。頭もえる気がするので、考える時間としても最適だ。

(今日は、まず水くみと……それから、まきりをしましょうか! あと、運ばれてくる食材を保存庫に運んで……)

 黙っていれば、仕事は回ってこない。ならば、自分で見つけるまでと今日一日の予定を組み立て動こうとしたところで、マローネは背の高いひとかげを門の前で見つけた。

「あれ……ヨハン殿?」

 マローネが思わず名前を呼ぶと、向こうも気がついたのか片手を上げて近づいてくる。

「おはようマローネちゃん。今日はまた、いちだんと早起きだね」

「おはようございます、ヨハン殿! 自然と目が覚めてしまうんです!」 「ああ、そうなんだ? 元気がよくて羨ましい限りだよ……。オレは、もう眠くて……」

 言っているちゅうで、ヨハンはあくびをかみ殺した。本当に眠そうで、マローネは思わず聞いてしまった。

「あの、もしかして寝ていないのですか?」

「ん? ああ、まあね」

「なんと……!」

 あっさりと頷かれ、マローネは青ざめた。

「――もしや、ヨハン殿はすでに見回りを含めた、寝ずの番を果たしていたのですか!?」

 自分にできるゆいいつのことだと喜んでいたが、もしもヨハンがすでに勤めとしているのなら、またもや真似事になってしまう。だから、サフィニアにしきりに寝るようにすすめられたのかとマローネが落ち込んでいると、ヨハンは不思議そうに首を傾げた。

「オレはただの朝帰りだけど……寝ずの番だって? まさか、マローネちゃん、このに及んでまだなにかやるつもり?」

「はい、もちろんです! 昨日はうっかりサフィニア様のお邪魔をしてしまい、寝るようにとお気遣いいただきましたが、今日こそは騎士として働いてみせます!」

 ヨハンは面食らった後、苦笑を浮かべた。

「いや、君……ジェフリーさんにもくぎされただろう?  自分の扱いに腹を立てたりしないの?」

「己のなさを反省し、よりよい働きができるように日々しょうじんする所存です!」

「……マローネちゃんって、本当にサフィニア様が好きなんだね」

 ヨハンの表情が、苦笑いから微笑ほほえましげなものに変わっていく。

 マローネは頷いた。

「大好きです! できるなら、ずっとおそばにお仕えし、お守りしたいです!」

「うんうん」

「ヨハン殿も、そうなんですよね!」

 マローネが満面のみで見上げると、ヨハンは「え?」とまどうように呟いた。

「今さら隠さずともだいじょう、決して他言はいたしません! ……ヨハン殿は、サフィニア様の特別な方であると、わたしはすでに承知しております!」

「は? 盛り上がっているところ悪いんだけど、別にそういうわけじゃ……」

 困惑したヨハンの否定を、れ隠しと受け取ったマローネは、笑顔で続けた。

「だってヨハン殿、腕輪を持っているでしょう? あれは、サフィニア様がご幼少の折、大好きな人におくるのだと仰っていたものです」

 ヨハンがたちまち目を見開いた。マローネは特別驚くようなことを言った覚えなどない。なにせ、くだんの腕輪を常時身につけているのだ。サフィニアの想いはヨハンに届き、ふたりはひそやかなこいなかなのだと、マローネは解釈していた。

 だが、ヨハンは信じられないものを見聞きした時のようにじょうな反応を示す。

「……な、んで、それを?」

「実は、わたしもサフィニア様の腕輪を持っているんです。……こちらは、お別れの時にいただいたものですが」

 マローネが片腕をめくれば、お守りとして常に身につけている緑の腕輪がのぞく。

「緑……。君はやっぱり……」

 ヨハンは、なんだか今にも泣き出しそうな顔になってマローネを見た。

「ヨハン殿? どうかしましたか?」

「……いや、ちょっと驚いただけ……。サフィ様、君にそんなこと言ってたのかって」

 なつかしそうに呟いたヨハンは、ぐいっと自分の服のそでをまくる。そこには不格好なえのうすべにいろの腕輪が見えた。

「はい。失敗しても諦めないで、いっしょうけんめい作っていたんですよ?」

「サフィ様は不器用だったからな〜。……手伝おうとしたら、追い払われたっけ……」

 完成品を本人から手渡された時は感動したと、ヨハンは目を細め優しげに微笑む。

「その時、オレはサフィ様と約束したんだ」

「お約束ですか? 一体、どんな?」

「――必ず守るって……」

 語るヨハンの声に、僅かな寂しさが混じった。だが、マローネの気遣わしげな視線に気付くと「まあ、身の回りの世話くらいしかできないけど」と誤魔化すように笑う。

「そういうわけで、この腕輪はオレのちかいのあかしで……替えのきかない宝物なんだ」

 その言葉に、マローネは大きく頷いて同意を示した。

「わたしにとっても、宝物です! つまり、我々はサフィニア様をとても大好きな者同士になりますね! だから、あの方を共にお守りできればいいと、わたしは思っています」

「…………」

 袖を下ろしたヨハンは、なんとも言えない顔で黙っている。けれど、彼の視線はマローネの腕輪に注がれていた。

「……オレさ、ずっと思ってたんだ。君を追い払おうとするわりに、やり方が生ぬるいんだよなって」

 その理由がようやく分かったと、ヨハンがうなった。

「――なにが友達ごっこだ。どっぷりハマってたんじゃないか」

「ヨハン殿? なんて言ったんです?」 

 聞こえないとマローネがたずねると、彼はなんでもないと首を横に振った。

なぞが解けて、オレはすっきりした気分だよ!」

「それならいいのですが……あ! サフィニア様には、今の内緒にして下さいね?」

「は?」

「ヨハン殿の腕輪のことです! 本人に知られたら、恥ずかしいに決まっています!」

 照れるサフィニアはきっとかわいらしいだろう。だが、それでサフィニアに嫌われたら、マローネは悲しい。だから、黙っていてくれと頼めば、ヨハンはあっさりと頷いた。

「ああ。それは大丈夫。……言えないから」

 ヨハンの返事に、マローネは少しかんを覚えた。だがすぐに、ヨハンでも照れるのだろうと思い直す。照れくさいから、言えないのかもしれない。

(サフィニア様の笑顔のためには、ヨハン殿の存在は必要不可欠!)

 ならば自分は、サフィニアを守るヨハンの背中を守る、そんな騎士になりたいとマローネは思った。

「よし!」

「今度はどうした、マローネちゃん」

「わたしは、やりげてみせます!」

 ヨハンは、ゆるゆると苦笑を浮かべる。

「君は、本当にめげないな。オレの主人はサフィニア様だから、君の手助けはできない。けど、個人的にはおうえんしてるよ。……期日ギリギリまで、がんばりな」

「はい!」

 ヨハンを見上げ、マローネは元気よく頷いた。

 張り切るマローネに対し、ヨハンは「それじゃあ」と屋敷の方を見た。 「がんばる君を応援しつつ、オレはひと眠りするよ〜」

「あ、おやすみなさい」

 そういえば、朝帰りだと言っていたのを思い出したマローネは、ヨハンを見送ろうとした。だが彼が体を反転させた時、甘いにおいが香ってきたことで、思考が一瞬停止する。

(え? これ、女性物の……)

 かな匂いは、すぐに風に流され分からなくなる。気のせいかどうか確かめようにも、ヨハンはすでに屋敷の中に消えていて、マローネは難しい顔でしばし立ちくしていた。

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