第二章①

 サフィニアと話すことができた日を境に、マローネはひまになった。あれこれ雑用をあたえられていたのがうそのように、びっしりと詰め込まれていた仕事がなくなってしまったのだ。

 メアリたちに聞いても「サフィニア様のご意向」としか返ってこない。ヨハンなど「ちょうどいい休養だと思えばいいじゃないか。だんもどったらいそがしいだろうし!」と、マローネが去ることを前提にした物言いで笑う始末だ。

 

 そして、使用人たちに命令を出しているサフィニアは、部屋から出て来ない……いや、マローネがこうみょうけられているのだ。

 約束の半月は近づくのに、サフィニアとのきょは縮まるどころか、ぐんっと開いてしま った。このままでは、ヨハンの皮肉が現実に――。

「こうしてはいられません!」

 いやな想像をはらうように、首を左右に振ったマローネはグッとこぶしにぎると、ある場所を目指した。ヨハン以外は決して立ち入りを許されない――すなわち、サフィニア王女本人の部屋である。

 

 サフィニアの部屋を訪ねると、ちょうどとびらが開き、彼女が出てくるところだった。数日ぶりにあるじの姿を目にできて、マローネはたちまちがおになる。

「サフィニア様!」

「……なぜ、ここに」

 対してサフィニアの表情は真逆で、険しい顔をしていた。

「私に任されていた仕事がとつぜん他のみなさんに割り振られてしまったので、直接ご用をうかがいに参りました!」

「……ああ」

 顔にかかった長いかみをうるさげに払うと、サフィニアはめんどうそうな声で続けた。

「あなたには、もう仕事はありません」

「え!? あ、あの、それは、なぜでしょう?」

 マローネの脳内はもんでいっぱいだったが、サフィニアの答えはさらに不思議なものだった。

「あなたが、喜ぶからです」

「は?」

 マローネの口からけな声がついて出るが、サフィニアは意にかいさず、そのまま険しい顔でだまりこくっている。

 ちんもくするサフィニアに、マローネは「もしや」と口を開いた。

「ご気分がすぐれないのですか!?」

「……は? なぜ、そういうかいしゃくになるのですか……」

 わずかにひとみが見開かれ、あきれたように聞き返された。

「だって、険しいお顔をなさってます! 本当は、起きているのもつらいのでは!?」

「あなたが来てから、気分がよかった日などありません」

「そんなに前から!? では、ずっとご無理をなさって……! それなのに、わたしの体調まで気にかけて下さるなんて、サフィニア様はなんてぶかい!!」

「ちょっと待ちなさい。一体だれが、いつ、あなたのことを気にかけましたか? 仕事を取り上げたのはいたわるためではなく、出て行ってもらいたくて……」

 マローネは感激した。もちろん、サフィニアの言い分は聞こえているが、それすらも自分が気にまないようにとのはいりょだと思い、敬愛の念はどんどん高まっていく。

「サフィニア様、どうかご無理をなさらず、今すぐお休み下さい! あっ、しんだいまでわたしがお運びいたしましょうか?」

じょうだんでしょう。あなたと私に、どれほど身長差があると思っているのです?」

 マローネは同年代の中でもがらで、サフィニアは女性としては背が高い。しかし、マローネはまったくひるまず、問題ないと両手を広げた。

よこきにすれば、身長差などあってないようなもの! どうぞ、わたしのうでへ!」

 サフィニアは、こんわくした表情をかべる。

「本気、ですか?」

「無論、わたしはいつでも本気です、サフィニア様!」

「……余計にたちが悪い。結構です。自分で歩けますから」

 げんなりとした口調で断られ、マローネはらくたんした。頭上からは、サフィニアのため息が聞こえる。話はこれで終わってしまうのかとマローネが名残なごりしく思っていると、思い出したように呼びかけられた。

「ああ、おちびさん――」

「!? はい、なんでしょうか!?」

 あわてて顔を上げ命令を待つマローネに、また困ったようにサフィニアがため息をつく。

「……そんなキラキラした目で見ないで下さい」

 元より聞かせるつもりはなかったのだろうつぶやきだったので、マローネは部分的にしか拾えなかった。

「目? わたしの目が、なにか?」

 問い返すと、首を横に振られた。

「いいえ。なんでも。……それより、あなたはもう必要ないので、今すぐヨハンを呼んできて下さい」

 つれない命令だけを残し、サフィニアは自室に戻ってしまった。

 そばにいられるかもと期待したマローネは、予想が外れてしょんぼりとかたを落とす。

 それでも主の望みをかなえるべくヨハンの姿を探すと、ちょうど外に出ようとしていた彼を見つけた。

「……ヨハン殿どの

「あ、探してたんだよ、マローネちゃん!」

「……そうですか。……そんなことよりも、サフィニア様が、あなたをお呼びです……」

「うわ、暗い。……さてはサフィニア様にちょっかいかけて、追い払われたんだろ」

 失礼な、とマローネがうらめしげに見上げれば、ヨハンは笑っている。

「人は、しつこく追いかけられるとげたくなる生き物なんだよ。押すだけじゃなくて、 たまには引いてみないと」

「今引いたら、それで終わりになってしまいそうなので、嫌です」

「……どっちにしろ、結果は同じだけどね」

「はい?」

「いや、こっちの話。……じゃあ、オレはサフィニア様のところに行くよ。そのかわり、マローネちゃんに、届け物をお願いしたいんだ。騎士団のジェフリーさんに、これをわたしてきてくれないかい? オレはサフィニア様に呼ばれてるし、他の仕事があったりで忙しいからさ」

 ヨハンは、やけに白々しい口調で語りながら、手にしていた包みをマローネの前にき出す。マローネは、そのわざとらしさよりも、出された名前におどろいた。

「ジェフリー……? もしや副団長と、お知り合いなのですか?」

「本の貸し借りをするくらいには、仲がいいよ。……あの人って面倒見いいから、オレが騎士をあきらめてからも気にかけてくれるんだ」 「……騎士を、諦めた?」

「オレも昔、ちょっとだけ騎士団にいたんだよ。でも五年前にやめて、このしきに戻ってきたんだ。本当は、もっと手柄を立ててはくをつけてから、サフィ様の護衛騎士に……なんて思ってたんだけど――そんなこと言ってる場合じゃなかったからな、あの時は」

「……だから、サフィニア様はヨハン殿を、たよりにしているのですね」

 いちばん辛い時、全てを捨ててけつけてくれた存在ならば、サフィニアが彼にだけ心を許しているのも分かる。

「本当にそうだったら、うれしいけどね。当時のあの方は、ひどいものだったから……」

 語るヨハンの顔に、騎士への未練は見当たらない。

(たしかに、これではかないませんね……)

 今日まで支えてきてくれた存在を、サフィニアはとても大切に思っているだろうし、ヨハンの思いもまた明白だ。

 うでを大切にしている点もそうだが、思わず口に出してしまったのだろう「サフィ様」 という呼び方には、特別な感情がこもっていた。

(サフィ様って呼んだ時、ヨハン殿、とてもやさしい顔をしていました)

 相思相愛。そんな言葉がマローネの頭の中でおどる。自分はそこに割って入ろうとしていたのだと思うと、なんておこがましいと頭を抱 かかえたくなった。

(サフィニア様の一番は、ヨハン殿――だから、騎士はいらないとおっしゃった)

 ヨハンはできる男だ。マローネが先日までやっていた仕事はもちろん、サフィニアの部屋にだって立ち入れる。

 それに比べて、自分はどうだとマローネはおのれの姿をかえりみた。

 騎士にしてくれとさわぎ立てるだけ。そもそもきょされたのを無理にとたのみ込んでの試用期間だったのに、仕事は与えられて当然と命令を待つだけの日々。

 今の自分は、ヨハンのようにサフィニアの気持ちを考えていただろうか?

(わたしがしてきたことは、ヨハン殿のごと ――必要ないと言われて、当然です)

 ヨハンはマローネの沈黙をなんと受け取ったのか、気まずそうに声を上げた。

「あー、変なこと話しちゃったね。忘れてよ」

「とんでもありません、ヨハン殿。……大変ありがたいお話でした」

「え? どこが?」

「目が覚めました! わたしは、自身のことばかりで、本当の意味で騎士たり得ませんでした! 情けないことばかり考えて、おずかしい限りです!」

「――はい?」

「マローネ・ツェンラッドは、自己けんさんはげみます!」

「いや、あの……」

「ヨハン殿はサフィニア様のところへお急ぎ下さい。預かったものは、きちんとジェフリー副団長へお渡ししますので!」

「あ、うん、よろしく頼むよ。それにしても、君――おそろしいほど前向きだなぁ」

 ヨハンがしょうを浮かべる。

「……あとはあの人の説得にかかってるけど……に終わりそうだな……」

「説得? 一体、どういうことです?」

「実はオレの届け物ついでに、サフィニア様からジェフリーさんあての手紙もあるんだよ」

「なんと!? サフィニア様は、ジェフリー副団長ともそれほどまでに親しいのですか!?」

「サフィニア様は全然。むしろ、距離を置いてるよ。だから、こういうのはめずらしいんだ」

「でしたら、責任重大ですね!」

「そうそう。包みにいっしょに入ってるから、ジェフリーさんにそのまま渡せばいいよ――それじゃあ、よろしく頼んだよ、マローネちゃん」

「はい! 行って参ります!」

 ヨハンはこの後、サフィニアの部屋に行くのだろう。ふたりの間には強いきずながあるのだ と分かっていても、やはりマローネは少しだけうらやましかった。


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