第一章④

*****



 ピカピカになった窓を見つめ、マローネは満面の笑みを浮かべる。

(これで完璧! 鏡の代用もできるくらいれいになりました!)

 騎士学校では剣や乗馬だけでなく、こうした生活術も学ぶ。新人は掃除、洗濯、料理を分担するので、マローネも一通りはこなせるのだ。学校時代の教えに感謝していると、サフィニアが廊下を通りかかった。

「あ、サフィニア様!」

 いつもなら、マローネが思わず名前を呼んでも無視して通り過ぎていくサフィニアだが、 今日はなにを思ったか足を止め、みがかれた窓を見つめる。ドキドキしながらマローネが反応を待っていると、サフィニアが口を開く。

「……伯爵家の令嬢なのに、掃除が上手ですね」

「おめにあずかり光栄です!」

 サフィニアはだんは小さな声で話す。だが、元々が良く通る声なのだろう。聞き取りにくかったことはない。今もしっかりと褒め言葉が聞こえたため、マローネは素直に喜んだ。 だが、サフィニアはたちまちしぶい顔になる。

「……皮肉だったのですが?」

「え!? 失礼いたしました!」

 言葉の意図も分からないけな騎士と思われたかとあせったマローネだったが、サフィニアはつまらなそうに窓をながめたまま続けた。

「私の顔色をうかがって雑用ばかりの現状を、なげかわしいとは思わないのですか?」

 マローネは、その質問をこんわくしながらも受け止め、考えた。

「わたしは、サフィニア様の暮らしにりょくながらこうけんできるだけで、嬉しいです」

「……質問を変えます。あなたはどんかんそうですが、いくらなんでも、そろそろ理解できたでしょう? 自分はかんげいされていない存在だと」 

 問いただすサフィニアの口調は、怒っているようだった。マローネは慌てて答える。

「その上で、半月の間に認めてもらえるよう、せいいっぱい努力いたします!」

「無駄な努力ですね。あなたがヨハンより秀でているなんて、ありえませんから」

 また、ヨハンだ。屋敷の人々は、サフィニアがつらい時も支えてきたのだろう。中でもヨハンは、親しさが格段に違うとマローネでも理解できた。

「ま、負けません! 絶対に、ヨハン殿どのには負けません!」

 だからこそ、引き合いに出されるとムキになってしまう。サフィニアもマローネの対抗心をかしているのだろう、呆れたとばかりにため息をつかれた。

「なぜ、そこまで必死なのです。今すぐ出て行ってくれるなら、私から騎士団へくちえし、あなたの経歴に傷がつかないよう取りなします。悪い話ではないでしょう?」

「……わたしは、サフィニア様以外の主にお仕えするつもりはありません」

 マローネはサフィニアの緑の目を見て、はっきりと伝える。自分が剣を捧げる相手は、あなただけなのだと、知って欲しかった。

「……どうどうめぐりですね。私は騎士を持つつもりはないと言っているのに……」

 ほんの少しだけ、サフィニアが表情を変えた。困ったような苦笑いだが、どことなく寂しげな色が混じっているように思えて、マローネはどうようする。昔の彼女からは、考えられないような力のない笑い方だったからだ。

 マローネの視線があまりにしつけだったのだろう、サフィニアはわずらわしいとばかりに顔をそむけてしまう。

「……ここまで食い下がるなんて……。おちびさんは一体、なにが目的なのですか?」

 素っ気ない口調での問いかけに、マローネは今のサフィニアを見て、自分の胸にき上がってきた望みを口にした。

「わたしは……あなたの、笑った顔が見たいのです」

 予想外の答えだったのか、サフィニアが大きく動揺を見せた。

「なにを、馬鹿なことを……」

「いいえ! わたしには、とても大切なことです!」

「――くだらない」

 だが次のしゅんかんには、いつもの冷たいサフィニアに戻り、大きなため息をつかれる。

「よく分かりました。あなたには手加減無用ということですね」

「……え?」

 マローネは意味が分からなかった。しかし、サフィニアはマローネに背を向け会話を打ち切ると、振り返ることなく遠ざかってしまった。

 素っ気ないのはいつものことだが、突然関心がせたようにわれるのは、やはり心に刺さるものがある。

 マローネはサフィニアの後ろ姿を見つめ、両手で顔をぴしゃりと叩いて気合いを入れる。

(わたしは、諦めません! そして、ヨハン殿にも決して負けません!)  サフィニアをしたう気持ちは、誰にも負けやしない。

 そして、サフィニアには冷たい顔ではなく、輝くような笑顔がよく似合う。

(取り戻し、守り抜いてみせます! それが、わたしの望み!)

 メラメラととうを燃やし、マローネは拳を握った。



*****


 

 月も出ていない、真っ暗な夜。しょくだいがゆらゆら揺れるのをぼんやりと見つめてい たサフィニアは、自室の扉が開く音を聞いて視線を向けた。

「サフィニア様。紅茶を持ってきました」

「ノックくらいしなさい、ヨハン」

「しましたよ。ほうけてたのは、あなたです。原因は、あの新米ちゃんですか?」

 小さなテーブルに運んできたティーセットを置き、ぎわよく準備するヨハンだが、その声は気遣わしげだ。

「はい、どうぞ。特別いめに入れておきましたよ」

「ありがとうございます」

 手を伸ばすと、カップがひょいと持ち上げられる。どういうつもりだとサフィニアがヨハンをにらむと、彼はにっこりと笑顔を浮かべた。

「お茶の前に、質問に答えて下さい。あの騎士とのご関係は? オレに、いつまでも話してくれない理由は?」

 ヨハンの質問に、サフィニアは首を横に振る。

「取るに足らない存在だから、あえて説明する必要もないと思っていただけです。ほんの少しの間、友達ごっこをしただけの相手ですから」

「……昔、ずいぶんと気落ちしていた時期がありましたね。もしかして、その時の?」

「さあ? 忘れました」

 素っ気ないサフィニアに、ヨハンはカップを手渡しつつしょうした。

「でも、あの子……あなたの腕輪をつけてましたよ。取るに足らない相手に贈るようなしろものとは思えませんけど?」

「だから、昔のことなんて忘れたと言っているでしょう。それより、騎士団に連絡は?」

「え? ああ……があるのでバッチリです。ああ見えて将来有望な子みたいで、騎士団に送り返してくれてかまわないって言われましたよ?」

 サフィニアは、ヨハンにひとつうなずいてみせる。

「でしたら、安心して次の手が使えますね」

 サフィニアが不敵に笑うと、ヨハンが大げさに怯えた仕草をする。

「笑い方、怖っ! ……別にこのまま放っておいてもよくないですか? どっちみち期限が来ていなくなるでしょう」

「半月も、あのうるさいのに耐えろと?」

「うるさくても、将来有望視されている騎士ですよ? なんなら、うまく利用するのも手だと思いますけど? あなたの身を守る盾には最適だ」

 そう言ったヨハンを、サフィニアの目がとらえた。

「ダメです」

 くだんの少女騎士には冷たい態度をとっていたはずのサフィニアが、まるで彼女を守るかのように、はっきりと拒絶の意を示す。

「それだけは、絶対にダメです」

 予想外に強くきょされたヨハンは、苦笑を浮かべ肩をすくめた。それから、しばがかった仕草で一礼する。

「仰せのままに、サフィニア様。ばん、オレにお任せ下さい」

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